2011/01/06
連載小説「昭和に生きて」第1話第5回
連載小説「昭和に生きて」第1話「山の手・下町・たけくらべ」
第5回
京橋入舟町の店では、乳母日傘(おんばひがさ)で育ったといわれる祖母が、時を忘れる程ゆったりと優しく、この祖母の笑顔に許され、好きな時間がたっぷりと使えた。私と一つ違いの源叔父とは、叔父・姪でもあり、乳兄弟であった。二十歳で私を生んだ母は、心膿脚気の気味で、産後の日だちも悪く、前年源叔父を生んだ祖母の乳を私は祖母乳として頂戴していた。この叔父は、幼い折、身体が弱く腺病質。走って、溢れる祖母乳を頂戴している私は、むくむくと太るのに、小さな叔父は、夜鳴きのピーピー坊やであった。なのに、庇をお借りしている私は、母屋までも足をのばすお元気な赤ん坊ちゃん。
ちゃんばらゴッコでは、この叔父ときたら、いつも「御用、御用」の取り方ばっかり。情けないったらあーりゃしない。丹下左膳ゴッコでは、私はチョピやす。子役ではあるが、まぁまぁの脇役で、結構目立つ訳だ。
家の勝手口から、そーっと入るや、味噌壷を盗み、中身の味噌をどんぶりにあけ、アミの張ってあるハイチョウと呼ばれる戸棚にしまう。洗った壷は、なるべく派手な風呂敷に包む。
勇み立つ私は、この壷を胸にしっかりと抱え、友達の待つ公園に走る。チョビやすになったら、コケ猿の壷御用達が、何よりのお約束なのだ。たとえ、大人に叱られようが壷御用達の出来ぬ奴には、この役所は回ってこない。
東京湾の潮風が流れる、入舟町の夕焼けの空。こうして今日も、やっぱり優しいおばあちゃんに叱られた。何度叱られても、当り役から降りる気は、サラサラなく、今日もおぼろな昼の月に向かって胸をはる。小学校三年生であった。
佃の渡しは、私のゆりかごだ。佃煮を買いに走り、佃の渡しを舟にゆられて昼寝した。舟のおじさんは顔見知り、遊びつかれた小学生の昼穫を大目に見てくれて、起きれば、ねぼけたままの小さな私の口にサラシ飴をポンと放り込んでくれた。ゆったりとした、あの東京の優しい時の流れは、今や何処へいってしまったのだろう。
松かさねようとも 逃れようなき乳兄妹
幕あけの町そぞろ入り舟
(つづく)

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