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連載小説「神楽坂」第5回

連載小説「神楽坂」       第4回

第5回

 夏の神楽坂は、風呂帰りの芸者さんの粋な抜きえもん(衿をぐっとはだけた色っぽさ)の浴衣姿で始まり、足元に「助六」の柾目の通った桐の駒下駄からころと。「山本山」で煎り上げる、ほうじ茶の香り坂にたなびく。パンの「キムラヤ」の向かい角を入ると、赤い鳥居のお稲荷さん。角の「田毎(たごと)」(置屋)の雄武はよく喋る。
 「オネエサン、ドコユクノ?」
 「チェッ! 張り番じゃあるめいし、おうきにお世話さま」
 仕込っ娘(しこみっこ・半玉になる前、学校に通いながら芸を習う)さんの友達と、石蹴り、縄跳び、隠れんぼ、さても、この通りは、我々のワンパク溜り。はやばやのお出ましのお客が行き過ぎる。
 「オネエサンがお待ちかねーっ」
 透かさず友達のかけ声が飛んで、おなじみさんの背中にぶつかる。
 「おう」と振り返ったおなじみさん。
 「友達」の許へ来ると、ニヤッと笑い、お小遣いをつかませ、すたすたと立ち去る。
 さあて、さてさて、ジャンケンで負けた奴が「キムラヤ」へ走って、有名な「ヘソパン」を買ってきた。これは、ままある裏通りの出来事。ワンパク連中は、これを御祝儀と呼んでいる。

 テルの店のショーウインドの中には、タイル貼りの細長い池がショーウインドにそってぐるりと作られている。夏はこの池の中に水藻が浮かび、まだらな小石が敷き詰められ、その間をひらひらと、お大切な金魚が泳いでいる。この金魚をお他界させず、夏越しさせるに、店の人達はひと苦労。金魚用の冷蔵庫の中は氷でいっぱい。ぶっかき氷を多からず、少なからず、時を決めて入れてゆく。その日の天気と氷の量を雑に扱うと、金魚はご他界となる。先代の趣味が「しきたり」となり、金魚と店の人達には、大変な御迷惑。

 神楽坂は毎日が御縁日。夏は西瓜の叩き売り。テルは夕食もそこそこに、人垣の足の間をくぐり抜け、かぶりつきで日毎の御観覧。小父さんは、立て板に水のしゃがれ声と面白いセリフで客を引き付ける。
 店仕舞いまで通い詰めるテルに、呆れかえってはいるが、おじさんは、西瓜を一切れ必ずくれる。
 すると、決まって、お迎えに来る健どんが、今夜もテルの後で、テルの今もらった西瓜を見ながら眉を寄せる。
 「オネショですよ、オネショ」と言うや、西瓜は、早くも健どんの口の中。

(つづく)        第6回

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連載小説「神楽坂」第4回

連載小説「神楽坂」           第3回

第4回

 明くる日は日曜日だった。
 テルはオヤツを片手に、登り馴れた土手公園の松の木の上で、遠くなった入舟町の空を見ていた。
 昨夜からざわつく家の空気を嫌って松の木から松の木へ見える筈もないのに入舟町を全身で見ていた。
 忙しい商家は、夕方になってテルのいないのに気付く。店員の健どんと清どんをせき立て、父は自転車にまたがり、三方に別れ走り出す。
 「ちんどん屋の好きなテルの事です。また、ふらふらと後にくっついて・・・」と、走り出した三人の背中へ母が叫んだ。

 土手公園の数々の松の木はテルの物思いのハンモック。登れぬ松は逓信病院の前にそびえる、太くて高い老木だけ。松の木だらけの土手公園は、飯田橋から市ヶ谷見附を抜け四谷見附まで、お堀を眼下に見て長くのびる。セーラー服と詰め襟の影が、幾組も夕陽を浴び、土手の斜面で絵になる。お堀のボート屋さんの提灯が、ずらりと祭りのように灯る頃。一組の影は、テルの登っている松の根っ子に腰を降ろしてしまった。詰め襟が皺だらけの手拭いをのばしながら、気恥ずかしげにセーラー服の座る場所をつくる。セーラー服がまっ先に、ハンカチを取り出し、詰め襟の足許を軽く叩きうながす場合もある。
 息を殺して、見下ろすテルには、聞き取りにくい二人の会話の所々をつなげても、ちっとも面白くない。このカクレンボこそが面白いと思っている。
 すすり泣くセーラー服に、謝る詰め襟。果ては、とばっちりが松の木に及び、男が盛んに松の木を揺すりだす。この手合いは、初めから騒々しい。落とされまい松にすがるテル。手の平に血がにじむ。今日のテルは、オシッコに行きたくなった。下を見れば、二人仲良く顔を寄せ合った所。なんだか、声をかけるのが悪いなぁと思っては見たが、「あのーっ」と、上を見上げたセーラー服が飛び上がった。テルを見るや詰め襟は、舌打ちをしつつ、松の木を揺すり、唾を吐き、セーラー服の肩を抱きなおして立ち去った。
 二人が遠ざかるのを確かめ、テルはするすると地べたへ、つつじの裏側でオシッコする。さっぱりとした腰をふりふり、飯田橋駅前に立つ。
 両側の商店のあかりが、神楽坂を浮き上がらせ、まるで、天国行きの滑走路だ。春の神楽坂は、扇模様の石畳に、滑り止めのギザが入れられ、お化粧直し。すり減っていた扇模様がくっきりと美しく、半玉さん(芸者になる為勉強中の人)の襟足に似て、青白く真っさらだ。春雨なら、扇模様のくぼみを面白く雨が伝う。所々に、小石を詰めれば、思い通りに雨水はくぼみを走る。
 テルの道草は、赤いゴムガッパにランドセルを背負ったまま。流れの強い「さわや」の前にしゃがんで、この遊びに時を忘れる。梅雨時は「白木屋さん」の広い店内が寄り道コース。化粧品を並べたマネキンさんに呼び止められ、夏のお化粧の実験台にされた。玩具売場はテルの根城。母と仲良しの女子店員さんに可愛がられ、地下の「月ヶ瀬」であんみつを一杯。優しい美男子の店長さんがいる「白木屋さん」。


(つづく)         第5回

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連載小説「神楽坂」第3回

連載小説「神楽坂」           第2回

第3回

 夏生まれのテルは夏が大好き、海が大好き、西瓜が大好きで、トウモロコシが大好き。
 一学期の通信簿を手にすると、よく学べの母の許へ。テルはよく遊べ、ちょっと学べと決めているが、勉強は嫌いではない。学校の点数だけが母に認められ、父兄会には、母が必ずやってくる。参観日には勢いよく手をあげ、我が存在を確認させんと張り切る。
 その日は、神楽坂の百貨店「白木屋」の角にある「月ヶ瀬」で、フルーツポンチやホットケーキが食べられる。母と二人きりで食べるのだ。母の袂にぶら下がり、手洗いまでついてくる妹のカズも、この日ばかりは御遠慮だ。神棚に通信簿を上げ、パチパチと手を叩けば、毎年行く、大磯の家への避暑支度が始まる。
 今年はテルも背が伸び、「いさみや」さんへ御注文の仕立て卸しの海水着。奥の人達は、大異動だが、店の休日は父と店の人達が前日からやって来て、大磯の家は、修学旅行の宿屋さんに様変わりする。入舟町の祖母もゲンも無論一緒。母方の従兄弟の中でテルは最年長。今年は、生まれたての三女のヒサもいて、母の荷物が大きく脹らむ。ゲンの兄弟は、生まれてすぐに死んだ子供を数えれば、たくさんになるが、ともかくゲンは末っ子だ。ゲンを「四十の恥かきっ子」と、陰で人は言う。三人のゲンの姉達はテルの母も入れ、しかるべく嫁ぎ、今では男のゲンが一人。
 ゲンはテルの母を「カグザラカ」の姉ちゃんと呼ぶ。幼い頃、口の回らぬまま、「カグラザカ」を「カグザラカ」と言い馴れたゲンは、面白がって、そのまま、それで通している。
 学校の成績はよろしく、男なのに妙におとなしい。以前、軽い小児結核を患ってより、余り太らず、ひょろっと背が伸び、女の子のような大きな目に睫毛が長い。片親となっても、母親に心配をかけず、親の御自慢の息子だ。
 ゲンは時々お医者さんで検査を受けてはいるが、今は大した事もない。
 ある日、せかせかとして入舟町の店へ父がやってきた。
 きょとんとした目のテルにランドセルをいきなり背負わせ、物も言わせず待たせていたタクシーにテルを押し込め、神楽坂に連れ帰った。馴れきった入舟町での生活と別れがたく、おかしいと思いながらも、テルはお迎えのタクシーに乗り、はしゃぎながら神楽坂に帰った。


(つづく)           第4回

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連載小説「神楽坂」第2回

連載小説「神楽坂」          第1回


第2回

 多摩の庄屋に生まれ、乳母日傘で育った祖母のキミは、何が起ころうが、おっとりとあるがままに生きる女。嫁入り前の娘三人と五歳のゲンを残し、夫に先立たれた。そこでテルの母が嫁いだ神楽坂の店と入舟町の店は合併した形となる。神楽坂の舅は、日華事変開戦の年、あの世へみまかり、口やかましい姑は喧嘩相手の旅立ちに、少々気が折れ、優しい佛顔になり、間もなく佛になった。
 そんな、こんなの代替わりが済んでから、母は店に出るようになった。奥向きはお手伝いのトヨさんにまかせ、天性商い上手な母、ツルの出番である。店は益々繁盛し、いつの間にか、母は三女ヒサを生んでいた。従って、テルの入舟町住まいは、なおも長引く。

 チンチン電車は新富町から築地へ。築地の交差点の角に間口の広い瀬戸物屋があって、テルの背丈より高い瀬戸物で出来た裸の狸が一升どっくりを下げて、ギョロ目で立っている。テルは、この狸がお気に入りで、今朝も電車の窓から手をふって、「おはよう」と声を掛ける。歌舞伎座の手前に掛かる橋の欄干にちょっと休んでいた鴎が走る電車の音で舞い上がる。
 銀座から日比谷へ。
 休日、ゲンとテルは揃って日比谷公園までやってくる。車の往来が少なく、小学生でも、ものの二十分もあれば辿りつく。半蔵門から四谷見附。ここで乗り換え、市ヶ谷見附を通り、牛込見附(神楽坂下)。ランドセルをカタカタいわせ、飛び降りたら、車掌さんに叱られた。でもね。口笛を吹きながら、神楽坂をのぼる。坂の途中にある「さわや小間物店」を右に曲がると、父の代からお世話様の津久戸小学校にやっとつく。学校帰りは、坂を登り切った右側に、大きな目玉の看板がてっぺんに乗っている店に必らず寄る。入舟町への届け物は、裏口で母が紫色の手提げ袋に入れる。大事な物は、更に小袋に納め、その上を新聞紙でくるみ、必ず、この手提げの底に入れられる。
 「おばあちゃんの言う事をよく聞いて」と母は厳しい顔して言う。
 テルは大きくうなずきながら、そそくさと店にまわる。大きな金庫を背に若禿げの頭を、手拭いでいつも拭いている父の所へ。ニャッと笑うテルに、「ナイショ、ナイショ」と、たいてい小遣いをくれる。仕事場に並んだ店の人はガラスで仕切られた囲いの中で、時計の修理。
 一番古株の健どんが「テルさん、もうすぐ祭りですよ。御神輿が待っていますよ」と声をかける。
 テルは小若半天の男づくりで神輿をかつぐ。じゃらじゃらと、山車なんぞ引いた事もない。神輿が満員御礼の折は、山車のてっぺんによじ登り、太鼓を叩く。
 お祭り大好きのテルは、氏子でもないのに隣町まで祭りを追う。
 色白の顔に、おかっぱ髪を肩で揺らし、どこまでもテルを追う妹のカズ。
 小学校のテルの机の隣には、なぜかカズのお席がある。登校時、テルを追い教室までやってくるカズに、根負けした先生がおとなしいカズを見込み、テルの隣にお席をもうけてくださったのである。
 砂糖菓子に似て、触ると壊れそうなひ弱なこの妹は、首の廻りに桃色の真綿をちょこんと巻いて、病院通いが絶えない。ニコニコしていたと思うと、すぐに泣き出す。カズの泣き声に大人達はすぐに駆け寄り、何だか解らぬ内に、なんとなくテルは叱られている。妹の近くに寄ると粘っこい風が立つ。そこで、触らなければ風も立つまいと・・・。
 「お姉ちゃん、帰るの?」カズが寄ってくる。
 何が「帰るの?」だ。段々、この家が遠くなってしまう。路面電車の中で、神楽坂を見返り、次郎物語のようだと考え込む。テルの目から涙が出た。堀端を抜け、服部〈和光〉の時計台が見えると、ほっと一息。たいして小言も言わず、余り構いもせぬ祖母の気安さに、テルはいそいそと戻ってゆく。

(つづく)       第3回

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プロフィール

可久鼓桃

Author:可久鼓桃
東京・京橋生まれの神楽坂育ち。
江戸っ子3代目。
昭和4年生まれの88歳。
短歌、詩、小説、絵画など幅広く表現。
運命鑑定家でもある。

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