2009/07/22
連載小説「神楽坂」 第15回へ
第16回 あの八月の朝、明電舎の三階の仕事場で、汗でべったりと濡れた日の丸鉢巻きをきりっと結び直した丁度その時、スピーカーから全員集合の指令。すり減った運動靴を引きずり一階の中庭へ、ねずみ色の階段を怪訝な面持ちでぞろぞろと降りてゆく。
「天皇陛下の玉音放送が御座います。」と工場長の重々しい声。
一瞬ざわめいた群衆も緊張して静まり、不透明な空気の中、国民がはじめての陛下の沈痛なお声が細く清冽に流れてゆく。我々は一人、また一人その場に蹲る。腹の底から唸り声をあげ、高まる憂憤の情は堰を切って、日の丸鉢巻きを地べたへ叩きつけ、握る拳を震わせる男子学生。
ハルは、足を踏み締め腕をさすり、今の命を確かめたが、空白になってゆく頭の中は、瞬時に区切られて頼りない。工場の機械の音は消えて、午後は解散。大崎のホームに立ち、私達はまず宮城前広場へと目で頷き合う。その時、ホームの柱の陰で何が可笑しかったのか、甲高い声張り上げ、ゲラゲラと級友が笑った。その声に素早く駆け寄り、笑う女子の顔に男子生徒の平手打ちがとんだ。
誰もがやり場なく途方にくれ、動員学徒等は泣くエネルギーもなく、惚けた目を寄せ合ったこの日、激しい目の前の光景は過去への決別であったのか。
やおら、その空気を破り、平手打ちの男子生徒は、声を限りに叫んだ。
「何が可笑しいのか、今日は、今日は笑っちゃいけないのだ。せめて今日だけは」と、ホームの柱に血の滲む程身体を叩きつけ慟哭した。打たれた級友は、防空頭巾の紐を引きちぎり、全身を震わせて泣いた。ホームの動員学徒は耐えかねて一斉にに号泣した。それは、もうどこえなりと、と急に解き放され、行き場に迷う青春の咆哮だった。
昨日まで燃えて組み合って来た肩を、今日は頼りなく寄せ合って、宮城前広場に集まり正座する。玉砂利を握りしめ二重橋に向かい、こうべをたれれば、涙があふれて止まらない。誰も喋らず、あちこちに忍び泣く声がうずまいている。
「将校さんが切腹した」と遠い所で誰かの叫ぶ声。
ひもじいお腹をかかえながらも、一人として立ち上がらぬ、ひたすら従い夢中で生きた月日が、ここに座ってさえいれば無駄にならぬ気がして、返事の返る筈もない雲居の果てをひたすら見つめるだけであった。
この日を境に、父は終戦ボケとなり、母は甦って逞しくなっていく。次々と偉かった人が自決し、小さな子供等の間には「お山の杉の子」の歌が流行っていた。
(つづく)
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