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連載小説「神楽坂」最終回 エピローグ

連載小説「神楽坂」       第30回へ戻る

最終回 エピローグ

 坂を登りつめ、ハルは一息つく。
 日頃なつかしがるだけのハルは、今年成人式を終えた一人息子に連れ出された。今見下ろす神楽坂。さき程見上げた神楽坂。昔の場所には違いない、街の香りが変わっている。ハイカラに垢抜けよそゆきの顔した街並みが、ちょいと味気ない。思い直して昔ののれんを探す、文子ちゃんのいる「さわや」。そしらぬふりで化粧水を一つ買う。わっちゃんのいた「助六」。この店で買った鈴の鳴子ポックリの音が、のぞくウインドウの中から聞こえるようだ。「ハルちゃんは大きくなったら、僕のおよめさんだよ」と言った、ママゴトではお父さん役の健ちゃんのいる「菱屋」。さて、我が店の後に建った居酒屋「万平」。暖簾を分け、おでん・かん酒で一休み。おさえていた思いがお酒で解けて、昔を尋ねる。とろとろと話し出すお婆さん。したり顔でうなずくハル。「もしやここでお育ち?」。お里が知れそうで首をすくめて小さな声になる。
 「世今堂さんですか?」いきなり言われて返事に困る。笑った目の奥でハルは両親の代わりにうなずいていた。余りにも時が移りよそ者になってしまったが、店の名で呼ばれると、土地っ子のはずに少々席をあけられた思いが心を開く。たしかにこの家は奥まる程高くなる。薄暗い店の天井の隅から死んだ両親の声が今にもふって来そうで、ハルは盃を手に、うつらうつらと幻想する。
 
 「ハルーッ 入舟町のお婆ちゃんの言う事をよく聞いて」
 言われ付けた母の声が、ハルの耳の奥で今かけずり廻りはじめた。
 金庫を背にした父が、禿げた頭を一拭き、
 「ないしょでな」とハルに小遣いをくれようと、そこの土間の隅で笑っている。
 お婆ちゃんの御詠歌が聞こえた。
 「地獄の鬼めが現れて~」。
 「お婆ちゃん、ハルですよ。今帰って来ています。地獄ありましたよ。極楽も見ましたよ、みんなこの世にあったのですね」
 ウエストミンスター・チャイムを皮切りに、たくさんの時計が一斉に時を打ってハルを出迎え、店の前を近衛の兵隊さんの唄う軍歌と、力強い靴音。
 「万朶の桜か 襟の色 花は吉野に 嵐吹く・・・」※1
 サイレンの音が聞こえる。
 「空襲警報発令、空襲警報発令」
 ああ燃える。日本が燃える。神楽坂が燃える。私の神楽坂が無くなってしまう・・・。
 
 今、坂の上で見る夢は、思い出をゆすりゆすってお銚子をもう一本。夕闇がせまり、神楽坂に灯がともった。
 「お声を掛けようにも、どちらへやら解らぬまま、ここに家を建てまして、跡取りさんがおいでならどうぞお連れになって」
 燻しがかった神楽坂っ子の、健気な言葉も有り難く夕暮れの街に出た。

 ほろ酔いの目に街が活気ずく、勝手知ったる花街に入ると、迷子の顔して歩きはじめる。下宿専門で学生ばかりの「都館」の前を過ぎれば、両子ちゃんの育った大きな料亭。
 広い廊下を裾をひいたお座敷着のおねえさんがせわしなく行き交い。ずらりと並んだ部屋の襖一枚さらりとあければ、奥からお待ちかねの拍手が湧く。磨敷居に三つ指のおねえさん。身体を幾分ななめに構え、すらりと立つや、光に映えた腰の帯をポンと叩いてお座敷に消える。両子ちゃんの所で遅くまで遊んでいると、秘密っぽい大人の遊びの入口が見えた。
 
 ゆるい坂を下ると、お世話さまの我が母校。ハルの家は親子で同窓生だから、父は津久戸小には肩入れだった。父の後輩には、あの名優滝沢修さんがいる。
 「普段おとなしいが、いざとなると喧嘩が強かった」と、父は小学生の頃の滝沢さんを忍んで繰り返し言ったものだ。一家あげての映画と芝居好きで、父は「P・C・L」の撮影所に勤める友人に頼まれ、撮影の小道具として店の品物を貸して、ただのキップをもらう。このキップはほとんど愉快な叔父貴のお楽しみ。※2

 学校の裏門講堂へ続くドアの前で、放課後居残ってコンクリートの上に帳面を広げ、あしたの宿題をやってしまう。仕込みっ子のカッちゃんの為だ。カッちゃんは家に戻ると宿題どころのさわぎじゃないから、ハルの解いてゆく答をどんどん写す。柳田くんと山本くんがそばからお手伝い。
 「ボク、ハルちゃんスキ」
 「ボクダッテスキサ」
 「ワタシフタリトモスキ」
 そんなやり取りにはお構いなく、カッちゃんは夢中で答を写している。

    ※  ※  ※

 「かあさんが、生まれてはじめ好きって言われて、好きって言ったのがこの場所よ」
 並んで歩く息子を見上げてハルが言う。一緒に嬉しがってくれる息子の肩を廻しっぱなしのテープの音が伝い、神楽坂の夜は本番。ふるさとをあれもこれもと目に焼き付けて歩き廻るハルに、
 「おふくろさん、御感想は?」と気取った声する息子が、マイクを差し出す。
 「神楽坂は、やっぱりようござんすねえ」死んだ母の声になっていた。
 坂の上から小手をかざせば、はるか土手より渡る松風が笑いと涙をつきまぜて、お疲れ様と吹き払う。
 厄年も迎えず、丹沢の峰のぞむ白い病室で、
 「ハル、一緒がいいねえ」の か細い声を最後に、再婚の連れ合いは息子を残し癌で先立ったが、陽気な未亡人は、さっぱり苦が身につかず、母一人、子一人となって、今ふるさとめぐり。
 裏通りも道筋だけは変わりなく、焼けようのないそのままの石畳。その上を幼い昔の足跡が踊る。
 ぶっかき氷を豆しぼりの手拭いで包みぶん回した祭りの喧嘩。
 赤鳥居によじ登り、油揚げを納めにきた半玉さんの衿もとめがけ、小石をポツんと落としたいたずら。
 健ちゃんが買いたての自転車に乗れば、後の荷台に跨り、のろいぞ、のろいぞとハルは掛け声だけ。
 からっとして、黒板塀も見越しの松も見当たらないが、神楽坂っ子なら、せめてお堀の外側(こっち)で東京をささえて居りまする。その心意気でも持とうなら、御先祖様も、さぞやおよろこび。
 わんぱく通りを右に曲がる、どうやら馴染んでまつわる神楽坂(ふるさと)の風。
 足早やの行き過ぎると、いる筈もない「田毎(たごと)」の鸚鵡に呼び止められた。

 「そこの古いおねえさん、どこゆくの」
 「余った時で、気ままな旅さ」 

 (終)

 ※1『歩兵の歌(歩兵の本領)』 明治34年(1901) 作詞 加藤明勝・作曲 永井建子

 ※2 P・C・L = 株式会社写真化学研究所 (Photo Chemical Laboratory)。P.C.L.。トーキー映画製作技術(録音・撮影)開発の専門会社。P.C.L.映画製作所=P.C.L.の子会社の映画会社。のちに、合併により東宝映画株式会社になった。

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プロフィール

可久鼓桃

Author:可久鼓桃
東京・京橋生まれの神楽坂育ち。
江戸っ子3代目。
昭和4年生まれの88歳。
短歌、詩、小説、絵画など幅広く表現。
運命鑑定家でもある。

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