2011/01/08
連載小説「昭和に生きて」第2話第1回
連載小説「昭和に生きて」第2話「怪物のような民主主義日本上陸」
第1回
昭和二十年九月一日。我々学徒は、工場(大崎明電舎)から、新宿の校舎へ戻った。
赤煉瓦の枚舎は、外側だけが残り、内装はすっかり焼けただれ、火事場の匂いがなかなか抜けない。
戦に負けようとも、校舎の外壁を伝う、なつかしき蔦の葉はたくましく、久しぶりの我々の登校を緑のもろ手を広げ迎えてくれた。つい先頃まで、「天地正大の気、粋然として神州に」に始まる藤田東湖の詩を、毎朝の朝礼で吟じていた私達は、戦が終わるや、リンカーンの、ゲティスバーグでの演説文。「人民の、人民による、人民の為の政治」と、タコ壺防空壕が手付かずに散在する校庭で唱和していた。勿論、涙ぐましいカナフリの英文であった。
戦時中、突然の英語禁止の国策に出逢い、今更、省略された頭で高学年用のリーダー抱えさせられる身の不運。教科の差し戻しもなく。教育界の慌ただしい変貌の狭間であえぎまくる我々であった。
むき出しのコンクリートに黒板を立てかけ、すすけた机と椅子が取り合えず並ぶ教室。新渡戸稲造、内村艦三の足跡が語られ、駆け足の民主主義が校舎を包みこんでゆく。
体操の時間はかつて、すきっ腹にスコップを握り、必死で掘ったなつかしのタコ壷防空壕の埋め立て。
「第三分隊の第一班は北側へ」なんぞと、先生のかけ声は決して轟き渡らぬが、命令されなくても、自分の汗で堀ったものの位置は悲しくも覚えていた。
深さこメートル五十センチ、直径一メートルの一回も御使用なしのタコ壺防来壕にかけ寄れば、「おんなじ、あの時と同じ」、同じ顔ぶれが同じ記憶をたどり、同じ場所に立っていたのだ。かくて同期の小桜達は、もう決して掘るまいぞと、新しい土の上を、スコップで叩きまくり、お下げの髪をゆすり上げた。
校庭は高い塀に囲われてはあるけれど、塀の隙間から見れば、新宿の西日駅前は一望なのだ。
突然日本上陸の民主主義は、まずは世論をからめ取り、いまどきの宅患便の素早さで生情報を我等に手渡して行き過ぎる。
生まれ変わる日本の秋が、厳しさとアンバランスな自由を宿題に、日々、目の前にあった。
ニヒルだと言われしは春、物言わず過ごせしは夏、
立ち止まり泣きしは秋ぞ、センチメンタル
(戸惑う十五歳作)
(つづく)

にほんブログ村 ←こちらをクリックよろしくお願いします。
スポンサーサイト
コメント