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連載小説「神楽坂」第18回

連載小説「神楽坂」       第17回

第18回

 ゲンと祖母キミは入舟町へ戻った。父は、入舟町の店の近くへ、ともあれ小さな店を構えた。ゲンの家には借家人がいたが、二階と三階は貸していなかったので、寝る場所には困らなかった。ハルは相変わらず、入舟町の祖母の許から学校に通って、週末は東村山に帰る。ゲンは、大人っぽく男でございとばかりハルを見おろす。悔しがって、後を追い廻すハルに「おまえは女なんだから」と、もうどこへも一緒に連れ歩いてくれない。
 ハルの胸はちょっぴりふくらんで、若草だって芽吹いているのだが、まだ体操の時間にオヤスミをしていない。友人のほとんどは、学生手帳を先生に渡し家からのサインの横にペタンとハンコを貰って体操をやすむ。
 父の店には、サングラスや時計を買いにGIがくる。お金を持たない場合は、タバコ、石けん、缶詰、お菓子を置いてゆく。それが値段に引き合うのやら解らなくても、食べるのが先決の時代。子供の多い我が家では、これらの品物をかついで週一回父は母の許へ帰る。もどれば親鳥の餌を待ちかねた子供等は、珍しい品物に群がる。石けんは汚れだけ落とすのではなく、香水の役目もするのをハルははじめて知った。

 ここ東村山にも、都会の人達が主食や野菜を求めて農家の庭先に、手持ちの高級な着物などをひろげ商談に入る。小学生らしい男の子が、自分の背丈ほどの荷を背負い、畠中の道を母親にせき立てられてよろけながら歩く姿。村の人達はこうして訪れる人々を買い出し部隊と呼び、週末、駅のホームは人と荷で大混雑をする。
 父は、いつものリュックの別に一斗缶を下げて戻った。さも得意気に一斗缶を開け、「舐めてごらん」と母に言う。のぞき込む母がひと舐めして、「あらっ、お砂糖ですね」とニンマリ笑う。その声を聞きつけ子供等はいっせいに手を伸ばす。畠でとれた小豆で、さっそくおしるこを作った。
 次のリュックが運ばれる頃、その一斗缶の中から薄茶色が顔を覗かせた。父は済まなそうに禿げた頭をつるんと拭いた。母は、「又ですね」と言った。薄茶色はフスマであった。小麦を引いて粉にする時出来る皮の屑なのだ。一斗缶の十五センチ程までは、確かに真っ白なお砂糖に違いなかったのだが。

 職業安定所から金属製のトランクを一つさげて、陰気な男がやって来た。無口で猫背で終日仕事場で大きな目玉をギョロつかせ時計の修理に余念がない。時計職人二十五歳。週一回母の許に帰る父は、週二回戻れるようになった。
 その日、朝がた出かけた父が、小柄な身体をまたひとまわり縮めて帰って来た。濃いひげの剃り跡がなお濃い真っ青である。辿り着いた玄関で、へたへたと膝をついた。その姿に、出迎えた母は、「まさか、あんた」と、さすがの母もその場に座ってしまう。やられたのである。二十五歳の時計職人は、ものの見事にめぼしい店の商品を手持ちの金属製のトランクに思い切り詰め込み立ち去った。
 
 数日して警察から連絡あって、父は職人の生家へ警察の人と出かけた。埼玉の小さな駅の町外れ、傾いた藁葺き屋根の下から年老いた病身のふた親が現れ、「三年前、息子は勘当しました」と言うだけ。見廻せば無残に貧しく。強い言葉も交わせぬまま父は戻ってきた。
 さし当たり神楽坂以来の信用で商品は整った。二代目の旦那商売を続けていた父が始めて潜る試練であった。

 (つづく)

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プロフィール

可久鼓桃

Author:可久鼓桃
東京・京橋生まれの神楽坂育ち。
江戸っ子3代目。
昭和4年生まれの88歳。
短歌、詩、小説、絵画など幅広く表現。
運命鑑定家でもある。

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