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連載小説「神楽坂」第23回

連載小説「神楽坂」       第22回

第23回

 第九交響曲歓喜の歌たからかに、蛍の光で学生生活の幕が降りた。戦に振り回された学生時代は、接続詞を見つけるのに手間取り、卒業が中途下車の思いで、やり残した事が学校のそこかしこにぶら下がって、手招きされたら踵を返してかけ戻りそうだ。
 卒業後、ハルは父の店で商いのお手伝い。モーター付きのレンズ砥石の前で、余り期待もされぬままレンズ加工をやっている。門前の小僧は、問屋への走り使いの往復に、本屋の寄って空きな本が買えた。
 店の休日は、映画好きの父に連れられ新着の外国映画を見に行く。禿げた頭に必ずベレー帽をのせて歩く父は、ミュージカルが大好き。仕事場の隅にメモ帳を置いて川柳で時世を風刺し、寄席に通い、古典落語を覚えると、一席伺ってハルを笑わせる。
 銭湯帰り、見知らぬ人に肩を叩かれ、「師匠これから高座で?」などと言われると勢い込み、「へい、おかげさまで」と言い切り、しばらくして肩をゆすって笑う。戦災から後ればせに立ち上がった父は、失った物の大きさを追わず、毎日を上手に楽しみながら働いている。母は失った物の大きさが身に染みて痛く、少しでも取り戻さねばと居ながらに商いに励む。

 北多摩の家の玄関の土間には、数俵の米俵が常に積まれてあった。囲炉裏のある茶の間には、闇屋の小父さんが出入りして、うどん粉や砂糖、小豆等が運ばれる。時計や貴金属は勿論売りさばかれ、母にかかると手品のように品物が集まり、それがまた散ってゆく。しかも集まる人々は明るくおおらかで、畠の中の「囲炉裏のサロン」では、人と金と品物が順調にワルツを踊る。
 この頃、母は人の出入りを煩わしいと嫌がる子供等に言い聞かせた。「衣食足りて、礼節を知る」と。その都度、ハルは総理官邸で食べた厚切りの羊羹を思い出し、母の逞しさに脱帽した。母はハルが何をやろうと本気ならば文句を言わず、聞く耳だけはいつもあけて置いてくれた。しかも子供等の腹は満たされ、鷹揚に片目を瞑って頷いて、調子にのると無関心に突っ放されたので、躓いたらその痛みが胸にこたえ、父よりも怒る母の方が恐かった。上手に待つ事の難しさとせつなさは母から学び、ハルは生涯母を待たせた。それは、ハルもまた母のように待たされ続けていたから。
 

 (つづく)

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連載小説「神楽坂」第22回

連載小説「神楽坂」       第21回

第22回

 
 日の丸鉢巻きを解き、教科書に再び向かい始めた頃、担任の国文の教師は国語研究会をつくった。同好の志が寄り合い、ハルもその末席に連なった。ハルは、アナウンサーに成りたかった。言論の自由という活字に惚れ惚れとし、生まれたての男女同権に目を輝かせた。だから当然大学へ行きたかった。国文の教師は頑張れと声援。ハルもその気になったが、ゲンの進学を思えば、五人弟妹に父と母、祖母を含めた九人家族では、教育よりも毎日食べて通るのが精一杯だった。男女同権の活字は巷に踊っても、各家族には生き抜く為の順序があった。父の年齢と末っ子トモの年齢を数えれば、どうしてもとは言い出せずに涙を飲んだ。大学受験者は、女子校でもあり、この世相では学年で十指にも満たなかった。諦めたハルは、せめてせっせと本を読み、詩作し希みを文字に書き飛ばした。国語研究会は、ハルを一人残したままやがて解散した。
 卒業がせまるがハルはさほど別離を悲しまない。学校も友人も東京。足さえ運べば遇えるのだから、サイン帳が廻ってきてサインはするが、サイン帳を廻す気にもならなかった。

 現在、跡形もなくなった赤煉瓦に蔦のからまる角筈の校舎。時の将軍が鷹狩りの帰途、鞭を洗ったと言い伝えの策の井。事も無げに飲んでいたこの名水も今や新宿のビルの谷間にブルドーザーの音もろとも枯れ果ててしまったか。
 ハルは、新宿西口駅前に年を経てたたずむ。いつも節水の水が立ち上がらぬ噴水と、痘痕のように防空壕が散らばる公園跡は、さんざめくバス・ターミナル。当然見えるべき筈であった赤煉瓦と蔦の葉の緑が雑踏の間を分けて、一瞬よぎる。
 現在の音を消して目を瞑れば、記憶は欲しいままにさかのぼる。散会した後の出陣学徒が、三つ編みの女学生と日暮れの公園で出逢う。ベンチの鉄の部分も、柵の鉄鎖も弾丸に変え飛ばされて、めぼしい立ち木は、どこかの家の竈の灰になった。名ばかりの裸になった公園で、不器用に互いを見つめ、無言のまま手を握り合う二人。時局は若者から恋まで奪い、突きつけられた別離で終わっていた。

 (つづく)

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プロフィール

可久鼓桃

Author:可久鼓桃
東京・京橋生まれの神楽坂育ち。
江戸っ子3代目。
昭和4年生まれの88歳。
短歌、詩、小説、絵画など幅広く表現。
運命鑑定家でもある。

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