2009/06/08
連載小説「神楽坂」 第10回へ
第11回 街中には、「月月火水木金金の歌」が流行し、アメリカ映画は、全く上映禁止となった。十二月八日、日本軍はハワイ真珠湾を奇襲。年もおしつまると香港全島を占領した。明くる昭和十七年マニラを占領、ビルマに進撃。二月十五日には、シンガポール占領となった。暮らしは益々きびしく、味噌・醤油も配給制、衣料も配給切符制。その心細さに追い打ちを掛けるように四月十八日、アメリカB25爆撃機日本本土初空襲となった。あれ程、「本土空襲絶対なし」と国民にお約束の軍部宣言は破られ、民衆の不安感は募っていった。
ハルは女学生になり、ゲンは中学の二年生になっていた。歴史はスピードをあげ、目隠しされた国民を駆り立てた。せっかく習えると思った外国語は随意科目となった。
ハルの同期生に、当時
内閣総理大臣の娘がいて、ニュース・カメラマンが現れて、勤労奉仕中の彼女の姿を写す。先生方は気を遣い、彼女も気を遣われる事に気を遣う。賑やかな集まりでいつも主役の取り澄ます顔の裏に、疲れた彼女の孤独をハルは見つけた。彼女にもあだ名があった。カボチャと言う。御当人は知るや知らずや、ふっくらおっとりと、小麦色の頬にソバカスを散らせ、当たりさわらずの取り巻きは、お手玉もバレーボールも、彼女が不利にならぬようさりげなく気を配っている。梅雨時の遊び時間は、校庭に出られぬ日が続く、カボチャの取り巻きは、彼女を中心に教室でお手玉。いつも本を読んでいるハルも、誘われてお手玉遊びに今日は加わっている。やがてカボチャがお手玉を落とした。次はハルの番だから、素早くそれを拾って始めようとした。取り巻きの一人が肘でハルの脇腹をつつく。ハルは気付かぬまま無頓着にもお手玉を始めた。取り巻きは静かに一人、二人と立ち去り、カボチャの笑う顔が目の前に残ると授業開始のベルが鳴った。
風が立ち雲が流れ、梅雨空に晴れ間が覗いた。空だけ見ていれば、少しの間戦争を忘れた。期末試験の最終日、廊下ですれ違ったハルを、カボチャが小声で呼び止めた。
「家へいらっしゃらない」
家とはつまり首相官邸の事か、ためらいながらも、やっぱり首を縦にふっていた。
長い植え込みが両側に続く玉砂利を敷きつめた道を踏みしめながら歩いて行く。所々に兵隊さんが静かに立っている。五人連れはやっと広い玄関に立つ。ここまでどうやって辿り着いたのか、ハルはまったく覚えていない。玄関の正面に、白木を彫って作られた等身大の大黒様と恵比寿様の像が左右にどっしりと置かれ、そのふくよかで神々しい像の影から、学校と違うおどけた笑顔あらわにカボチャが手招きした。我々は食堂に通される。十四、五人はゆったり座れる細長いテーブルの上座に、小柄な婦人が座っている。我々が末席から頭を下げると、気軽に「いらっしゃい」と一言。てきぱきと身近に控える女の人に用事を言いつけ、立ち上がりざま
「私、お茶漬けでいいわ」と言い、奥に消えた。これがカボチャの母上様であった。
まず、紅茶が出された。暫く国民が御無沙汰の真っ白な立方体、つまり角砂糖がお皿の横に二つ添えられてある。ハルは大切にスプーンですくい、真っ白な茶碗に沈め、ゆっくり溶けるさまをしっかり見つめた。
庭に出て高台から街を見る。芝生の続くその果てに、懸命に生きる国民の住居がはるか下の方に散らばり、今立っているここだけが安全地帯と思えた。
しばらくして、また食堂に戻る。緑茶が入れられ、忘れもしない厚切りのようかんが二切れ、白いお皿に斜めに鎮座ましましているではないか。ハルはハッとした。ハッとしたまま隣の友人の顔をのぞく。もうハッとした段階を終えたのか、友人は食べるに忙しい。角砂糖よりも大切に、この二切れをペロッと頂戴した。
上気した顔のまま、疲れは全身を包み、足だけがせわしく長い植え込みをたどり、街に出た。我々は互いに声を無くし家路を急いだ。ハルの頭の中では、白いお皿と厚切りのようかんと、広い芝生の彼方に散っていた街の遠景、そればかりで、この日、カボチャと何を話したか記憶にもない。帰途、街中の標語がやたら目にとまる。
「一億・一心」「ゼイタクは敵だ」「欲しがりません、勝つまでは」。
戦時下の学生の青春は、時だけが平等であった。
(つづく)
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