2010/01/01
連載小説「神楽坂」第26回
連載小説「神楽坂」 第25回へ戻る第26回 いちじくの実が色づく、木犀の香りが待たれる。父はほとんど快復に近い、母はそれでも大事をとって当分は東京で稼ぐであろう。
日が落ちると秋祭りにそなえ、村の若い衆の打つ
神楽太鼓と笛の音が畠を越え夜毎聞こえる。井戸端でハルは明日の米を研ぎ釜に仕掛けた。味噌汁の実にと、秋茄子をもぎに畠へ出る。夜露に足を濡らせば、すだく虫の音がはたと止む。向かいの茶畠の外れに立つ外灯に、残り少ない命を暖め合うように小虫が群がり、桐一葉落ちずとも、天が下まさに戦なく秋はたけなわ、足をすすぎに井戸端に戻る。
ふいに人けを感じてふりかえる。薄暗い門柱の陰に校服のままカバンを下げたカズが、目だけをぎらつかせ、肩をふるわせて立っている。どうやら一人だけのカズはいらだつ。
「おかあさんは?」と不思議に思ってハルが尋ねた。
「あたしだけ」とカズ。
「おかあさん知ってるの」
ハルの言葉に何をこらえかねたのやら、
「よく知ってるわよ、だから帰って来たの」と突っ慳貪に答え、あたりを睨み廻す。
ただならぬ様子に、ハルは訳も聞かず離れの自分のふとんの隣にカズのふとんを敷く。
病気以来、早や目に眠る習慣のついた父は、小さな妹と中の間にやすんでいる。
「誰か来たのか」、床の中で父の声。
「カズです」とハル。
そのまま眠ったのか聞こえるものは虫の音と、遠音の祭り囃子。カズは仕舞湯にざんぶりと浸かると、ものも言わずさっさと眠ってしまった。いつもなら、このあとの時間こそハルの世界なのに、一人で眠る離れの部屋は、本日、番外のお客人。さりとてやすむには早すぎて、畠に出てせっかくの月を仰ぐ。彼方の森も畠も白い紗幕を引きつめ、夜露に濡れた土の香りが足許から這い上がる。
その時、茶畠の向こうに黒い影が走った。虫の音蹴散らし黒い影は近づく。
思わず身構えれば、「ハルさーん」。外灯の灯りに浮かんだのは、タカちゃんだ。彼は昨今出来たてのハルのボーイ・フレンド。祖母の実家はこの辺りでは「上宿(かみじゅく)」と呼ばれる旧家。
その家の次男に嫁いだ人がタカちゃんのあね様。二人の子供を残してつれ合いは戦死。戦前から広い邸内の片隅で精米所をやっている。黒い大きな目はいつも伏し目がちに痩せぎすな身体のどこに力を潜むかと思う程に、俵を平気でかつぐ。色白の美しい頬にソバカスを浮かせ、糠だらけになって働く。ハルの母とは仲良しで、ハルを大人扱いにしてくれる話の解るあね様だ。
人寄せの日には、あね様の使いでタカちゃんは度々やってくる。母の使いでやって来たハルと顔を合わせるのだが、それはそれ、年の違わぬ若い者は、意識はするが、こと更のきっかけも見当たらず時を見送る。通学時、駅で出逢っても最敬礼だけの繰り返し。卒業も間近い雨の日偶然駅で出逢い、傘を持たぬハルを家迄送ってくれて初めて言葉を交わす。以後出逢えば駅で立ち話。気軽にハルの家へ遊びに来るようになった。今になって、ハルがこの出逢いは雨が引きがねと言えば、彼は「これが運命(さだめ)と言うものさ」と、笑う。本の好きな二人は、愚にもつかぬ言葉遊びして時を楽しむ。細身で睫が長く、みてくれは
中原純一画く所の愁い漂う「ひまわり少年」であった。学校帰り駅で待ち合わせ、近くの丘に登って高圧線を結ぶ鉄塔の下の芝生にカバンを投げ、夢二の詩を唄い、啄木を語り、武者小路や潤一郎を、いつも出逢う隣の小父さんのように親しみ、幼い文学論やら、手探りの人生論。さりげなく忘れたふりの傷口などは、彼との充実した時がこうして洗い流して行った。ハルの折りには無鉄砲な性格を心得て、彼は思慮深かったから、誰も我々のつき合いを妨げなかった。
先程より口も聞かずに眠ってしまったカズが気がかりで、彼の当然の訪れにもかかわらずハルは落ち着かぬ。
「離れは早々に電気が消えているし、病気でもしているのかと思った」。
彼に“病気”と言われ、カズはヒステリィになったのだと、ハルは決めた。
「カズが眠ってしまったから、ちょいとお散歩なの」
雲一つない夜空に月は昇る。
「ほらっ、お待ちかねの、かの子の
『生々流転』だよ」
彼の差し出した本を胸にかかえて飛びあがったハルは、さつまいもの蔓に足をとられて尻餅をついた。
いつもなら離れの濡れ縁に座り、互いに手に入れた本を見せ合い、都会の風に御無沙汰のハルに、彼は東京の土産話。時のたつのも忘れ、あげくには起き出して来た父に、
「夜があけちまうよ」と声かけられて、一番どりの鳴き声も上の空にあどけなく別れる。これが土曜の夜の二人のおきまり。
家から懐中電灯を持ち出し、縁の下か桟俵(さんだわら)を見つけ、埋めた防空壕の土山の上にそれを敷いた。二人は座ると逢わぬ間の出来事を立て続けに喋る。今夜は、
〈達磨市〉の詩が気に入って繰り返し読み合う。敗戦後の
〈達磨市〉で、居並ぶダルマを見廻し、
日本の国は、今や目無し達磨だと作者は言う。目無し達磨になるまいぞ、と二人は青い気炎をあげる。
祭り囃子の稽古帰りか、若衆たちが土山の二人を見つめ、
「あらっ、お勉強、なんのお勉強」と口をそろえてひやかし、自転車で行き過ぎる。
期せずして二人、「下司(げす)の勘ぐりですな」と顔見合わせて笑い転げる。垂れこめる光の中で切ない爽やかさが、今夜も彼の置き土産となった。こんなに優しい彼と、この町で別れてしまったのは、おおよそ二年後の祭り明けの日であった。
(つづく)
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