fc2ブログ

連載小説「神楽坂」第9回

連載小説「神楽坂」           第8回

第9回

 二学期が始まる。
 「ドイツからあると、皆さんと同じ学生のお客様が見えます」
 朝礼で校長先生がおっしゃった。早々に校内の大掃除が行われ、分列行進の練習は飽きる程のくり返し、ドイツの学生は愛国心に富み、勇敢であると教えられる。お客様の一団は、ヒットラー・ユーゲントである。物珍しさよりも、ものものしさに疲れ、それはそれは緊張の一日であった。彼等の生き生きとした動きと、美しい配色の軍服が、まるで宝塚歌劇のドイツ編でも見るようで、しばらくはみんなの憧れになった。だが、その日ハルは日本とドイツの小旗を両手にふりながら、ドイツと言う国は利口で力強く、本当に日本のお友達なのかなー。それならば、それは何故なのだろうと考えていた。

 担任の吉田先生は、浅黒く面長な顔で、みんなに〈板チョコ〉と陰で呼ばれている。かなりお茶目でお転婆なハルは、男の子と対等な喧嘩をやる。〈板チョコ〉は、すっきりと平等な結末をつけてくれるから、叱られる度にハルは〈板チョコ〉を尊敬した。あれは国語の時間。とかく長びく最終授業だった。「大東亜共栄圏」と黒板に大書し、「君等が白髪となり、杖をつく頃、地球上には三つの大国しか存在せぬであろう。それは、アメリカ、ソビエト、中国に違いない。」〈板チョコ〉はそう言い切った。
 不安げな数々の小さな瞳は、日本が消える筈はないと次の言葉を待ったが、師は凍った目を窓外に飛ばし、「大きくなったら、すべてが見えてくる」とだけ、その後、この日のような授業は決してなく、〈板チョコ〉は日の丸を肩からかけ、奉公袋を手に教壇から立ち去った。国民学校第一回卒業生となる我々は、逆巻く時局の中で、この疑問を心の片隅に抱いたまま育ってゆく。

 戸山ケ原へ演習に出かける近衛の兵隊さんは、鉄砲を担いで毎日神楽坂を通る。往きは高らかに軍歌を歌い、帰りは余り高らかでない。往きは力強い軍靴の音の音も、帰りは余り強くない。帰り道、隊長さんが大きな声で軍歌の一節を歌い上げると、それに続いて疲れた兵隊さん達は、声を振り絞って歌い始める。
 子供等は、からの薬莢を貰いに隊列に駆け寄る。「こらーっ」。隊列の横をはみ出したように歩く偉い兵隊さんに叱られるが、顔馴染みの兵隊さんは、目だけで笑って、そっと、空薬莢を子供等の足許に投げてくれる。薬莢の数が多い子供は仲間うちで巾を利かせる。秋が来て兵隊さんの数が減ってきた。みんな戦争に行ったのだと、大人達は小声で話し合う。学校では亜細亜の平和を守る為、日本は戦っているのだと教えられる。

 パーマネントも禁止され、「ゼイタクは敵だ」のスローガンに、店の貴金属はみるみる減って、時計とメガネだけの商いへと移ってゆく。店の人達にも召集令状がきて、皆田舎に帰り、戦争に行ってしまった。とよさんは徴用にかり出され、店は父と母の二人。入舟町からハルは神楽坂に帰って来た。父は、時々奉仕隊を組んで、組合の人達と指定された軍隊へ時計修理に歩き回る。メガネをかけた出征兵士は、幾かけもメガネを持って、戦に出かけて行った。

 (つづく)   第10回

にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村  ←こちらをクリックよろしくお願いします。

スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

FC2カウンター

プロフィール

可久鼓桃

Author:可久鼓桃
東京・京橋生まれの神楽坂育ち。
江戸っ子3代目。
昭和4年生まれの88歳。
短歌、詩、小説、絵画など幅広く表現。
運命鑑定家でもある。

最近の記事

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索