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連載小説「神楽坂」第11回

連載小説「神楽坂」           第10回

第11回

 街中には、「月月火水木金金の歌」が流行し、アメリカ映画は、全く上映禁止となった。十二月八日、日本軍はハワイ真珠湾を奇襲。年もおしつまると香港全島を占領した。明くる昭和十七年マニラを占領、ビルマに進撃。二月十五日には、シンガポール占領となった。暮らしは益々きびしく、味噌・醤油も配給制、衣料も配給切符制。その心細さに追い打ちを掛けるように四月十八日、アメリカB25爆撃機日本本土初空襲となった。あれ程、「本土空襲絶対なし」と国民にお約束の軍部宣言は破られ、民衆の不安感は募っていった。

 ハルは女学生になり、ゲンは中学の二年生になっていた。歴史はスピードをあげ、目隠しされた国民を駆り立てた。せっかく習えると思った外国語は随意科目となった。
 ハルの同期生に、当時内閣総理大臣の娘がいて、ニュース・カメラマンが現れて、勤労奉仕中の彼女の姿を写す。先生方は気を遣い、彼女も気を遣われる事に気を遣う。賑やかな集まりでいつも主役の取り澄ます顔の裏に、疲れた彼女の孤独をハルは見つけた。彼女にもあだ名があった。カボチャと言う。御当人は知るや知らずや、ふっくらおっとりと、小麦色の頬にソバカスを散らせ、当たりさわらずの取り巻きは、お手玉もバレーボールも、彼女が不利にならぬようさりげなく気を配っている。梅雨時の遊び時間は、校庭に出られぬ日が続く、カボチャの取り巻きは、彼女を中心に教室でお手玉。いつも本を読んでいるハルも、誘われてお手玉遊びに今日は加わっている。やがてカボチャがお手玉を落とした。次はハルの番だから、素早くそれを拾って始めようとした。取り巻きの一人が肘でハルの脇腹をつつく。ハルは気付かぬまま無頓着にもお手玉を始めた。取り巻きは静かに一人、二人と立ち去り、カボチャの笑う顔が目の前に残ると授業開始のベルが鳴った。

 風が立ち雲が流れ、梅雨空に晴れ間が覗いた。空だけ見ていれば、少しの間戦争を忘れた。期末試験の最終日、廊下ですれ違ったハルを、カボチャが小声で呼び止めた。
 「家へいらっしゃらない」
 家とはつまり首相官邸の事か、ためらいながらも、やっぱり首を縦にふっていた。
 長い植え込みが両側に続く玉砂利を敷きつめた道を踏みしめながら歩いて行く。所々に兵隊さんが静かに立っている。五人連れはやっと広い玄関に立つ。ここまでどうやって辿り着いたのか、ハルはまったく覚えていない。玄関の正面に、白木を彫って作られた等身大の大黒様と恵比寿様の像が左右にどっしりと置かれ、そのふくよかで神々しい像の影から、学校と違うおどけた笑顔あらわにカボチャが手招きした。我々は食堂に通される。十四、五人はゆったり座れる細長いテーブルの上座に、小柄な婦人が座っている。我々が末席から頭を下げると、気軽に「いらっしゃい」と一言。てきぱきと身近に控える女の人に用事を言いつけ、立ち上がりざま
 「私、お茶漬けでいいわ」と言い、奥に消えた。これがカボチャの母上様であった。

 まず、紅茶が出された。暫く国民が御無沙汰の真っ白な立方体、つまり角砂糖がお皿の横に二つ添えられてある。ハルは大切にスプーンですくい、真っ白な茶碗に沈め、ゆっくり溶けるさまをしっかり見つめた。
 庭に出て高台から街を見る。芝生の続くその果てに、懸命に生きる国民の住居がはるか下の方に散らばり、今立っているここだけが安全地帯と思えた。
 しばらくして、また食堂に戻る。緑茶が入れられ、忘れもしない厚切りのようかんが二切れ、白いお皿に斜めに鎮座ましましているではないか。ハルはハッとした。ハッとしたまま隣の友人の顔をのぞく。もうハッとした段階を終えたのか、友人は食べるに忙しい。角砂糖よりも大切に、この二切れをペロッと頂戴した。
 上気した顔のまま、疲れは全身を包み、足だけがせわしく長い植え込みをたどり、街に出た。我々は互いに声を無くし家路を急いだ。ハルの頭の中では、白いお皿と厚切りのようかんと、広い芝生の彼方に散っていた街の遠景、そればかりで、この日、カボチャと何を話したか記憶にもない。帰途、街中の標語がやたら目にとまる。

 「一億・一心」「ゼイタクは敵だ」「欲しがりません、勝つまでは」。

 戦時下の学生の青春は、時だけが平等であった。

 (つづく)  第12回

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連載小説「神楽坂」第10回

連載小説「神楽坂」           第9回

第10回

 ハルは、神楽坂にいても入舟町にいても時計の音に囲まれて育ってきた。数ある時計の中で、柱時計は売れてしまうと壁に空間が出来る。それで売れゆきがはっきりわかり、出来た空間に新しい時計が掛けられる。並べられている時計の位置を覚え、売れた時計の個数と型をハルはぴたりと当てる。幼稚園に通う頃から、これをゲームにして父と遊んだ。当ると父は、缶詰になった小さなメリークリームを買ってくれる。大物を直すのに使う太いねじ回しで、父が缶の上に二カ所穴を開けてくれると、甘くてとろとろの濃いミルクが吹き出し、ハルはそれをちゅっちゅっと吸う。だが時計は配給となり、店の壁には空間が広がり、メリークリームはもう売られていない。柱時計の中で神楽坂と入舟町のどちらにも、同じ製造元で作られた同じ型の柱時計が一つずつあった。これは兄弟のように標準時計として使われ、非売品である。神楽坂の方が少し大きく、どちらもウエストミンスター・チャイムで時を知らせる。この二つのチャイムは音程が少し違う。同じメロディーだが神楽坂のは響きが長く、入舟町のは短いが、なんとも快いメロディが流れ、十五分、三十分、四十五分で時を打ち、音・u桙フ長さが違うので、離れていてもおおよその時がわかる。ところが、戦争はいつまでも続き、この時計がうたうメロディーは、なんと言ってもイギリスはロンドンのウエストミンスター寺院の鐘の音。困ったあげく、この二つの柱時計には、それぞれの家の寝室にお引きとり願った。時計の中で育ったハルは、馴れきった音では目が覚めない。目覚まし時計の二つや三つ並べたとて、びくともせずに眠ってしまう。
 ハルが目覚まし時計で起きることが出来るようになったのは、のちのち嫁いで二、三ヶ月もたった後からだった。

 砂糖やマッチが切符制となった。食堂や料理屋では、御飯を売る事まで禁止されて、神楽坂の灯りはひとつずつ消え、母のお腹には、四人目の命が育っていた。年が明け、節分も過ぎた雪の朝。母が産気ずいたと病院からの知らせに、四人目も女であろうと諦め顔で病院へ出かけた父が小躍りして立ち戻り、あわてて男物の産着を探しに走った。お婆ちゃんは、跡取りの顔が見られると涙ぐみ、「お手柄、お手柄」と、いつになく嫁を称え、お赤飯の調達に出かけた。夏になって、以前より中野の江古田にある家作の前側に二軒家を建て、一軒をあるじが女子大に奉職する一家に貸し、その隣の広い家に七人家族が移り住んだ。父は神楽坂から週に二日この家に戻る。ハルも神楽坂の学校に通う。小学校は国民学校と名前を変えた。お婆ちゃんは、この家に移るとめっきり身体が弱く気も弱くなった。父は戻ると、凱旋将軍のように手に入れてきた祖母の好物を茶の間に広げ、祖母は父を英雄のように見上げる。父の名をしきりに呼ぶ祖母は、子供のように父に甘え、御注文通りの大きな檜造りの湯舟で、「極楽、極楽」と御満足であったが、その御満足の風呂の中で倒れ、七十三歳の命を終わった。

  (つづく)   第11回

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平成21年新春の御挨拶

謹んで、初春のお喜びを申し上げます。

本年もよろしくお願いいたします。

吾子の才 急ぎ追ひ来て 身は傘寿
(あこのとし いそぎおいきて みはさんじゅ)

八十歳になりました。

可久鼓桃

連載小説「神楽坂」第9回

連載小説「神楽坂」           第8回

第9回

 二学期が始まる。
 「ドイツからあると、皆さんと同じ学生のお客様が見えます」
 朝礼で校長先生がおっしゃった。早々に校内の大掃除が行われ、分列行進の練習は飽きる程のくり返し、ドイツの学生は愛国心に富み、勇敢であると教えられる。お客様の一団は、ヒットラー・ユーゲントである。物珍しさよりも、ものものしさに疲れ、それはそれは緊張の一日であった。彼等の生き生きとした動きと、美しい配色の軍服が、まるで宝塚歌劇のドイツ編でも見るようで、しばらくはみんなの憧れになった。だが、その日ハルは日本とドイツの小旗を両手にふりながら、ドイツと言う国は利口で力強く、本当に日本のお友達なのかなー。それならば、それは何故なのだろうと考えていた。

 担任の吉田先生は、浅黒く面長な顔で、みんなに〈板チョコ〉と陰で呼ばれている。かなりお茶目でお転婆なハルは、男の子と対等な喧嘩をやる。〈板チョコ〉は、すっきりと平等な結末をつけてくれるから、叱られる度にハルは〈板チョコ〉を尊敬した。あれは国語の時間。とかく長びく最終授業だった。「大東亜共栄圏」と黒板に大書し、「君等が白髪となり、杖をつく頃、地球上には三つの大国しか存在せぬであろう。それは、アメリカ、ソビエト、中国に違いない。」〈板チョコ〉はそう言い切った。
 不安げな数々の小さな瞳は、日本が消える筈はないと次の言葉を待ったが、師は凍った目を窓外に飛ばし、「大きくなったら、すべてが見えてくる」とだけ、その後、この日のような授業は決してなく、〈板チョコ〉は日の丸を肩からかけ、奉公袋を手に教壇から立ち去った。国民学校第一回卒業生となる我々は、逆巻く時局の中で、この疑問を心の片隅に抱いたまま育ってゆく。

 戸山ケ原へ演習に出かける近衛の兵隊さんは、鉄砲を担いで毎日神楽坂を通る。往きは高らかに軍歌を歌い、帰りは余り高らかでない。往きは力強い軍靴の音の音も、帰りは余り強くない。帰り道、隊長さんが大きな声で軍歌の一節を歌い上げると、それに続いて疲れた兵隊さん達は、声を振り絞って歌い始める。
 子供等は、からの薬莢を貰いに隊列に駆け寄る。「こらーっ」。隊列の横をはみ出したように歩く偉い兵隊さんに叱られるが、顔馴染みの兵隊さんは、目だけで笑って、そっと、空薬莢を子供等の足許に投げてくれる。薬莢の数が多い子供は仲間うちで巾を利かせる。秋が来て兵隊さんの数が減ってきた。みんな戦争に行ったのだと、大人達は小声で話し合う。学校では亜細亜の平和を守る為、日本は戦っているのだと教えられる。

 パーマネントも禁止され、「ゼイタクは敵だ」のスローガンに、店の貴金属はみるみる減って、時計とメガネだけの商いへと移ってゆく。店の人達にも召集令状がきて、皆田舎に帰り、戦争に行ってしまった。とよさんは徴用にかり出され、店は父と母の二人。入舟町からハルは神楽坂に帰って来た。父は、時々奉仕隊を組んで、組合の人達と指定された軍隊へ時計修理に歩き回る。メガネをかけた出征兵士は、幾かけもメガネを持って、戦に出かけて行った。

 (つづく)   第10回

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連載小説「神楽坂」第8回

連載小説「神楽坂」           第7回

第8回

 陽に焼けた肌にお風呂のお湯は飛び上がる程痛い。二人の妹があがると、母はゲンとテルを呼ぶ。シャボンのついた大きなヘチマを構え、母は逃げるテルを追い廻す。ゲンは手拭いでそーっと洗ってさっさとあがってしまう。「ずるいや、ずるいや」と、ゲンの後を追いかけるテル。縁側に切った西瓜が並べられると、一番大きそうなのを真っ先にゲンが見付け、ペロペロと二、三個舐めて、「これ、俺の」。次にテルが二、三個舐めて、「これ、私の」。それを見た妹のカズが母に言いつけにかけ出す。今年もゲンとハルは並んで叱られる。従兄弟達は割合いおとなしい。

 従兄弟達の家には、家柄と躾にやかましいお婆さんがいて、家中の女の人を叱咤してオカラで長い廊下を磨かせ、ゆきとどいた明治生まれの目で躾けてゆく。従兄弟達の家は麹町で製本会社をやっている。ここへ嫁いだ叔母はテルの母とは水と油ほど性格が違うが、たまに神楽坂へやってくると、時計ばかり気にしてせわしなく涙をこぼす。姑の口のうるささは御近所でも定評。オカズの味付けから掃除の手順、果ては輿入れの道具のあれこれ。乳母日傘で育った入舟町の母親にゆったりと育てられた叔母が姑に追いつく訳もなく。忍の一字で首をたれたまま。せっせと三人男の子を産んで、末の子が這い廻り始めたある日、家の二階から叔母が落ちたという連絡が入る。取るものも取りあえず駆けつけた祖母と母、命に別条がなかったのが何よりと顔を見合わせ、しばらくは詳しい話もしなかったが、なんと始めに落ちたのは這い廻る末の男の子。運良く庇の端に引っかかって、手足をばたつかせる我が子を拾い上げるつもりで、目一杯手を伸ばした叔母は、虚空をつかみそのまま落下。子供のほうはまったく無傷で男手に助けられたと言う。その後、寒さが訪れると、叔母の足腰はうずいたが、口うるさい姑をひかえた療養は思うにまかせず、母の使いで尋ねたテルは、コルセットを付けた下半身を引きずり、勝手もとに働く叔母が痛々しく、どっちを向いてもお姑さんは恐いものと見せられて育ってしまう。

 ゲンとテルは、海に出るとと赤旗まではかるい。ゲンの方が背も高く泳ぎが早い。その後を負けん気のテルが追う。暗い内に起き出して、ゲンは近所の漁師の子と蛸つきに行く。その後をまたテルが追う。
 テルの家では毎年、浜に並ぶお茶屋さんからテントを借りる。名入りのテントだから、かなり遠目でもすぐに見分けられる。陽気な叔父が「これで家紋が入れば、葬式用のテントですな」と、シャレのつもりで言ったら、「縁起でもない、黄色地ですから関係ありません」と母がきっぱり言い返した。このテントは片流れで、大人が楽に七、八人はゆったりと座れる。子供等は、大人達が家から運んでくるおにぎりやゆで玉子を、番茶で胃へと流し込み、水辺にとって返す。「食後は、駄目、駄目」と母や叔母に追い回され、掴まえられてしまうと、テントの隅で濡れ手拭いを額に乗せ、無理に短い昼寝をさせられる。ただ、横になるだけでもそれが嫌さに、ゲンとハルは浪子不動尊が祭られる岩場へ蟹をとりに行ってしまう。
 オヤツは、お茶屋さんから岡持に入ったゆで小豆か、おでんが届けられるが、母と叔母は、砂地で作られる中身の白い「おいらん」と銘々されたさつまいもを、バスケットから取り出しもぐもぐ。カブガブと麦茶のお代わり。余り泳ぎもせず、お喋りと食慾だけだから、気にしている夏太りに拍車がかかる。風が強く、パタパタと黄色のテントが鳴っている。
 「今日は波が高いから、赤旗は駄目よ。」と母はくどい程の注意をする。

 赤旗の手前で泳いでいたハルの右足が急につった。急いで向きを変えたことが間に合わず、かかえた波乗り板もろとも高波に呑み込まれた。頭がガーンと鳴り、口元が痺れた。身体が音のない冷たい所へと引きずられてゆく。遠のく意識の中で、「お母さーん」と叫んでいる。折しもハルの腕を誰かが掴んだ。気付けば、大きなテントの中で硬いベッドにハルは横になっていた。白衣を着た医大の学生さんが数人周りを囲んで、枕許に手を合わせた母の顔。ハルは、一瞬もう拝まれてしまったのかと思った。口にたっぷり脱脂綿を咥えさせられて、喉がひりひりする。
 「気がついた、気がついた、もう大丈夫ですよお母さん」と学生さんが言う。
 濡れた水着は脱がされて、一糸まとわぬ身体は厚い毛布に包まれているが、寒くて手足が震える。咥えた脱脂綿のあたりが心もとなく、舌の先で探れば、なんと歯がない。上の前歯がきっかり二本折れていた。いつも首からさげている成田山のお守り札が胸元に真っ二つに割れぶらぶらと今にも落ちてしまいそうだ。母はお守り札を拝んでから、大切にちり紙にくるんだ。

 運悪く、夕方神楽坂のお婆ちゃんが東京の店に戻っていたトヨさんと、突然一緒に現れた。
 「ハル、お守り札が身代わりですよ」。おごそかなお婆ちゃんの声にさそわれ、ハルは涙をこぼし、言われるままに手を合わせた。
 「水には気をつけないと子供たちの飲み水も浴びる水も」。お婆ちゃんはきっちり座り直して母に言った。
 浴びる水などと言うので、隣の部屋にいた叔母が、トヨさんと二人で笑いをこらえかね、庭に飛び出してゆく。
  「海も今年でお終い、来年からはもう来られないでしょうよ」。奥の部屋から蚊帳越しに母の声。
 「そのうち、みんな戦争に行ってしまう」。入舟町のお婆ちゃんがため息をついた。浴びる水のお婆ちゃんは、向いの部屋で高いびき。

 八月になると土用波がやって来る。もう赤旗まで泳げない。浪子不動尊の岩場は寄せる高波に包まれ、飛沫が虹色に輝く。子供等はそろそろ夏休みの宿題のまとめに追われる。夏休み帳のまとめに追われる。夏休み帳を幾日分もたて続けに書いて、毎日の天気は積み上げた新聞紙をひっくり返して予報通り書き込んで行く、当たりはずれは仕方がない。解けない問題は代わる代わるゲンに聞くが、ハルとは一才違いのゲンは人ごとじゃないとうるさがり、自分の帳面だけ持って逃げてしまう。仕方なく母が大きなテーブルを出して、その通りに子供等を座らせ、「毎日やって置かないからでしょ」と言いながらも、目を通してくれる。
 八月を半ば過ぎると海辺のテントも疎らとなり、葭簀張りは店仕舞いを始める。今年の夏は、横須賀の三笠艦も見学せず、逗子の街もさほど賑わいもしなかった。

(つづく)   第9回

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連載小説「神楽坂」第7回

連載小説「神楽坂」           第6回

第7回

 テルが、牛込見附の停留所で、走るチンチン電車をぼんやり眺めていると、「テルさーん」と、健どんが自転車を押して、真っ赤な顔でとんで来た。「叱られる、叱られる」と節をつけながら手を叩き、自転車の荷台にテルをしっかり乗せた。
 当時、神楽坂のおばあちゃんは、まだまだ元気で、母と日がな陰湿な頭脳的冷戦を繰り返していた。祖母はテルが初孫なのに、やたら入舟町にやられるのを面白く思わず、テルが戻れば取り分け甘やかす。
 おばあちゃんが唄う、地獄・極楽の御詠歌は、神楽坂でのテルの子守歌だ。
 「地獄の鬼めがあらわれてー」の所にさしかかると、後は夢うつつで眠ってしまう。
 しかし、今夜は人さらいのお話をたっぷり聞かされて、テルはこわい夢を見た。
 ゲンは大人のトラブルなぞどこ吹く風、検査の結果、今年も大事なく、海に出かけて大丈夫と医者の折紙つき。どこかの大人が、父につまらぬ告げ口をしたばっかりに、テルは入舟町と神楽坂を、不自然に行ったり来たりした。

 逗子の家につくと、大人達はすぐさま大掃除。子供等は入舟町のおばあちゃんに連れられて砂浜へと、すっ飛んでゆく。神楽坂のおばあちゃんは、ひと夏に二度程しかやって来ない。逗子に行く時節になると、「お父さんの身の廻りは、私にお任せなさい」と楽しげに言い、いそいそと皆を送り出す。夏の間だけ店から母がいなくなると、大入りの日でも好きな夜食は現れず、三度の食事のおかずも粗食となる。
 代わる代わる逗子に泳ぎにくる店の人は、「おかみさんがいないと、まるでお寺のオカズです」と口々にこぼす。母は、近所でつぶした新鮮な鳥肉と魚を、神楽坂に戻る店の人に必ず持たせる。

 父には、たった一人の弟がいる。独身のまま、毎日映画と芝居見物に浮き身をやつし、飽きもせず宝塚歌劇の大ファン。三十歳の独身は、どこかおかしい人か病人だけだと大人達は陰口をたたく。かかさず通う宝塚歌劇に、毎月ハルは連れて行かれたので、ブロマイドを抱きしめあこがれる年頃には、テルはその先を見つめることが出来た。
 叔父のお役目には、テルとカズの幼稚園の送り迎えがあった。小春日和の午後。格別用事のない日は早や目に幼稚園にやってくる叔父。今日も子供用のブランコに揺られうとうと昼寝。五分刈りの白髪頭に山羊髭を生やした小使いの小父さんは、退屈を持て余す叔父を目の敵にして、竹ぼうきを片手に駆け寄ってくるなり、
 「子供用のブランコですから、大人は乗らないでください」
 半眼を開いた叔父、尚もウトウトと首だけは縦に振るが、一向にブランコから降りようとしない。山羊髭はいらだち職員室にかけ入った。やがて年配の先生を先頭に意気揚々と引き返した山羊髭は、うだうだとこの先生に状況説明。やっと気付いて立ち上がる叔父。古参の女先生は、白粉気のない顔で、半ぱ者を見下す態度もあらわに、何故ブランコに大人は乗ってはならないかと、こと細かな御訓戒。ペコペコと頭は下げても、叔父の目はとぼけて空を見上げている。ぞろっとした着流しに、ほのかな香水の匂いまでさせた、のっぺりの二枚目半では、とても幼稚園のお迎えの姿とは思われない。袖をかき合わせたなら、落語に出てくる朝帰りの若旦那の風情だもの。皆様のお怒りもごもっとも。正面玄関の鐘が鳴ると、園児はいっせいに玄関から駈けだしてくる。叔父は、母の言い付け通り駆け寄るテルのスカートをまくって、まず、パンツの有無をたしかめる。テルは、幼稚園の便所に入ると、家でやっているようにそっくりパンツを脱いで、つかまる為に作られた目の前の横棒にそれをひっかけ、用を足すとそのまま忘れて家に戻ってしまう。だからテルのパンツは、もらした分も入れると、一ヶ月にざっと一ダースは消えてしまう。
 
 テルが叔父に手を引かれ幼稚園を後にしたからといっても、まっすぐ家に戻るとは限らない。〈さわや小間物店〉の角から三軒目のお好み焼き屋で牛てんを食べるか、土手公園のベンチで叔父は昼寝の続きをはじめる。テルは松の木の間を飛び跳ねて叔父の目覚めるのを待つ。まっすぐに帰った時は、二階の広い押し入れの上の段で、毎度、狼と羊のおとぎ話を聞きながら、叔父に抱かれテルはすやすやと眠る。陽が傾き始めると、陽に当てたふとんを仕舞いにとよさんが、押し入れの戸をガラッと開ける。
 「あらっ、また」あきれ返って息を呑む。別段悪びれた風もなく、のそのそと起き出した叔父は、手拭いに石鹸箱と髭剃りをくるむと、テルの手を引き〈熱海湯〉に出かける。〈熱海湯〉と言っても熱海まで行く訳ではなく、坂の裏手にある銭湯の名前だ。お座敷前の芸者さんでお風呂は一番混む時間。帰りはお風呂屋の前の〈シバタ眼鏡店〉の縁台に腰掛けてひとやすみ、磨き上げた衿のほつれ毛をつげの櫛でかき上げ、せわしげに暖簾を分け、すっぴんの顔のままの急ぎ足のおねえさんおば品定め。

 さて、無類の食道楽な叔父は東京中の美味い店を尋ね歩く。日曜日は新宿の〈中村屋〉へ。カリーライスを食べにわざわざと出かける。伊勢丹の前には〈新宿日活〉がある。表のスチール写真の前に叔父が立っていると、支配人らしき人が駆け寄り、「どうぞ、どうぞ」と小腰をかがめ、叔父を映画館に招じ入れようとする。右手を鼻の先であわててふる叔父の手に、素早くテルがぶら下がった。
 間違いに気付いた支配人は、「失礼しました」と、それでも小首を傾げ振り返りながら引っ込んだ。ああ! これほど、叔父はアラカン(嵐勘十郎)さんにそっくりなのだ。
 この頃のテルは、とよさんに作ってもらった鞍馬天狗の頭巾を叔父に被せ、やんやと手を叩く。叔父もすぐその気になって、椅子に跨ると、馬上ゆたかな見得を切る。

 こうした太平楽な生き方も自分の父親の没後は、さすがに改まり、商いを嫌って勤め口を決め、仕事場に近い中央線の立川駅近くに世帯をもった。宝塚歌劇のスター小夜福子に似た口数の少ないおすましの新妻と連れ立ち、叔父は今年も逗子にやってくる。落ち着いた風でも賑やかさ改まる筈もなく、底抜けに面白い叔父の独演会は、逗子に集まる子供達のかかせ遊びの幕開けだ。お得意は、「愛染かつら」高石かつ江。東京駅で恋人浩三との別れのシーン。この極め付けを見ぬ事には、逗子の夏は始まらぬ。普段早や口の叔父も、この時ばかりはたっぷりと子供らを客に見立てての大熱演。先ずは母の長襦袢をはおり、叔母のショールに首を埋め、半分顔を隠すや、ホームの階段を息せききってあがる仕草、今しも発車せむとする電車の窓に愛する人を見とめ長襦袢をひるがえし駆け寄る。無情にも発車する車窓にすがり、くさい思い入れをここで延々と続け、「こうぞうさまーっ」と、絶叫するとおしまい。さすが、自分の奥さんと大人達の前では絶対やらぬが、子供達にはそっと見せてくれる。しつこく子供らにせがまれた朝は、叔父は一日中、ウキウキとして、子供達はワクワクする。夕食後開演のナイショの舞台は、裏庭のお稲荷さんの隣にあるお蔵の中。長い長持ちの影から踊り出る叔父の早替わりに子供らは大喝采を送る。

(つづく) 第8回

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可久鼓桃 短歌と絵 第2回

可久鼓桃 短歌と絵 第2回

可久鼓桃絵第2弾

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見て仰ぎし あの摩天楼よ 街角よ
自由の国の 命飲み込みぬ

連載小説「神楽坂」第6回

連載小説「神楽坂」           第5回

第6回

 秋の神楽坂は、赤とんぼが街に迷い込み、唐草の大風呂敷にノシのかかった名入りの手拭いの数々を包み、それをよいしょと背負った「箱屋さん」が尻っぱしょり裏通りを飛び回る。
 地味なお座敷着の「いっぽん」の芸者さん。箱屋さんを従え、馴れた手付きで褄を取る。この日ばかりは主役の半玉は襟足の汗を香水紙でそっと押さえる。粋な格子戸をさらりと開け、
 「ハイッ、御披露目でーす」と箱屋の小父さん。専属の置屋の屋号と、御披露目する半玉さんの源氏名を告げる。やがて、その家の女将さんに続き、顔を出す。芸者さん方の浮いた褒め言葉。
 中の一人がさりげなく手をのばし、指先で主役の衣装を値踏みした。この三人でワンセットの一行は、「よろしくーっ」と賑やかに、次の格子へと歩み出す。
 古株の芸者さんがうっとうしげに、じろりとテルをにらんでも、この儀式がちんどんやさんより面白く、つかず離れずテルはとことんついてまわる。
 向かいの「田原屋」の店先に秋の果物勢揃い。
 左隣の「菱屋」では、紺の前かけの小僧さんがめくら縞の着物にたすきがけで糸巻機械の前に居並ぶ。これは「菱屋糸店」おなじみの看板シーンなのだ。
 びゅんびゅんと小気味の良い音を店内に流し、様々な種類の糸を小巻きに取り分けてゆく。
 右隣の洋食専門店「鎧亭」は、トルコ・ライスのきつい香辛料の香りで客を呼ぶ。母は、店の売り上げが大人の日は、夜食として店の人それぞれが好きなものを「鎧亭」から取り寄せる。
 夜店のアセチレンランプの鼻をつく匂いに馴れっ子のテルは、古本の陰で本の立ち読み、はす向かいの三和銀行の角を曲がれば、紅白の幕を張り巡らした中で、「熊公焼き」がどんどん焼き上がり、買物篭を下げた小母さん達は並んでも買って帰る。たまには、大きな声を張り上げ、この店の夫婦はすさまじい喧嘩を繰り返しているのだが、結局、仲直りの挙げ句、甘い潰しアンを鼻唄で小母さんが練り上げている。神楽坂では、知る人ぞ知る「熊公焼き」。雨さえ降らねば年中無休。

 冬の神楽坂は本多横町の入口に近い喫茶店「山本コーヒー」の香りに、近隣の大学生があまた集い、議論の花を咲かせる。
 その向かいの「サムライ堂洋品店」は、間口が広く。大きなウインドウに等身大のマネキン人形が、舶来のシャレた紳士用品を着て、暮れの大売り出しを待っている。
 「毘沙門様」の左隣の「藪蕎麦」で年越し蕎麦をたぐり、「土井さんの原っぱ」で凧揚げ、羽根つき。独楽回し。坂の途中の「亀井寿司」。生うにでお銚子をかたむける父の膝を揺すり、テルはまぐろのトロやイクラの握りをねだる。
 大店を回る町内の頭の威勢の良い木やりの美声に上気して、梯子乗りを御見物。芸者さんの髪に稲穂のかんざしが揺れ、神楽坂演芸場で志ん生が初笑いを一席。
 文具の「相馬屋」でぴかぴかのノートと、書き続けもしない日記帳を揃え、外国映画専門の「牛込館」で、ジョン・フォード監督の西部劇「駅馬車」を見た。
 桜が咲けば、靖国神社の御大祭。母の嫌がるゴミソバ(ソース焼きソバの事、屋台で作るので、ゴミも入っていると大人達は言うのです)の立ち喰いを、今年もテルはやってのける。


(つづく)   第7回

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可久鼓桃 短歌と絵 第1回

可久鼓桃 短歌と絵 第1回

可久鼓桃絵第1弾


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世界中の 光あつめて 夢をうる
ブロードウェイ 宵の万華鏡



連載小説「神楽坂」第5回

連載小説「神楽坂」       第4回

第5回

 夏の神楽坂は、風呂帰りの芸者さんの粋な抜きえもん(衿をぐっとはだけた色っぽさ)の浴衣姿で始まり、足元に「助六」の柾目の通った桐の駒下駄からころと。「山本山」で煎り上げる、ほうじ茶の香り坂にたなびく。パンの「キムラヤ」の向かい角を入ると、赤い鳥居のお稲荷さん。角の「田毎(たごと)」(置屋)の雄武はよく喋る。
 「オネエサン、ドコユクノ?」
 「チェッ! 張り番じゃあるめいし、おうきにお世話さま」
 仕込っ娘(しこみっこ・半玉になる前、学校に通いながら芸を習う)さんの友達と、石蹴り、縄跳び、隠れんぼ、さても、この通りは、我々のワンパク溜り。はやばやのお出ましのお客が行き過ぎる。
 「オネエサンがお待ちかねーっ」
 透かさず友達のかけ声が飛んで、おなじみさんの背中にぶつかる。
 「おう」と振り返ったおなじみさん。
 「友達」の許へ来ると、ニヤッと笑い、お小遣いをつかませ、すたすたと立ち去る。
 さあて、さてさて、ジャンケンで負けた奴が「キムラヤ」へ走って、有名な「ヘソパン」を買ってきた。これは、ままある裏通りの出来事。ワンパク連中は、これを御祝儀と呼んでいる。

 テルの店のショーウインドの中には、タイル貼りの細長い池がショーウインドにそってぐるりと作られている。夏はこの池の中に水藻が浮かび、まだらな小石が敷き詰められ、その間をひらひらと、お大切な金魚が泳いでいる。この金魚をお他界させず、夏越しさせるに、店の人達はひと苦労。金魚用の冷蔵庫の中は氷でいっぱい。ぶっかき氷を多からず、少なからず、時を決めて入れてゆく。その日の天気と氷の量を雑に扱うと、金魚はご他界となる。先代の趣味が「しきたり」となり、金魚と店の人達には、大変な御迷惑。

 神楽坂は毎日が御縁日。夏は西瓜の叩き売り。テルは夕食もそこそこに、人垣の足の間をくぐり抜け、かぶりつきで日毎の御観覧。小父さんは、立て板に水のしゃがれ声と面白いセリフで客を引き付ける。
 店仕舞いまで通い詰めるテルに、呆れかえってはいるが、おじさんは、西瓜を一切れ必ずくれる。
 すると、決まって、お迎えに来る健どんが、今夜もテルの後で、テルの今もらった西瓜を見ながら眉を寄せる。
 「オネショですよ、オネショ」と言うや、西瓜は、早くも健どんの口の中。

(つづく)        第6回

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連載小説「神楽坂」第4回

連載小説「神楽坂」           第3回

第4回

 明くる日は日曜日だった。
 テルはオヤツを片手に、登り馴れた土手公園の松の木の上で、遠くなった入舟町の空を見ていた。
 昨夜からざわつく家の空気を嫌って松の木から松の木へ見える筈もないのに入舟町を全身で見ていた。
 忙しい商家は、夕方になってテルのいないのに気付く。店員の健どんと清どんをせき立て、父は自転車にまたがり、三方に別れ走り出す。
 「ちんどん屋の好きなテルの事です。また、ふらふらと後にくっついて・・・」と、走り出した三人の背中へ母が叫んだ。

 土手公園の数々の松の木はテルの物思いのハンモック。登れぬ松は逓信病院の前にそびえる、太くて高い老木だけ。松の木だらけの土手公園は、飯田橋から市ヶ谷見附を抜け四谷見附まで、お堀を眼下に見て長くのびる。セーラー服と詰め襟の影が、幾組も夕陽を浴び、土手の斜面で絵になる。お堀のボート屋さんの提灯が、ずらりと祭りのように灯る頃。一組の影は、テルの登っている松の根っ子に腰を降ろしてしまった。詰め襟が皺だらけの手拭いをのばしながら、気恥ずかしげにセーラー服の座る場所をつくる。セーラー服がまっ先に、ハンカチを取り出し、詰め襟の足許を軽く叩きうながす場合もある。
 息を殺して、見下ろすテルには、聞き取りにくい二人の会話の所々をつなげても、ちっとも面白くない。このカクレンボこそが面白いと思っている。
 すすり泣くセーラー服に、謝る詰め襟。果ては、とばっちりが松の木に及び、男が盛んに松の木を揺すりだす。この手合いは、初めから騒々しい。落とされまい松にすがるテル。手の平に血がにじむ。今日のテルは、オシッコに行きたくなった。下を見れば、二人仲良く顔を寄せ合った所。なんだか、声をかけるのが悪いなぁと思っては見たが、「あのーっ」と、上を見上げたセーラー服が飛び上がった。テルを見るや詰め襟は、舌打ちをしつつ、松の木を揺すり、唾を吐き、セーラー服の肩を抱きなおして立ち去った。
 二人が遠ざかるのを確かめ、テルはするすると地べたへ、つつじの裏側でオシッコする。さっぱりとした腰をふりふり、飯田橋駅前に立つ。
 両側の商店のあかりが、神楽坂を浮き上がらせ、まるで、天国行きの滑走路だ。春の神楽坂は、扇模様の石畳に、滑り止めのギザが入れられ、お化粧直し。すり減っていた扇模様がくっきりと美しく、半玉さん(芸者になる為勉強中の人)の襟足に似て、青白く真っさらだ。春雨なら、扇模様のくぼみを面白く雨が伝う。所々に、小石を詰めれば、思い通りに雨水はくぼみを走る。
 テルの道草は、赤いゴムガッパにランドセルを背負ったまま。流れの強い「さわや」の前にしゃがんで、この遊びに時を忘れる。梅雨時は「白木屋さん」の広い店内が寄り道コース。化粧品を並べたマネキンさんに呼び止められ、夏のお化粧の実験台にされた。玩具売場はテルの根城。母と仲良しの女子店員さんに可愛がられ、地下の「月ヶ瀬」であんみつを一杯。優しい美男子の店長さんがいる「白木屋さん」。


(つづく)         第5回

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連載小説「神楽坂」第3回

連載小説「神楽坂」           第2回

第3回

 夏生まれのテルは夏が大好き、海が大好き、西瓜が大好きで、トウモロコシが大好き。
 一学期の通信簿を手にすると、よく学べの母の許へ。テルはよく遊べ、ちょっと学べと決めているが、勉強は嫌いではない。学校の点数だけが母に認められ、父兄会には、母が必ずやってくる。参観日には勢いよく手をあげ、我が存在を確認させんと張り切る。
 その日は、神楽坂の百貨店「白木屋」の角にある「月ヶ瀬」で、フルーツポンチやホットケーキが食べられる。母と二人きりで食べるのだ。母の袂にぶら下がり、手洗いまでついてくる妹のカズも、この日ばかりは御遠慮だ。神棚に通信簿を上げ、パチパチと手を叩けば、毎年行く、大磯の家への避暑支度が始まる。
 今年はテルも背が伸び、「いさみや」さんへ御注文の仕立て卸しの海水着。奥の人達は、大異動だが、店の休日は父と店の人達が前日からやって来て、大磯の家は、修学旅行の宿屋さんに様変わりする。入舟町の祖母もゲンも無論一緒。母方の従兄弟の中でテルは最年長。今年は、生まれたての三女のヒサもいて、母の荷物が大きく脹らむ。ゲンの兄弟は、生まれてすぐに死んだ子供を数えれば、たくさんになるが、ともかくゲンは末っ子だ。ゲンを「四十の恥かきっ子」と、陰で人は言う。三人のゲンの姉達はテルの母も入れ、しかるべく嫁ぎ、今では男のゲンが一人。
 ゲンはテルの母を「カグザラカ」の姉ちゃんと呼ぶ。幼い頃、口の回らぬまま、「カグラザカ」を「カグザラカ」と言い馴れたゲンは、面白がって、そのまま、それで通している。
 学校の成績はよろしく、男なのに妙におとなしい。以前、軽い小児結核を患ってより、余り太らず、ひょろっと背が伸び、女の子のような大きな目に睫毛が長い。片親となっても、母親に心配をかけず、親の御自慢の息子だ。
 ゲンは時々お医者さんで検査を受けてはいるが、今は大した事もない。
 ある日、せかせかとして入舟町の店へ父がやってきた。
 きょとんとした目のテルにランドセルをいきなり背負わせ、物も言わせず待たせていたタクシーにテルを押し込め、神楽坂に連れ帰った。馴れきった入舟町での生活と別れがたく、おかしいと思いながらも、テルはお迎えのタクシーに乗り、はしゃぎながら神楽坂に帰った。


(つづく)           第4回

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連載小説「神楽坂」第2回

連載小説「神楽坂」          第1回


第2回

 多摩の庄屋に生まれ、乳母日傘で育った祖母のキミは、何が起ころうが、おっとりとあるがままに生きる女。嫁入り前の娘三人と五歳のゲンを残し、夫に先立たれた。そこでテルの母が嫁いだ神楽坂の店と入舟町の店は合併した形となる。神楽坂の舅は、日華事変開戦の年、あの世へみまかり、口やかましい姑は喧嘩相手の旅立ちに、少々気が折れ、優しい佛顔になり、間もなく佛になった。
 そんな、こんなの代替わりが済んでから、母は店に出るようになった。奥向きはお手伝いのトヨさんにまかせ、天性商い上手な母、ツルの出番である。店は益々繁盛し、いつの間にか、母は三女ヒサを生んでいた。従って、テルの入舟町住まいは、なおも長引く。

 チンチン電車は新富町から築地へ。築地の交差点の角に間口の広い瀬戸物屋があって、テルの背丈より高い瀬戸物で出来た裸の狸が一升どっくりを下げて、ギョロ目で立っている。テルは、この狸がお気に入りで、今朝も電車の窓から手をふって、「おはよう」と声を掛ける。歌舞伎座の手前に掛かる橋の欄干にちょっと休んでいた鴎が走る電車の音で舞い上がる。
 銀座から日比谷へ。
 休日、ゲンとテルは揃って日比谷公園までやってくる。車の往来が少なく、小学生でも、ものの二十分もあれば辿りつく。半蔵門から四谷見附。ここで乗り換え、市ヶ谷見附を通り、牛込見附(神楽坂下)。ランドセルをカタカタいわせ、飛び降りたら、車掌さんに叱られた。でもね。口笛を吹きながら、神楽坂をのぼる。坂の途中にある「さわや小間物店」を右に曲がると、父の代からお世話様の津久戸小学校にやっとつく。学校帰りは、坂を登り切った右側に、大きな目玉の看板がてっぺんに乗っている店に必らず寄る。入舟町への届け物は、裏口で母が紫色の手提げ袋に入れる。大事な物は、更に小袋に納め、その上を新聞紙でくるみ、必ず、この手提げの底に入れられる。
 「おばあちゃんの言う事をよく聞いて」と母は厳しい顔して言う。
 テルは大きくうなずきながら、そそくさと店にまわる。大きな金庫を背に若禿げの頭を、手拭いでいつも拭いている父の所へ。ニャッと笑うテルに、「ナイショ、ナイショ」と、たいてい小遣いをくれる。仕事場に並んだ店の人はガラスで仕切られた囲いの中で、時計の修理。
 一番古株の健どんが「テルさん、もうすぐ祭りですよ。御神輿が待っていますよ」と声をかける。
 テルは小若半天の男づくりで神輿をかつぐ。じゃらじゃらと、山車なんぞ引いた事もない。神輿が満員御礼の折は、山車のてっぺんによじ登り、太鼓を叩く。
 お祭り大好きのテルは、氏子でもないのに隣町まで祭りを追う。
 色白の顔に、おかっぱ髪を肩で揺らし、どこまでもテルを追う妹のカズ。
 小学校のテルの机の隣には、なぜかカズのお席がある。登校時、テルを追い教室までやってくるカズに、根負けした先生がおとなしいカズを見込み、テルの隣にお席をもうけてくださったのである。
 砂糖菓子に似て、触ると壊れそうなひ弱なこの妹は、首の廻りに桃色の真綿をちょこんと巻いて、病院通いが絶えない。ニコニコしていたと思うと、すぐに泣き出す。カズの泣き声に大人達はすぐに駆け寄り、何だか解らぬ内に、なんとなくテルは叱られている。妹の近くに寄ると粘っこい風が立つ。そこで、触らなければ風も立つまいと・・・。
 「お姉ちゃん、帰るの?」カズが寄ってくる。
 何が「帰るの?」だ。段々、この家が遠くなってしまう。路面電車の中で、神楽坂を見返り、次郎物語のようだと考え込む。テルの目から涙が出た。堀端を抜け、服部〈和光〉の時計台が見えると、ほっと一息。たいして小言も言わず、余り構いもせぬ祖母の気安さに、テルはいそいそと戻ってゆく。

(つづく)       第3回

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連載小説「神楽坂」第1回

連載小説「神楽坂」

第1回

 鈴蘭燈のあかりと、向かいの呉服屋の看板の明かりが、このあたりでは珍しい三階建てのしゃれたバルコニィを越え、部屋を程良く照らす。鬱陶しい長雨に天井の染みは濃く浮き上がり、砂づりの壁はじっとりと仏壇の線香の匂いを吸いとる。

 時計・眼鏡・貴金属を商う店。その真上の八畳間。祖母を挟んで、テルは一つ違いのゲンと眠る。
 叔父・姪で、乳兄弟のこの二人。向こう気の強いテルに、幼くして父を亡くしたゲン。ちゃんばらごっこで、下っ引きの役しかもらえないゲンと、丹下左膳では、いつもチョビ安のテル。「御用!御用!」の掛け声の間を、台所からそっと持ち出した味噌壺を抱えテルは、ひょいひょいと逃げ回る。これは「コケ猿の壺」のつもり。ゲンは、十手に見立てた木切れを手に、用心深い目つきで、無鉄砲に動き回るテルを遠くから眺めている。

 築地に近い入舟町。風の吹きようで潮風も運ばれ、煮しめ屋と、焼芋屋の匂いが香ばしく混ざって、夕焼けに染まる町並みを通り抜ける。角の桶屋の小母さんが、店の前へ七輪を置いて、しぶうちわ片手に魚を焼きだすと「また、あした、また、あした」と声を掛け合い、子供等は散っていく。汚れた手足で、ゲンとテルが店の裏口に立てば、のんびりとした声と裏腹な祖母の声に乗った雑巾が、はっしと飛んでくる。やがて、ゲンは煙のようにすぅーと家に入る。テルは、「腹減った、腹減った」と唄い散らし、洗い場にかけ入り、シャボンの泡でのんびり遊んでいるゲンの後から「早く、早く」とせき立てる。
 「テルさんは、お母さんのお腹の中に、忘れ物をして来たんだね」と、通い職人の福田さん。柱時計の箱掃除の手を止め、夕食の下見にあらわれる。

 裏隣の一人暮らしお婆さんは、夕方のお題目。テルには、「チャーリキナ、チャーリキナ」としか聞き取れない。 窓越しにのぞけば、火の用心のおじさんが叩く拍子木より短い。つやの良い木片を両手に、酔ったように身体を揺すっている。その隣のよっちゃんの家は、子沢山。ひつめ髪におくれ毛をなびかせ、ついぞたすきを外したことのない小母さんが、いたずらの絶えない三男坊を追い回す。背中にくくられた赤ん坊は火のように泣き、小母さんの声が裏通りにとどろく。小父さんは、いつもニコニコとあいそが良く。天気の良い日だけ、銀座の服部時計店(和光)の近くで、表札書きの露天商。時々光る鋭い目付きを隠し、腰が低いと御近所の評判。駄菓子屋の前で、よっちゃんと、ベー独楽をしていると、「仲良く遊んでな」とテルの頭を撫で、二人にニッキ飴を買ってくれる。

 テルの家は牛込(新宿区)の神楽坂を登り切った所に先代からある時計・眼鏡・貴金属商。
 テルのすぐ下の妹は、身体が弱くて泣き虫。テルの母は、姑と折り合いが悪く、舅は無類のお人好しだが、酒癖が悪く。テルの父は気が弱く。店は忙しく。その所為か、テルは母の実家の入舟町の店に、いつもお預け。小学校は、チンチン電車で、新富町の停留所から、牛込見附(神楽坂下)まで通う。
 入舟町二丁目。これがテルの出生地。難産のあげく、脚気になった母はテルに乳がやれぬ。前の年、ゲンを生んだばかりの祖母の乳を飲んで育つ。そこで、一つ違いの叔父と姪は、乳兄弟にもなってしまった。ゲンは母キミを「おっかさん」と呼び、テルは「おばあちゃん」と呼ぶ。
 三人揃って銀座へ買物に出掛けると、ゲンは自分と同じ年頃のテルが、人前で母を「おばあちゃん」と呼ぶのが嫌さに、お留守番が好き。祖母を一人じめしたテルは、デパートで「おっかさん」と祖母を呼んでみる。「嫌だよ、この子は」。ちょっと美人で気取り屋の祖母は、満更でもない苦笑い。
 すると、帰りは「銀ぶらに天國、天國の天ぷら」とこうなる。当時、マッチに印刷されていた「銀座天國」のキャッチフレーズである。

(つづく)      第2回

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平成20年1月 日々雑感

入り相の 鐘の音咽び 江戸風情
朝顔・風鈴 熊手・羽子板


いりあひの かねのねむせび えどふぜい
あさがお ふうりん くまで はごいた

釣瓶取られ 情けの河は 荒立ちしが
時を跨ぎて 程良き日和


つるべとられ なさけのかわは あらだちしが
ときをまたぎて ほどよきひより

その上に 相合の傘 空に舞ひ
たどりてめぐる 傘寿春雨


そのかみに あいあいのかさ くうにまひ
たどりてめぐる さんじゅはるさめ


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新年のご挨拶

謹んで初春のお慶びを申し上げます

楽も苦も 「教科書でした」と ふり向けば
汗と涙は ポケットの中


らくもくも きょうかしょでしたと ふりむけば
あせとなみだは ポケットのなか

               ~可久鼓桃~

                     平成二十年一月元旦 (つちのえ・ねずみ)

短歌集「残照の章」

沙羅双樹の ゆれる葉陰に 指折らば
 三十七年は うたた うたた寝


サラソウジュの ゆれるはかげに ゆびおらば
 さんじゅうしちねんは うたた うたたね

亡夫三十七回忌なり


汝れは生き甲斐と 抱きくれし 夫ひたすらに
 我こそしかく 今日迄を来つ


なれはいきがひと いだきくれし ツマひたすらに
 われこそしかく きょうまでをきつ

三十七年をたどる・・・


薬投ぜし 湯けむり立てて 秋霖の夕べ
 冷えてぞあろう 夫(つま)の背を待つ


くすりとうぜし ゆけむりたてて しゅうりんのゆうべ
 ひえてぞあろう つまのせをまつ


痛む胃に 耐えかね起きる 夫の背を
 さすれば 骨の継ぎ目 触れたり


いたむいに たえかねおきる つまのせを
 さすればほねの つぎめふれたり


その痛み 変わりようなし やるせなし
 夫(つま)の背越しに 靄の晩秋


そのいたみ かわりようなし やるせなし
 つまのせごしに もやのばんしゅう


秋の夜なが 語りつかれて 夫(つま)と共に
 冷めぬ目交わし 歯を磨き合う


あきのよなが かたりつかれて つまととも
 さめぬめかわし はをみがきあう


添ひてより 薬忘れし日 わずかなれば
 厄の峠は 抱き合うて越えなむ


そひてより くすりわすれしひ わずかなれば
 やくのとうげは いだきあうてこえなむ

生命の区切りとして三十七年をたどり続ける


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短歌集「十五歳の敗戦」その2

蔦の葉の 校舎に軍靴 走りゐて
 程なく国はあわれ 崩れ落ちぬ


つたのはの こうしゃにぐんか はしりいて
 ほどなくくには あわれくずれおちぬ


ひまわりも うなだれている 敗戦日
 電柱にあるは 「打ちてし止まむ」


ひまわりは うなだれている はいせんび
 でんちゅうにあるは うちてしやまむ


汗染みの 日の丸鉢巻 ほどき捨て
 ギラリ敗戦の陽は 心突き刺す


あせじみの ひのまるはちまき ほどきすて
 ぎらりはいせんのひは こころつきさす

学徒動員でした。大崎・明電舎の中庭で昭和天皇のお声をはじめて拝聴す

平成19年夏


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短歌集「命の旅」その3

負ひし子と メルトモとなり かなを打つ
「脳よさすらうな」と 時あやつりて


おひしこと メルトモとなり かなをうつ
 「のうよさすらうな」と、ときあやつりて


静々と 舞殿にふる 桜花
香華声明 ひそと絹ずれ


しずしずと まいどのにふる さくらばな
 こうげしょうみょう ひそときぬずれ

(鎌倉鶴岡八幡宮にて)



あら玉の 東雲の空 陽は走る
同行二人 うたた曼荼羅


あらたまの しののめのそら ひははしる
 どうぎょうににん うたたまんだら

(年の初めのご挨拶)



紫の 花すべてよろしと 言ひてありき
夫の胸許の 傷ぐちを恋う


むらさきの はなすべてよろしと いいてありき
 つまのむなもとの きずぐちをこう


春の道 真夏の陽差し 秋の道
よりそひし小径は 今や片道


はるのみち まなつのひざし あきのみち
 よりそひしこみちは いまやかたみち


残されて 残る思ひの 旅支度
仰ぐ満天の星の 我はひとつぶ


のこされて のこるおもいの たびじたく
 あおぐまんてんのほしの われはひとつぶ


見上ぐれば 満天の星 たらひの湯
草花に笑われ 老天女は湯浴み


みあぐれば まんてんのほし たらいのゆ
 くさばなにわらわれ ろうてんにょはゆあみ


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短歌集「命の旅」その2

あだし野の 果てになげたる あくがれを
かき集め居る 残照の日々


あだしのの はてになげたる あくがれを
 かきあつめおる ざんしょうのひび


陽は真昼 緑風を受け 気をひらき
きめ事もせず 時にたゆたふ


ひはまひる りょくふうをうけ きをひらき
 きめごともせず ときにたゆたう


風光り 四方に生命の 気は満てり
人知れずこそ 紅さして春


かぜひかり よもにいのちの きはみてり
 ひとしれずこそ べにさしてはる 


生き生きて 背なに染みたる 切れぎれの
喜・怒・哀・楽の なんと愛しや


いきいきて せなにしみたる きれぎれの
 き・ど・あい・らくの なんといとしや


つるべ落ちの 生命の光 夢の波
めぐる光陰に ひたすら合掌


つるべおちの いのちのひかり ゆめのなみ
 めぐるこういんに ひたすらがっしょう


楽も苦も 面白かったと 大あくび
あとはオツリと シャレて楽天


らくもくも おもしろかったと おおあくび
 あとはおつりと しゃれてらくてん


地はうねり 川あばれ抜く 大自然よ
新世紀の生命に 何を問うてか


ちはうねり かわあばれぬく だいしぜんよ
 しんせいきのいのちに なにをとうてか


入り相の 鐘の音咽び 江戸風情
朝顔 風鈴 熊手 羽子板


いりあいの かねのねむせび えどふぜい
 あさがお ふうりん くまで はごいた 

(祖母に手を引かれ、毎月、手を合わせた浅草寺。父と飲んだ甘い電気ブラン。叔父と通った国際劇場。すべて幼い日の夢のワールド)


釣瓶取られ 情の河は 荒立ちしが
時を跨ぎて 程良き日和


つるべとられ なさけのかわは あらだちしが
 ときをまたぎて ほどよきひより

(生命の旅は、ありがとうの旅)


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短歌集「竹馬の友等と残照を生きる」

湯の里に 老ひぬる瞳 かがやかせ
竹馬の友等は ひそと優しき


ゆのさとに おひぬるひとみ かがやかせ
 ちくばのともらは ひそとやさしき


いたましき 友の姿に 気が折れぬ
傘かぶりたる 中天の月よ

(今日の人の身、明日は我が身か)

いたましき とものすがたに きがおれぬ
 かさかぶりたる ちゅうてんのつきよ


かひ間見し 友の幸せ 秋ざくら
月の砂漠に 浜風ぞわたる


かいまみし とものいあわせ あきざくら
 つきのさばくに はまかぜぞわたる

(千葉御宿の浜辺にて、優しい御夫婦が暮らす)


幼なじみの ステップゆれて 夜はふけぬ
過ぎこしかたは 夢のまた夢


おさななじみの ステップゆれて よるはふけぬ
 すぎこしかたは ゆめのまたゆめ


それぞれの 背なに現世を背負ひても
同窓の我等 今思い出づくり


それぞれの せなにげんせをせおいても
 どうそうのわれら いまおもいでづくり


江戸弁を たたける仲の 同窓会
夢もロマンも 夕凪にとけて


えどべんの たたけるなかの どうそうかい
 ゆめもロマンも ゆうなぎにとけて


おさな目かわし ゆるく流れる 時のなか
今を忘れて 昔にあそぶ


おさなめかわし ゆるくながれる ときのなか
 いまをわすれて むかしにあそぶ


何はさて 優しさこそが ごちそうと
逢瀬を約し 竹馬等散会す


なにはさて やさしさこそが ごちそうと
 おうせをやくし ちくばらさんかいす

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短歌集「ニューヨーク吟行」その1

~1997年夏・アメリカ旅行~

世界中の光集めて夢を売る
ブロードウェイ宵の万華鏡


せかいじゅうの ひかりあつめて ゆめをうる
 ブロードウェイ よいのまんげきょう


マチネエが捌けてあふれる人をわけ
リムジンがゆく 出前ピザを尻目に


マチネエが はけてあふれる ひとをわけ
 リムジンがゆく でまえピザをしりめに


失いし 時整えて 過ぎる街
ワシントン広場は 青春の庭ならむ


うしないし ときととのえて すぎるまち
 わしんとんひろばは せいしゅんのにわならん


夢求めパッションを食ひ大切な
とき置き土産とせしか ブルックリンの壁に


ゆめもとめ パッションをくい たいせつな
 ときおきみやげとせしか ブルックリンのかべに


アクターズ・スタジオのうす桃色の階段を
撫でてみただけ舐めたい程に


アクターズ・スタジオの うすももいろの かいだんを
 なでてみただけ なめたいほどに


ブロードウェイの光の中で箸をとり
味噌汁すすり 又歩み出す


ブロードウェイの ひかりのなかで はしをとり
 みそしるすすり またあゆみだす


欄に せまる女神像と 握手したし
ハドソン川のディナー・クルーズ


おばしまに せまるめがみぞうと あくしゅしたし
 ハドソンがわの ディナークルーズ


ステンド・グラスの 明暗の内に 魂鎮まる
壁に聖人集う セントパトリック教会


ステンドグラスの めいあんのうちに たましずまる
 かべにせいじんつどう セントパトリックきょうかい


ハドソン川より のぞむ摩天楼に 千切れ雲
かずかずの窓に アメリカン・ドリーム


はどそんがわより のぞむまてんろうに ちぎれぐも
 かずかずのまどに アメリカン・ドリーム 


やがて、時は流れた・・・


且て仰ぎし あの摩天楼よ 街角よ
自由の國の 生命飲み込みぬ


かつてあおぎし あのまてんろうよ まちかどよ
じゆうのくにの いのちのみこみぬ


ひたすら、天に祈るのみ


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短歌集「命の旅」その1

短歌集「命の旅」その1

とまどえば 紙に向かうなり
 涙あらば インク滲ませ 一人ゐの詩


とまどえば かみにむかうなり
 なみだあらば インクにじませ ひとりいのうた

16歳の秋・・・


入り潮の 香もなく ネオンの波ばかり
 迷いカモメか ここは数寄屋橋


いりしおの かもなく ネオンのなみばかり
 まよいカモメか ここはすきやばし

チンチン電車(市電)にゆられ、築地から牛込見付(神楽坂下)まで津久戸小学校に通学した。早朝、数寄屋橋の上をカモメが飛んでいた



風立ちて いざ添え木せむと庭に立てば
 抜きかねてありし 母小草咲きぬ


かぜたちて いざそえぎせんと にわにたてば
 ぬきかねてありし ははこぐささきぬ

亡夫一周のおりに


松風を わけてぞすぐる 古希の関
 ぬくもり運ぶ 足跡の詩


まつかぜを わけてぞすぐる こきのせき
 ぬくもりはこぶ あしあとのうた


ここまで来た、これからも行く、ありがとうの旅路


つき離し 見まわすことを おぼえたり
 ふりみだし来し 髪ととのえて


つきはなし みまわすことを おぼえたり
 ふりみだしきし かみととのえて

一人息子、結婚す


かにかくに 不惑知命は 汗まみれ
 負ひ来し荷解き なさけの湯あみ


かにかくに ふわくちめいは あせまみれ
 おいきしにとき なさけのゆあみ


また一つ関の戸をあけた、生き方を整え歩みだす。


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詩「母の日」

詩集「いきいきて」

母の日

母の日とは、年に一度、花屋の店先で
赤と白のカーネーションが、隣に香る蘭の花に
誇らしげな流し目を送る日。

母の日とは、子を生まぬ妻が遠慮がちに
あたえられずに来た淋しい胸に
白いカーネーションをそっと飾る日。

母の日とは、子と別れた母親が、
今更どうにもならぬに、
今日、子供の胸に何色の花が飾られるのやらと
乳房の痛みを悔いつ託(かこ)つ日。

母の日とは、社会の裏に、ひそと流れた
女の赤い涙と白い涙が花を染め、
今日一日、男の人が、
自分を生んだのは、女だったことを思い知る日。


(昭和45年5月10日 商いの日々の中で)


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短歌集「十五歳の敗戦」その1

禁じられ来し 知識求めて さすらひし
 焼け跡の街 新宿紀伊国屋


きんじられきし ちしきもとめて さすらいし
 やけあとのまち しんじゅくきのくにや

例年より熱かった夏、ショーロホフの「静かなドン」を買った。洋画上映館で二本立ての合間に流れるジャズのリズムに酔った。



新しき 紙とインクの 香に酔ひつ
 立ち読み 夕焼け 焼け跡の街


あたらしき かみといんくの かによいつ
 たちよみ ゆうやけ やけあとのまち

現在の新宿歌舞伎町は原っぱだった。映画館「地球座」がポツンと最初に建った。


八月の 敗戦の日 唯うつろ
 燃え尽きし涙 見る間に干えゆく


はちがつの はいせんのひ ただうつろ
 もえつきしなみだ みるまにひえゆく

学徒動員。紅(くれない)の鉢巻をかなぐり捨てた日、勤労動員されていた明電舎大崎工場の中庭に、若い生命が不安げに肩寄せあっていた。


戦火あびし 桜の老木 唯一本
 けなげに息す 校庭の夕べ


せんかあびし さくらのろうぼく ただいっぽん
 けなげにいきす こうていのゆうべ

桜の木の下。母校附属の幼稚園児のあどけないお遊戯が忘れられない。



つたの葉の からみてありし 赤レンガ
 新宿西口 焼け跡の校舎よ


つたのはの からみてありし あかれんが
 しんじゅくにしぐち やけあとのこうしゃよ


この校舎の中にも戦時中、学校工場があった。兵士が腰につけた長いサーベルの音は冷たく乾いていた。


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短歌集「神楽坂慕情」その1

短歌集「神楽坂慕情」その1

「神楽坂慕情」

ふるさとを 思えば聞こゆ 神楽ばやし
 坂をのぼれば 毎夜縁日


ふるさとを おもえばきこゆ かぐらばやし
 さかをのぼれば まいよえんにち

かつて縁日でにぎわった神楽坂通りは、昔の肴町までぎっしりと露天商でうまっていた。


縁日の 口上に酔うて 通ひつめれば
 おじさんがくれた バナナ一本


えんにちの こうじょうにようて かよいつめれば
 おじさんがくれた バナナいっぽん

バナナの叩き売りが大好きだった。人の足の間をくぐって必ず最前列。


花街の 朝の空気は 気だるくて
 夕べ縁日 本の立ち読み


はなまちの あさのくうきは けだるくて
 ゆうべえんにち ほんのたちよみ

私の育った店の前には、雨さえふらねば、毎日本の露天商が出ていた。
立ち読みをしても、店のおじさんは叱らなかった。


父も叔父も 同窓として 生き生きし
 津久戸の丘の 白き学び舎


ちちもおじも どうそうとして いきいきし
 つくどのおかの しろきまなびや


現在は新宿区立だが、かつては牛込区立津久戸小学校であった。


代々の 情けしみつく 神楽坂
 のぼる足許に 血煙りぞ舞う


だいだいの なさけしみつく かぐらざか
 のぼるあしもとに ちけむりぞまう


三代目神楽坂育ち。


かつてありき 演芸場前 ぶらぶらり
 ふと志ん生の声 風の間にまに


かつてありき えんげいじょうまえ ぶらりぶらり
 ふとしんしょうのこえ かぜのまにまに

「神楽坂演芸場」に小学校一年生より祖母に連れられ通った。
演芸場には友人がいて、舞台の袖でそっと座っていた日もあった。


お向ひの 店の奥から 手をばふる
 父が見えたり ここは龍公亭


おむかいの みせのおくから てをばふる
 ちちがみえたり ここはりゅうこうてい

神楽坂通り商店街に今でもある中華料理店「龍公亭」はかつて「あやめそば」と言われ、
現在もメニューには「あやめそば」がある。


あやめそば 向ひの店は 世今堂
 神楽坂上 夏の世の夢


あやめそば むかいのみせは せこんどう
 かぐらざかうえ なつのよのゆめ

私の育った時計眼鏡貴金属店「世今堂」は、明治・大正・昭和、三つの時代の暖簾であった。


それなりの 道をたどれば 足の裏を
 もぞとくすぐる ふるさと神楽坂


それなりの みちをたどれば あしのうらを
 もぞとくすぐる ふるさとかぐらざか

ふるさと神楽坂よがんばれ!


うたかたの 過去がすいつく 石畳
 足裏くすぐるか ふるさと神楽坂


うたかたの かこがすいつく いしだたみ
 あしうらくすぐるか ふるさとかぐらざか

大好きなふるさと神楽坂の石畳に、扇模様のすべり止めを刻む石工さんの姿が忘れられない。


桜散るなよ やがて左づまとる 友達の
 宿題を解いていた 夕暮れの校舎


さくらちるなよ やがてひだりづまとる ともだちの
 しゅくだいをといていた ゆうぐれのこうしゃ


私は国民学校第一回卒業生、そして、太平洋戦争が始まった。
あの夕べ、やがて花街で暮らす友が心配であった。


坂のある ふるさと詣で 神楽囃子
メンコ、ベーゴマ 切れぎれの夢


さかのある ふるさともうで かぐらばやし
 メンコ ベーゴマ きれぎれのゆめ

神楽坂を登り切り、今もある「毘沙門様」と呼ばれる寺内が遊び場であった。
女であっても、メンコ、ベーゴマ、戦争ごっこが大好きなお転婆でした。


桜咲き 東京音頭に  浮かれ出で
半玉さんの カンザシゆらり


さくらさき とうきょうおんどに うかれいで
 はんぎょくさんの かんざしゆらり


半玉(はんぎょく)とは、まだ一人前として扱われず、玉代(ぎよくだい)も半人分である芸者さんのこと。芸者の卵。


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プロフィール

可久鼓桃

Author:可久鼓桃
東京・京橋生まれの神楽坂育ち。
江戸っ子3代目。
昭和4年生まれの88歳。
短歌、詩、小説、絵画など幅広く表現。
運命鑑定家でもある。

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