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連載小説「神楽坂」第19回

連載小説「神楽坂」       第18回

第19回

 ハルは、継ぎ接ぎだらけの授業が詰まらなかった。もんぺをスカートに穿き変えたものの、俄仕立ての民主主義に質問がたくさんあった。何よりも不惜身命は、可借身命と相成った。生命の尊厳と責任に裏打ちされた自由を教えられる。天皇陛下は、神格否定宣言をなされ、文部省は教育勅語の奉読を廃止せよと通達した。神国日本に神風の吹くその日を、日の丸鉢巻をかたくしめて、信じさせられ育った同期の小櫻達は、今や人間は葦原に繁っていた一本の葦に過ぎなかったのかと悟った。
 特攻隊生き残りの母方の伯父は、狂声を張り上げ、抜き放った日本刀で、庭の立ち木をやたら斬って廻り、足許へ生唾を吐いていた。

 学校の帰り、ハルは映画を見たり、神田の本屋街迄出かけて本に立ち読みの「梯子」をやっていた。高くて買えぬ本は、申し訳ないが写させていただく。ハルは、パスカル「パンセ」が欲しいのだが買えずに毎日本屋へ通った。雨が降っていた。うなぎの寝床のような店に隠れ場はなかったが、奥に座る店の人からは離れていたのが幸いだった。今日まで三分の一ぐらい写せている。ふと肩を叩かれる。老眼鏡を鼻先までずらした見馴れた本屋の小父さん、うろたえるハルに黙ったまま椅子をすすめた。
 ハルは小柄な身体が溶けてしまえば良いと思いつつも、深く深く最敬礼をした。小父さんの細い目は笑いながら又も無言で椅子をすすめる。ハルは消え入る声をやっと出して、「ゴメンナサイ」と言った。その日からのハルは映画も見ず、あんみつも今川焼も食べず、一日も早く親切な本屋の小父さんの許へかけつけて、写しかけの本を買いたいと、せっせと小遣いを溜め続けた。ハルの手許にパスカルがやって来たのはそれから三ヶ月後、街に「リンゴの唄」が流れ、以来パスカル「リンゴの唄」はハルの記憶の中で一緒に座っている。


 注 不惜身命(ふしゃくしんみょう) 可借身命(あたらしんみょう)
 
 (つづく)

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プロフィール

可久鼓桃

Author:可久鼓桃
東京・京橋生まれの神楽坂育ち。
江戸っ子3代目。
昭和4年生まれの88歳。
短歌、詩、小説、絵画など幅広く表現。
運命鑑定家でもある。

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