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連載小説「神楽坂」第1回

連載小説「神楽坂」

第1回

 鈴蘭燈のあかりと、向かいの呉服屋の看板の明かりが、このあたりでは珍しい三階建てのしゃれたバルコニィを越え、部屋を程良く照らす。鬱陶しい長雨に天井の染みは濃く浮き上がり、砂づりの壁はじっとりと仏壇の線香の匂いを吸いとる。

 時計・眼鏡・貴金属を商う店。その真上の八畳間。祖母を挟んで、テルは一つ違いのゲンと眠る。
 叔父・姪で、乳兄弟のこの二人。向こう気の強いテルに、幼くして父を亡くしたゲン。ちゃんばらごっこで、下っ引きの役しかもらえないゲンと、丹下左膳では、いつもチョビ安のテル。「御用!御用!」の掛け声の間を、台所からそっと持ち出した味噌壺を抱えテルは、ひょいひょいと逃げ回る。これは「コケ猿の壺」のつもり。ゲンは、十手に見立てた木切れを手に、用心深い目つきで、無鉄砲に動き回るテルを遠くから眺めている。

 築地に近い入舟町。風の吹きようで潮風も運ばれ、煮しめ屋と、焼芋屋の匂いが香ばしく混ざって、夕焼けに染まる町並みを通り抜ける。角の桶屋の小母さんが、店の前へ七輪を置いて、しぶうちわ片手に魚を焼きだすと「また、あした、また、あした」と声を掛け合い、子供等は散っていく。汚れた手足で、ゲンとテルが店の裏口に立てば、のんびりとした声と裏腹な祖母の声に乗った雑巾が、はっしと飛んでくる。やがて、ゲンは煙のようにすぅーと家に入る。テルは、「腹減った、腹減った」と唄い散らし、洗い場にかけ入り、シャボンの泡でのんびり遊んでいるゲンの後から「早く、早く」とせき立てる。
 「テルさんは、お母さんのお腹の中に、忘れ物をして来たんだね」と、通い職人の福田さん。柱時計の箱掃除の手を止め、夕食の下見にあらわれる。

 裏隣の一人暮らしお婆さんは、夕方のお題目。テルには、「チャーリキナ、チャーリキナ」としか聞き取れない。 窓越しにのぞけば、火の用心のおじさんが叩く拍子木より短い。つやの良い木片を両手に、酔ったように身体を揺すっている。その隣のよっちゃんの家は、子沢山。ひつめ髪におくれ毛をなびかせ、ついぞたすきを外したことのない小母さんが、いたずらの絶えない三男坊を追い回す。背中にくくられた赤ん坊は火のように泣き、小母さんの声が裏通りにとどろく。小父さんは、いつもニコニコとあいそが良く。天気の良い日だけ、銀座の服部時計店(和光)の近くで、表札書きの露天商。時々光る鋭い目付きを隠し、腰が低いと御近所の評判。駄菓子屋の前で、よっちゃんと、ベー独楽をしていると、「仲良く遊んでな」とテルの頭を撫で、二人にニッキ飴を買ってくれる。

 テルの家は牛込(新宿区)の神楽坂を登り切った所に先代からある時計・眼鏡・貴金属商。
 テルのすぐ下の妹は、身体が弱くて泣き虫。テルの母は、姑と折り合いが悪く、舅は無類のお人好しだが、酒癖が悪く。テルの父は気が弱く。店は忙しく。その所為か、テルは母の実家の入舟町の店に、いつもお預け。小学校は、チンチン電車で、新富町の停留所から、牛込見附(神楽坂下)まで通う。
 入舟町二丁目。これがテルの出生地。難産のあげく、脚気になった母はテルに乳がやれぬ。前の年、ゲンを生んだばかりの祖母の乳を飲んで育つ。そこで、一つ違いの叔父と姪は、乳兄弟にもなってしまった。ゲンは母キミを「おっかさん」と呼び、テルは「おばあちゃん」と呼ぶ。
 三人揃って銀座へ買物に出掛けると、ゲンは自分と同じ年頃のテルが、人前で母を「おばあちゃん」と呼ぶのが嫌さに、お留守番が好き。祖母を一人じめしたテルは、デパートで「おっかさん」と祖母を呼んでみる。「嫌だよ、この子は」。ちょっと美人で気取り屋の祖母は、満更でもない苦笑い。
 すると、帰りは「銀ぶらに天國、天國の天ぷら」とこうなる。当時、マッチに印刷されていた「銀座天國」のキャッチフレーズである。

(つづく)      第2回

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平成20年1月 日々雑感

入り相の 鐘の音咽び 江戸風情
朝顔・風鈴 熊手・羽子板


いりあひの かねのねむせび えどふぜい
あさがお ふうりん くまで はごいた

釣瓶取られ 情けの河は 荒立ちしが
時を跨ぎて 程良き日和


つるべとられ なさけのかわは あらだちしが
ときをまたぎて ほどよきひより

その上に 相合の傘 空に舞ひ
たどりてめぐる 傘寿春雨


そのかみに あいあいのかさ くうにまひ
たどりてめぐる さんじゅはるさめ


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新年のご挨拶

謹んで初春のお慶びを申し上げます

楽も苦も 「教科書でした」と ふり向けば
汗と涙は ポケットの中


らくもくも きょうかしょでしたと ふりむけば
あせとなみだは ポケットのなか

               ~可久鼓桃~

                     平成二十年一月元旦 (つちのえ・ねずみ)

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プロフィール

可久鼓桃

Author:可久鼓桃
東京・京橋生まれの神楽坂育ち。
江戸っ子3代目。
昭和4年生まれの88歳。
短歌、詩、小説、絵画など幅広く表現。
運命鑑定家でもある。

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