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連載小説「神楽坂」第14回

連載小説「神楽坂」       第13回

第14回


 弟の下に妹が生まれ、ハルは五人兄弟の総領になっていた。空襲は益々激しくなり、夜空から照明弾がゆらゆらと落ちてくる。初めて空から落ちてくるあかりを、爆弾と勘違いして、隣の桑畑の中をハルは三女ヒサの手を預けられ、家族全員で右往左往した。毎度、我が家が標的であるかのように、遙か彼方で急降下した敵機は、我が家の真上で急上昇する。双眼鏡を構えてその敵機に視点をあてれば、鼻の尖った外人の顔がハルの目にはっきりと写った。「見えたぞ、見えたぞ」と大声張り上げるハルに、「爆弾を落とされたら大変でしょ」と母はきつく叱り、双眼鏡は取り上げられてしまった。

 出がけに水盃でも済ませた目付きを母と交わし、ハルは大崎の明電舎へ通う。疎開もせず下町から通う友が或る日死んだ。総理大臣をたまたま父に持った級友は、いつからか姿を消し、もはや誰も彼女の行方すら尋ねるゆとりを無くしていた。毎日が戦いのニュースと警報のサイレンに追い立てられ、戸惑いながら過ぎてゆく。母の鏡台の奥に大切にしまってあるリボンを取り出し、もんぺの腰の左隅に小さく結び付けた。誰ともなく始めたこのおしゃれは、日の丸鉢巻の下にすら隠しきれぬ青春の証だった。

 新宿で共に乗り換える洋子ちゃんと、ハルは早めに工場を出た。新宿の中央階段の下で待つという、洋子ちゃんの恋人に引き合わされる。早晩、出陣学徒として立ち去る大学生は、軍服の似合いそうな凛々しさ、丈高い身体に詰め襟の学生服、艶の出た破帽に手をかけ、かるく挨拶を交わすと、腰に挟んだ手拭いを抜き取って、額の汗と手の平を擦り、約束の本を洋子ちゃんに手渡している。
 「もうすぐ、この人ゆくの」と、俯いたままの友は微かに首を振る。世間の大人達が言うように「おめでとう御座います」などとは決して口にすまいと、ハルは唇を噛んで頭だけ下げた。その時、どうした事か洋子ちゃんの穿いているモンペが、腰のボタンでも千切れたかストンと足首まで落ちた。衆目を庇った恋人は洋子ちゃんに背を向けぴったりと張り付き、ハルも友の背に駆け寄る。思わぬ出来事に口をポカンとあけたままの友は、気付くと身を揉んですすり泣いた。戦時下にせよ、際立つ美貌は隠しがたく、将来、服飾で身を立てたいと口癖の彼女は、日頃からおしゃれ隠しの天才を自負していたから、恋人の前で今流す涙が痛ましかった。黒地に黄の小花模様の服地で仕立てた。形の良いモンペは、やたらの人には手に入れぬ。先程からちらちら眺めていた周囲の女の目は、、美しいレースをたっぷり使った下着が現れた。いくつかの古着をかき集めて夜なべに工夫の友の作品とはこれだったのか。美を敵として見なすよう躾けられた国民は、羨望を冷たい怒りに変え無言で友を射る。ハルはそれらの目に立ちはだかり、不当な目を見返して廻る。ハルの背に彼女を思う恋人の荒い息が聞こえた。
 泣く友の耳に口を寄せ、「時間の方が大切よ」と手持ちの安全ピンをハルは二個渡す。素早く身仕舞いを終えた友の肩を突然とんと叩くハル。よろける彼女を恋人が優しく抱きとめるのをハルはニヤリと見とどけ電車に乗る。
 ハルは遠ざかる友に、束の間であれ幸せあれかしと喝采を送った。目隠しされた青春の合間。寸時なりとも解き放されたこの爽やかさ、車窓から入りくる初夏の風を受け、ハルの背の三つ編みの髪は若い生命をたっぶりふくんで揺れる。
 
   
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連載小説「神楽坂」第13回

連載小説「神楽坂」       第12回

第13回

  徴兵年齢が一年引き下げられ、第一回出陣学徒壮行大会が神宮の森で行なわれ、ハルの学校の生徒はこの式に真っ先に列席する。カボチャの父上の甲高い演説の声は、降り止まぬ雨足をつき破り、神宮の空にわだかまる雨雲を走らせる。学生服にゲートルを巻いた足並みは雨を蹴散らし、目深く学帽を被った行進は長く長く続く。銃を担ぎ肩から斜めにかけた日の丸は点々と雨に濡れそぼち、血の滴りを思わせた。みんな往ってしまう。みんな死に急ぐ。涙と雨が顔に流れ、薄ら寒さが襲い、歯がカチカチと鳴った。

 学徒動員が本格的に決まり、下級生は学校で作業、教室に黒い幕が張り巡らされ、我々上級生といえども立ち入り禁止である。我々の通う工場は、大崎の明電舎。通信機の部分品の作成。大都市に疎開命令が出され、田舎へ帰れぬ学童は、集団学童疎開に加わる。家庭用の砂糖配給停止となり、町のそこここに雑炊食堂が開かれた。
 父は、入舟町のお婆ちゃんの実家東村山の近くへ、一反の農地を手に入れ、その中央に家を建て、残る三分の二は畠とし自給自足の生活に入った。建てて間のない江古田の家は父の友人に貸し、入舟町のお婆ちゃんは、ゲンを連れ店を知り合いの同業者に貸して東村山に引っ越して来た。
 
 ゲンもハルも、朝早く起きて東村山から東京の工場へ通う。父は、大八車を手に入れ、焼けぬ内にと神楽坂から遠い道のりをものともせず荷を運ぶ。禿げた頭に濡れ手拭いをのせ、身に余る大八車はあべこべに父を引きずる。憑かれた父はひたすら荷を引く。父の身体はみるみる陽にやけ、小物の時計修理は手が震えて出来なくなった。人も車も戦に刈りだされ、必死で自分を守らねばならぬ時代に入った。
 
 三月にはB29の東京大空襲。江東区全滅。五月の大空襲では、都区内の大半が焼失した。神楽坂と江古田もすべて灰になってしまった。夕方、畠で何をするでもなく立ちすくむ父の後姿に、食事を告げに出たハルは、声もかけられず、惚けた父の肩に子として初めての老いを見た。    
 
 (つづく)  第14回へ

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連載小説「神楽坂」第12回

連載小説「神楽坂」         第11回

第12回

 高村光太郎氏の「智恵子抄」が発刊され、北原白秋氏が亡くなられた。学生生活は奉仕の明け暮れで、勉強時間が少なくなった。すべて命令の枠の中で動いている。何やら口に出せぬ不安に、唯々ハルは本を読んでいた。ハルの家には、父の本箱と、母の本棚がある。父の本箱の方は、豪華なガラス戸付きの中に、さして手垢にもまみれぬ本が数少ないもたれ合っている。岡本綺堂「半七捕物帖」の分厚い紺の表紙にはじまり、中里介山「大菩薩峠」と、隣には薄い和綴じの川柳の本が雑多に並べられている。どの本を取り出しても、一向に叱られないが、川柳の本にだけは手をふれても父は叱る。酒乱の父親と、目から鼻に抜ける母親、手のつけようのない遊び好きの弟を身内に、日がな使用人の目に囲まれ、妻に気兼ねのこの当時、父がたった一つ通した道楽が川柳であった。

 ハルが幼稚園の時、父に手を引かれ、たどりつけば一人で遊ばされたのは、向島の百花苑であった。細長い紙を手に、考え込んでいる集団の中の父は、家では見られぬ顔付きして楽しそうだ。ハルがおとなしく父を待てば、戻り道、浅草の松屋で好きなオモチャを買ってもらえる。川柳を「カワヤナギ」と始めに読んだハルが、あの時の集団の中で一番偉かった人はと、すぐる父に尋ねたら、川上あめんぼうと言い、その後、川上三太郎と名乗った川柳の神様だと教えられた。思うに、気の小さい父のせめてもの憩いは、斜にかまえた川柳の世界にこそあったのだろうか。

 母の本棚の方は、まさしくリンゴ箱の廃物利用で、ざらつく板に色紙を張り付け、控え目に部屋の隅につられている。控え目に置かれた程には、本の数は多く、本の内容は父の考えを突き抜けて大胆で、谷崎潤一郎「痴人の愛」「蓼食う虫」など、母の本棚から、ハルが繰り返し読んだ本には、賀川豊彦「死線を越えて」と、「太陽を射るもの」がある。いつからか、この二冊の得がたい本は消えていた。翻訳物は、軍医で戦に往った母方の昇叔父の本棚を漁った。カビくさい蔵の二階、わずかに差し込む陽を頼りに、セピア色に乾いた古本の匂いは、たぎる青春に安息をあたえてくれる。昼は、勤労奉仕、夜は読書、まるでインクのスポイトのようにハルは活字を吸い上げていた。
    
 
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連載小説「神楽坂」第11回

連載小説「神楽坂」           第10回

第11回

 街中には、「月月火水木金金の歌」が流行し、アメリカ映画は、全く上映禁止となった。十二月八日、日本軍はハワイ真珠湾を奇襲。年もおしつまると香港全島を占領した。明くる昭和十七年マニラを占領、ビルマに進撃。二月十五日には、シンガポール占領となった。暮らしは益々きびしく、味噌・醤油も配給制、衣料も配給切符制。その心細さに追い打ちを掛けるように四月十八日、アメリカB25爆撃機日本本土初空襲となった。あれ程、「本土空襲絶対なし」と国民にお約束の軍部宣言は破られ、民衆の不安感は募っていった。

 ハルは女学生になり、ゲンは中学の二年生になっていた。歴史はスピードをあげ、目隠しされた国民を駆り立てた。せっかく習えると思った外国語は随意科目となった。
 ハルの同期生に、当時内閣総理大臣の娘がいて、ニュース・カメラマンが現れて、勤労奉仕中の彼女の姿を写す。先生方は気を遣い、彼女も気を遣われる事に気を遣う。賑やかな集まりでいつも主役の取り澄ます顔の裏に、疲れた彼女の孤独をハルは見つけた。彼女にもあだ名があった。カボチャと言う。御当人は知るや知らずや、ふっくらおっとりと、小麦色の頬にソバカスを散らせ、当たりさわらずの取り巻きは、お手玉もバレーボールも、彼女が不利にならぬようさりげなく気を配っている。梅雨時の遊び時間は、校庭に出られぬ日が続く、カボチャの取り巻きは、彼女を中心に教室でお手玉。いつも本を読んでいるハルも、誘われてお手玉遊びに今日は加わっている。やがてカボチャがお手玉を落とした。次はハルの番だから、素早くそれを拾って始めようとした。取り巻きの一人が肘でハルの脇腹をつつく。ハルは気付かぬまま無頓着にもお手玉を始めた。取り巻きは静かに一人、二人と立ち去り、カボチャの笑う顔が目の前に残ると授業開始のベルが鳴った。

 風が立ち雲が流れ、梅雨空に晴れ間が覗いた。空だけ見ていれば、少しの間戦争を忘れた。期末試験の最終日、廊下ですれ違ったハルを、カボチャが小声で呼び止めた。
 「家へいらっしゃらない」
 家とはつまり首相官邸の事か、ためらいながらも、やっぱり首を縦にふっていた。
 長い植え込みが両側に続く玉砂利を敷きつめた道を踏みしめながら歩いて行く。所々に兵隊さんが静かに立っている。五人連れはやっと広い玄関に立つ。ここまでどうやって辿り着いたのか、ハルはまったく覚えていない。玄関の正面に、白木を彫って作られた等身大の大黒様と恵比寿様の像が左右にどっしりと置かれ、そのふくよかで神々しい像の影から、学校と違うおどけた笑顔あらわにカボチャが手招きした。我々は食堂に通される。十四、五人はゆったり座れる細長いテーブルの上座に、小柄な婦人が座っている。我々が末席から頭を下げると、気軽に「いらっしゃい」と一言。てきぱきと身近に控える女の人に用事を言いつけ、立ち上がりざま
 「私、お茶漬けでいいわ」と言い、奥に消えた。これがカボチャの母上様であった。

 まず、紅茶が出された。暫く国民が御無沙汰の真っ白な立方体、つまり角砂糖がお皿の横に二つ添えられてある。ハルは大切にスプーンですくい、真っ白な茶碗に沈め、ゆっくり溶けるさまをしっかり見つめた。
 庭に出て高台から街を見る。芝生の続くその果てに、懸命に生きる国民の住居がはるか下の方に散らばり、今立っているここだけが安全地帯と思えた。
 しばらくして、また食堂に戻る。緑茶が入れられ、忘れもしない厚切りのようかんが二切れ、白いお皿に斜めに鎮座ましましているではないか。ハルはハッとした。ハッとしたまま隣の友人の顔をのぞく。もうハッとした段階を終えたのか、友人は食べるに忙しい。角砂糖よりも大切に、この二切れをペロッと頂戴した。
 上気した顔のまま、疲れは全身を包み、足だけがせわしく長い植え込みをたどり、街に出た。我々は互いに声を無くし家路を急いだ。ハルの頭の中では、白いお皿と厚切りのようかんと、広い芝生の彼方に散っていた街の遠景、そればかりで、この日、カボチャと何を話したか記憶にもない。帰途、街中の標語がやたら目にとまる。

 「一億・一心」「ゼイタクは敵だ」「欲しがりません、勝つまでは」。

 戦時下の学生の青春は、時だけが平等であった。

 (つづく)  第12回

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連載小説「神楽坂」第10回

連載小説「神楽坂」           第9回

第10回

 ハルは、神楽坂にいても入舟町にいても時計の音に囲まれて育ってきた。数ある時計の中で、柱時計は売れてしまうと壁に空間が出来る。それで売れゆきがはっきりわかり、出来た空間に新しい時計が掛けられる。並べられている時計の位置を覚え、売れた時計の個数と型をハルはぴたりと当てる。幼稚園に通う頃から、これをゲームにして父と遊んだ。当ると父は、缶詰になった小さなメリークリームを買ってくれる。大物を直すのに使う太いねじ回しで、父が缶の上に二カ所穴を開けてくれると、甘くてとろとろの濃いミルクが吹き出し、ハルはそれをちゅっちゅっと吸う。だが時計は配給となり、店の壁には空間が広がり、メリークリームはもう売られていない。柱時計の中で神楽坂と入舟町のどちらにも、同じ製造元で作られた同じ型の柱時計が一つずつあった。これは兄弟のように標準時計として使われ、非売品である。神楽坂の方が少し大きく、どちらもウエストミンスター・チャイムで時を知らせる。この二つのチャイムは音程が少し違う。同じメロディーだが神楽坂のは響きが長く、入舟町のは短いが、なんとも快いメロディが流れ、十五分、三十分、四十五分で時を打ち、音・u桙フ長さが違うので、離れていてもおおよその時がわかる。ところが、戦争はいつまでも続き、この時計がうたうメロディーは、なんと言ってもイギリスはロンドンのウエストミンスター寺院の鐘の音。困ったあげく、この二つの柱時計には、それぞれの家の寝室にお引きとり願った。時計の中で育ったハルは、馴れきった音では目が覚めない。目覚まし時計の二つや三つ並べたとて、びくともせずに眠ってしまう。
 ハルが目覚まし時計で起きることが出来るようになったのは、のちのち嫁いで二、三ヶ月もたった後からだった。

 砂糖やマッチが切符制となった。食堂や料理屋では、御飯を売る事まで禁止されて、神楽坂の灯りはひとつずつ消え、母のお腹には、四人目の命が育っていた。年が明け、節分も過ぎた雪の朝。母が産気ずいたと病院からの知らせに、四人目も女であろうと諦め顔で病院へ出かけた父が小躍りして立ち戻り、あわてて男物の産着を探しに走った。お婆ちゃんは、跡取りの顔が見られると涙ぐみ、「お手柄、お手柄」と、いつになく嫁を称え、お赤飯の調達に出かけた。夏になって、以前より中野の江古田にある家作の前側に二軒家を建て、一軒をあるじが女子大に奉職する一家に貸し、その隣の広い家に七人家族が移り住んだ。父は神楽坂から週に二日この家に戻る。ハルも神楽坂の学校に通う。小学校は国民学校と名前を変えた。お婆ちゃんは、この家に移るとめっきり身体が弱く気も弱くなった。父は戻ると、凱旋将軍のように手に入れてきた祖母の好物を茶の間に広げ、祖母は父を英雄のように見上げる。父の名をしきりに呼ぶ祖母は、子供のように父に甘え、御注文通りの大きな檜造りの湯舟で、「極楽、極楽」と御満足であったが、その御満足の風呂の中で倒れ、七十三歳の命を終わった。

  (つづく)   第11回

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プロフィール

可久鼓桃

Author:可久鼓桃
東京・京橋生まれの神楽坂育ち。
江戸っ子3代目。
昭和4年生まれの88歳。
短歌、詩、小説、絵画など幅広く表現。
運命鑑定家でもある。

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