2009/10/11
連載小説「神楽坂」第21回
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一週間が様々な出来事を刻んで、秘密を呑み込み過ぎて行った。女にされ、それを追って身体が大人になった。ともかく、この取り違いから歩み出さねばならぬ心細さ。信頼深い筈の血の呆気なさ。蹴落とされた穴の底で、丸い青空に両手を上げて縋る思い。怒りを持ってゲンを極めつければ、生まれてこのかたの月日が惜しまれ、大切な血のつながりは遠ざかる。忘れるには己れが不憫で、共に生きた命が共に大人になったと思おうとした。唯、余りの段取りの無さは恋でもなく、愛と言うには近すぎ、欲望として済ますには惨めすぎた。ゲンは、まるで警戒のなかったハルに、距離を教えあきらめの烙印を押した。
ハルは、さりげなく入舟町から遠のいた。今更振り向く恐ろしさより、振り返って出逢うその目が、もし冷えて恍けでもしていたなら、一度限りの流れた血が憎しみになろうから、やり場のない自分を、最早突っ放して歩いてゆくしかない。
終戦直後、日本の世相は他人の屍を踏み越えても我が身の富を守り、強い者が栄光を貪った。学生は修身の教科書から無責任に解き放たれ、舶来好みの日本人は、けろりと過去を葬り、「祖国」という言葉すら忘れ、今日食べられる事が生き抜く明日に繋がっていた。闇物資は耐え忍び続けた人心をかき乱した。精神は二の次で、物質が心を犯した。
夕暮れ以降、子女の一人歩きは危険だった。ハルの家の近くに、立川から所沢を抜け、入間に向かう、各米軍基地を結ぶ幹線道路がある。米軍の大型軍用トラックが、ギラッとした大きなライトをつけて、ゴウゴウと走りまくる。トラックから長い毛むくじゃらの手がやにわに伸び、小さな日本の女を抱え、そのまま走り去る。ハルの友人に十五歳になる大柄な妹がいて、学校帰り同じ目に会ったが、負けた国の警察は施しようもなく、臭い物には蓋をして、弱い国民は泣き寝入り、新聞に載せようのない事件などは、どこの町にも転がっていた。ハルはギラッとしたこの光に出逢うと、物陰に隠れる。戦争中は防空壕にもぐり、戦後もこれだから、どのみち命がけの通学だ。
慌ただしい歴史の中での学生生活も残り少ない。戦争中の教育は、まだ頭の隅でくすぶる。警報のサイレンでの授業の中断こそないが、同じ顔の先生が、同じ教壇に立ち、戦後は全く違った理念で私達に語りかける。何故今に至り、今が何故正しいのか、どこかに省略が潜んでいて、しっかりと伝えてくださらない。もしも、これが突然の自由や民主主義ならば、またもやある日、大東亜共栄圏に舞い戻り、学生がペンを捨て銃を持たされ、打ちてし止まむなぞと叫ばねばならぬのか。私達は、怖ず怖ずと変化してゆく世界地図を広げる。ハルは、あの総理官邸の大黒様と恵比寿様の陰から、幼い笑顔をあらわに手招きした、カボチャを思い出す。たまたま総理大臣の娘であったカボチャは、今頃どこで、どんな思いで勉強しているのだろう。我々と同じように自由と民主主義を手に入れただろうか。
(つづく)
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