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連載小説「神楽坂」第6回

連載小説「神楽坂」           第5回

第6回

 秋の神楽坂は、赤とんぼが街に迷い込み、唐草の大風呂敷にノシのかかった名入りの手拭いの数々を包み、それをよいしょと背負った「箱屋さん」が尻っぱしょり裏通りを飛び回る。
 地味なお座敷着の「いっぽん」の芸者さん。箱屋さんを従え、馴れた手付きで褄を取る。この日ばかりは主役の半玉は襟足の汗を香水紙でそっと押さえる。粋な格子戸をさらりと開け、
 「ハイッ、御披露目でーす」と箱屋の小父さん。専属の置屋の屋号と、御披露目する半玉さんの源氏名を告げる。やがて、その家の女将さんに続き、顔を出す。芸者さん方の浮いた褒め言葉。
 中の一人がさりげなく手をのばし、指先で主役の衣装を値踏みした。この三人でワンセットの一行は、「よろしくーっ」と賑やかに、次の格子へと歩み出す。
 古株の芸者さんがうっとうしげに、じろりとテルをにらんでも、この儀式がちんどんやさんより面白く、つかず離れずテルはとことんついてまわる。
 向かいの「田原屋」の店先に秋の果物勢揃い。
 左隣の「菱屋」では、紺の前かけの小僧さんがめくら縞の着物にたすきがけで糸巻機械の前に居並ぶ。これは「菱屋糸店」おなじみの看板シーンなのだ。
 びゅんびゅんと小気味の良い音を店内に流し、様々な種類の糸を小巻きに取り分けてゆく。
 右隣の洋食専門店「鎧亭」は、トルコ・ライスのきつい香辛料の香りで客を呼ぶ。母は、店の売り上げが大人の日は、夜食として店の人それぞれが好きなものを「鎧亭」から取り寄せる。
 夜店のアセチレンランプの鼻をつく匂いに馴れっ子のテルは、古本の陰で本の立ち読み、はす向かいの三和銀行の角を曲がれば、紅白の幕を張り巡らした中で、「熊公焼き」がどんどん焼き上がり、買物篭を下げた小母さん達は並んでも買って帰る。たまには、大きな声を張り上げ、この店の夫婦はすさまじい喧嘩を繰り返しているのだが、結局、仲直りの挙げ句、甘い潰しアンを鼻唄で小母さんが練り上げている。神楽坂では、知る人ぞ知る「熊公焼き」。雨さえ降らねば年中無休。

 冬の神楽坂は本多横町の入口に近い喫茶店「山本コーヒー」の香りに、近隣の大学生があまた集い、議論の花を咲かせる。
 その向かいの「サムライ堂洋品店」は、間口が広く。大きなウインドウに等身大のマネキン人形が、舶来のシャレた紳士用品を着て、暮れの大売り出しを待っている。
 「毘沙門様」の左隣の「藪蕎麦」で年越し蕎麦をたぐり、「土井さんの原っぱ」で凧揚げ、羽根つき。独楽回し。坂の途中の「亀井寿司」。生うにでお銚子をかたむける父の膝を揺すり、テルはまぐろのトロやイクラの握りをねだる。
 大店を回る町内の頭の威勢の良い木やりの美声に上気して、梯子乗りを御見物。芸者さんの髪に稲穂のかんざしが揺れ、神楽坂演芸場で志ん生が初笑いを一席。
 文具の「相馬屋」でぴかぴかのノートと、書き続けもしない日記帳を揃え、外国映画専門の「牛込館」で、ジョン・フォード監督の西部劇「駅馬車」を見た。
 桜が咲けば、靖国神社の御大祭。母の嫌がるゴミソバ(ソース焼きソバの事、屋台で作るので、ゴミも入っていると大人達は言うのです)の立ち喰いを、今年もテルはやってのける。


(つづく)   第7回

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プロフィール

可久鼓桃

Author:可久鼓桃
東京・京橋生まれの神楽坂育ち。
江戸っ子3代目。
昭和4年生まれの88歳。
短歌、詩、小説、絵画など幅広く表現。
運命鑑定家でもある。

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