2011/01/06
連載小説「昭和に生きて」第1話第6回
連載小説「昭和に生きて」第1話「山の手・下町・たけくらべ」 第6回 数寄屋橋には、恩い出が詰まっている。たしかに、橋があって、橋の下には水が流れていた。カモメが水平線すれすれに飛び交っていた、ああ、数寄屋橋。 『君の名は』・・・春樹・マチ子の数寄屋橋。三輪車で数寄屋橋を渡り、日比谷公園まで遠出したら、日が暮れてしまった。迷子になったかと、御近所のおばさん達まで御親切に、あわててくださった。五歳の私は、新しい道を覚えた嬉しさに、偉そうな顔で三輸車コトコトと戻ったら、優しいおばあちゃんが、角の桶屋さんの前で涙ぐんで立っていた。あたしは、自信があったのに、ただ、日が暮れちゃっただけなのだから・・・訳も解らず、おぱあちゃんに飛びついた。おばあちゃんの涙しょっぱかった。
小学枚一年生で、支那事変が始まり、小学校六年生の十二月八日、大東亜戦争勃発。カーキー色が街中にあふれ、「ぜいたくは敵だ」のポスターも貼られたが、ぜいたくって神楽坂のオセンベイの名前さ、なんて、酒落者の叔父が、だじゃれを言った。街から原色が消え、白地に赤い日の九だけが目を射る。
チャンバラゴッコは、戦争ゴッコに変わり、男の子は大きくなったら、陸軍大将になるんだと目を輝かせ、女の子は従軍看護婦さんになると、あたり前のように答えていた。
隅田川の花火大会は勿諮中止で、それに代わり、東京の夜空を探照灯の高く長い光が交差しながら、我がもの顔に走る。とんとんとんからりの隣組のおじさんも、おばさんも、どんどん疎開をはじめ、田舎のある友達は、田舎へ転校し、お教室の机は、空いた椅子を抱え、ボツボツと寂しくなってしまった。
わが家も、大磯にある家を手離し、東村山に土地を買い、家を建てた。疎開である。小さな妹と弟は転校。母について引越してゆく。入舟町のおばあちゃんも一緒。東京の家族がばらばらにくだけて行く。不足と不満が街中にみなぎり、景色が灰色に染まり。人々は沈黙した。
(第1話了 第2話へ続く)
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