2008/09/15
連載小説「神楽坂」第7回
連載小説「神楽坂」 第6回へ第7回
テルが、牛込見附の停留所で、走るチンチン電車をぼんやり眺めていると、「テルさーん」と、健どんが自転車を押して、真っ赤な顔でとんで来た。「叱られる、叱られる」と節をつけながら手を叩き、自転車の荷台にテルをしっかり乗せた。
当時、神楽坂のおばあちゃんは、まだまだ元気で、母と日がな陰湿な頭脳的冷戦を繰り返していた。祖母はテルが初孫なのに、やたら入舟町にやられるのを面白く思わず、テルが戻れば取り分け甘やかす。
おばあちゃんが唄う、地獄・極楽の御詠歌は、神楽坂でのテルの子守歌だ。
「地獄の鬼めがあらわれてー」の所にさしかかると、後は夢うつつで眠ってしまう。
しかし、今夜は人さらいのお話をたっぷり聞かされて、テルはこわい夢を見た。
ゲンは大人のトラブルなぞどこ吹く風、検査の結果、今年も大事なく、海に出かけて大丈夫と医者の折紙つき。どこかの大人が、父につまらぬ告げ口をしたばっかりに、テルは入舟町と神楽坂を、不自然に行ったり来たりした。
逗子の家につくと、大人達はすぐさま大掃除。子供等は入舟町のおばあちゃんに連れられて砂浜へと、すっ飛んでゆく。神楽坂のおばあちゃんは、ひと夏に二度程しかやって来ない。逗子に行く時節になると、「お父さんの身の廻りは、私にお任せなさい」と楽しげに言い、いそいそと皆を送り出す。夏の間だけ店から母がいなくなると、大入りの日でも好きな夜食は現れず、三度の食事のおかずも粗食となる。
代わる代わる逗子に泳ぎにくる店の人は、「おかみさんがいないと、まるでお寺のオカズです」と口々にこぼす。母は、近所でつぶした新鮮な鳥肉と魚を、神楽坂に戻る店の人に必ず持たせる。
父には、たった一人の弟がいる。独身のまま、毎日映画と芝居見物に浮き身をやつし、飽きもせず宝塚歌劇の大ファン。三十歳の独身は、どこかおかしい人か病人だけだと大人達は陰口をたたく。かかさず通う宝塚歌劇に、毎月ハルは連れて行かれたので、ブロマイドを抱きしめあこがれる年頃には、テルはその先を見つめることが出来た。
叔父のお役目には、テルとカズの幼稚園の送り迎えがあった。小春日和の午後。格別用事のない日は早や目に幼稚園にやってくる叔父。今日も子供用のブランコに揺られうとうと昼寝。五分刈りの白髪頭に山羊髭を生やした小使いの小父さんは、退屈を持て余す叔父を目の敵にして、竹ぼうきを片手に駆け寄ってくるなり、
「子供用のブランコですから、大人は乗らないでください」
半眼を開いた叔父、尚もウトウトと首だけは縦に振るが、一向にブランコから降りようとしない。山羊髭はいらだち職員室にかけ入った。やがて年配の先生を先頭に意気揚々と引き返した山羊髭は、うだうだとこの先生に状況説明。やっと気付いて立ち上がる叔父。古参の女先生は、白粉気のない顔で、半ぱ者を見下す態度もあらわに、何故ブランコに大人は乗ってはならないかと、こと細かな御訓戒。ペコペコと頭は下げても、叔父の目はとぼけて空を見上げている。ぞろっとした着流しに、ほのかな香水の匂いまでさせた、のっぺりの二枚目半では、とても幼稚園のお迎えの姿とは思われない。袖をかき合わせたなら、落語に出てくる朝帰りの若旦那の風情だもの。皆様のお怒りもごもっとも。正面玄関の鐘が鳴ると、園児はいっせいに玄関から駈けだしてくる。叔父は、母の言い付け通り駆け寄るテルのスカートをまくって、まず、パンツの有無をたしかめる。テルは、幼稚園の便所に入ると、家でやっているようにそっくりパンツを脱いで、つかまる為に作られた目の前の横棒にそれをひっかけ、用を足すとそのまま忘れて家に戻ってしまう。だからテルのパンツは、もらした分も入れると、一ヶ月にざっと一ダースは消えてしまう。
テルが叔父に手を引かれ幼稚園を後にしたからといっても、まっすぐ家に戻るとは限らない。〈さわや小間物店〉の角から三軒目のお好み焼き屋で牛てんを食べるか、土手公園のベンチで叔父は昼寝の続きをはじめる。テルは松の木の間を飛び跳ねて叔父の目覚めるのを待つ。まっすぐに帰った時は、二階の広い押し入れの上の段で、毎度、狼と羊のおとぎ話を聞きながら、叔父に抱かれテルはすやすやと眠る。陽が傾き始めると、陽に当てたふとんを仕舞いにとよさんが、押し入れの戸をガラッと開ける。
「あらっ、また」あきれ返って息を呑む。別段悪びれた風もなく、のそのそと起き出した叔父は、手拭いに石鹸箱と髭剃りをくるむと、テルの手を引き〈熱海湯〉に出かける。〈熱海湯〉と言っても熱海まで行く訳ではなく、坂の裏手にある銭湯の名前だ。お座敷前の芸者さんでお風呂は一番混む時間。帰りはお風呂屋の前の〈シバタ眼鏡店〉の縁台に腰掛けてひとやすみ、磨き上げた衿のほつれ毛をつげの櫛でかき上げ、せわしげに暖簾を分け、すっぴんの顔のままの急ぎ足のおねえさんおば品定め。
さて、無類の食道楽な叔父は東京中の美味い店を尋ね歩く。日曜日は新宿の〈中村屋〉へ。カリーライスを食べにわざわざと出かける。伊勢丹の前には〈新宿日活〉がある。表のスチール写真の前に叔父が立っていると、支配人らしき人が駆け寄り、「どうぞ、どうぞ」と小腰をかがめ、叔父を映画館に招じ入れようとする。右手を鼻の先であわててふる叔父の手に、素早くテルがぶら下がった。
間違いに気付いた支配人は、「失礼しました」と、それでも小首を傾げ振り返りながら引っ込んだ。ああ! これほど、叔父はアラカン(嵐勘十郎)さんにそっくりなのだ。
この頃のテルは、とよさんに作ってもらった鞍馬天狗の頭巾を叔父に被せ、やんやと手を叩く。叔父もすぐその気になって、椅子に跨ると、馬上ゆたかな見得を切る。
こうした太平楽な生き方も自分の父親の没後は、さすがに改まり、商いを嫌って勤め口を決め、仕事場に近い中央線の立川駅近くに世帯をもった。宝塚歌劇のスター小夜福子に似た口数の少ないおすましの新妻と連れ立ち、叔父は今年も逗子にやってくる。落ち着いた風でも賑やかさ改まる筈もなく、底抜けに面白い叔父の独演会は、逗子に集まる子供達のかかせ遊びの幕開けだ。お得意は、「愛染かつら」の高石かつ江。東京駅で恋人浩三との別れのシーン。この極め付けを見ぬ事には、逗子の夏は始まらぬ。普段早や口の叔父も、この時ばかりはたっぷりと子供らを客に見立てての大熱演。先ずは母の長襦袢をはおり、叔母のショールに首を埋め、半分顔を隠すや、ホームの階段を息せききってあがる仕草、今しも発車せむとする電車の窓に愛する人を見とめ長襦袢をひるがえし駆け寄る。無情にも発車する車窓にすがり、くさい思い入れをここで延々と続け、「こうぞうさまーっ」と、絶叫するとおしまい。さすが、自分の奥さんと大人達の前では絶対やらぬが、子供達にはそっと見せてくれる。しつこく子供らにせがまれた朝は、叔父は一日中、ウキウキとして、子供達はワクワクする。夕食後開演のナイショの舞台は、裏庭のお稲荷さんの隣にあるお蔵の中。長い長持ちの影から踊り出る叔父の早替わりに子供らは大喝采を送る。
(つづく) 第8回へ

にほんブログ村 ←こちらをクリックよろしくお願いします。