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連載小説「神楽坂」第29回

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第29回

 翌日、昼近くになって母は、祖母とテツを連れて戻って来た。しばらく逢えぬ間にぐんと背丈の伸びたテツは、無精ひげも疎らな顔をうつむけ、一足遅れてひっそりと入って来た。小さな頃、いたずらをすれば母の前に並びたっぷりお小言を頂戴していたテツとハル。「ゴメンナサイ」とすぐ謝るハルの隣で、テツは神妙にものを言わぬ、キラっと母の目が一段と輝けば、ハルはもう一言「ゴメンナサーイ」と叫び外へすっ飛んで行く。掴み所のないテツの沈黙に、早く父を亡くしたいじらしさで、母はもう何も言わない。母も祖母も一つ違いの二人が等しく我が子であった。奥の間では小さい子供等が母のお土産に群がり、渡されたお菓子を手にすると外へ遊びに出た。

 テツは、ぼんやりした顔で長い足を抱え縁側に蹲り、流れる空の雲を見ている。急に老い始めた祖母は口数少なに、母の隣でお茶を入れる。思いつめた目を宙に泳がす母は悲しげだ。朝になっても口をきかなかったカズは、口をへの字に結んで母の後でダンマリ。父は畠で草むしりの小父さんと立ち話。もうすぐ一幕ありげな状況に、ハルは居たたまれず、自転車をこいで一時も早くこの家から離れてしまいたかった。出来るなら先程からぼんやりしているテツも引きずり、その昔二人揃って叱られた時よりも素早く、下駄をふところに家の裏手を駈け抜け、入舟町へ戻りたかった。これから始まるであろう一幕に、テツを置き去りにするのがともかく辛い。恨みなら数々あったが、突然現れたテツをみとめるや、情けなさ変わり、やり切れぬ悲しさがハルを飲み込んで、母親の様な愛しさと変わりそうだ。考えが半分空に舞い、うろたえてハルは走っている。止めどなくこうして走ろうとも、今頃は幕があがり、テツはどこに座って誰に何を言われていようか。父はどんなに怒り狂っているか。祖母は倒れてしまいはせぬか。せめて土壇場に強い母の決断に、一縷の望みをかけていた。

 いつまで走っていようと目で見ねば決まりもつかず、自転車を静かに引いて裏口から茶の間を覗き、誰もいない離れへ。そこへカズがバタバタと入って来た。さっぱりとした顔で「どこへ行っていたのよ」と。「駅前の本屋だ」とハルは答えた。どうやら、いらだちの静まったカズの態度に、幕がおりたと感じ、水を飲みに台所へ立つ。
 「おやっ?、テツが見えない、祖母もいない」。
 その時、凛と張った母の声が仏間から聞こえた。
 「私が至りませんでした。これ程話し合っても解ってくれないのならば、テツと母を連れて入舟町へ戻ります。」
 母の捨て身の言葉だ。
 「解った、解った」と気弱な父の声が追う。
 何があっても生涯母にべた惚れだった父は、母ツルの一声で夫婦の人生の節目をきめてしまう。ハルは音を立てず離れに戻った。テツと祖母の行方をカズに尋ねる。「昇伯父の所へ」と言う。
 ハルは恐る恐る改めてカズに聞く。
 「傷ついたゃったの?」
 不服そうに口をとがらすカズは、
 「何を言ってるのよ、傷なんかついたら大変じゃないの、どっちにしたって、お母さんは入舟町が可愛いのよ」と、恨みを残し畳をけたてて外へ出ていった。
 ハルは、たった今、大変だと言ったカズの言い分を聞くや身震いがした。やたら公平を心がけて、テツとハルを育てた母と祖母が恨めしかった。あの時の痛みは、馴れ合いにすり替わっていたなら、ハルのこの先にどんな大変をもたらすのだろう。テツが繰り返した行為は、忍んだハルの沈黙に抜き差しならぬ染みを広げた。一緒に大きくなったから、一緒に大人になっただけ、と決め込んだのに、柱時計のゼンマイが音立てて千切れるようにう鳴った。ハルはひと声呻いた。気が付くと、はっとした大きな目を見開いた母が廊下でハルを見つめた。「ハルーっ」振り絞るようなひくい母の声。なにげないふりで涙を拭き、無表情に顔をつくって母を見上げた。気丈な母の目に疲れた涙があった。

 ハルは無理に笑うと、「誰も悪くない、誰も悪くない」と唄うように呟き、再び自転車で走り続けた。ハルは、母が死ぬまでこれについて母と語らず、母も心得て尋ねなかった。おとなしい顔に似合わずカズは逞しく見事だった。撫でおろした胸の中で「もうやめて」と、ハルはテツに叫んでいた。

 台風一過。夕食は近くの農家でつぶしてもらった。若鶏のすき焼き。近頃解禁になった盃を手に、子供等に囲まれた父は御機嫌。つと台所に立った母は、前掛けでそっと涙をぬぐっている。テツと祖母は昇伯父の家で一泊とか、何かにつけ母一人子一人の生活に戻ってゆくテツと祖母。それが当然ならば、ふるさとを両手に抱えて育ったハルには身の置き所なくわびしい。母と祖母の涙が痛々しい。

 (つづく)

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プロフィール

可久鼓桃

Author:可久鼓桃
東京・京橋生まれの神楽坂育ち。
江戸っ子3代目。
昭和4年生まれの88歳。
短歌、詩、小説、絵画など幅広く表現。
運命鑑定家でもある。

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