2011/12/06
連載小説「昭和に生きて」第2話「怪物のような民主主義日本上陸」 第2回 「泣くなよの十六歳です」 新宿東口の紀伊國屋書店へは、学校帰り毎日通っていた。ザラ紙に印刷された初版の
「静かなドン」(ショーロホフ)をやっと手に入れた時は涙が出た。当時の紀伊國屋書店はプレハブ二階建で奥へと細長く、階下で立ち読みをしていると、二階を歩く人達の靴音がガラガラと階下に響きわたり、ザラザラと砂ぼこりが降ってきそうな店構えだった。それでも、人々は砂地にふる雨のように、書店に吸い込まれてゆく。どこに眠っていたのか古書が売り場にあふれ始めた。
戦中、叔父の家の倉の中で隠れて読みふけった、ジイドの
「狭き門 」「女の学校・ロベール」「未完の告白」「一粒の麦もし死なずぱ」「田園交響楽」トルストイの
「人生論」までもが手さえのばせば、すぐ目の前でつかめるのだ。
だが、その時私が珠玉とも思えたのは、
「パスカルの瞑想録」の一冊であった。されど、高くて買えないもどかしさ。或る日、店の用事を済ませた帰り、ふらっと寄った神田の本屋街。街のはずれの小さな古書店。そろそろ秋風が北風にかわりそうな夕まぐれ。私はこの珠玉の一冊に出逢い、全身の血が湧き立ってしまった。
人気も少なく、店の主人は奥でうたた寝する有難さ。私はさりげない風で、常に持ち歩くB4のノートを取り出し、必死のスピードで、珠玉の一冊の第一ページから、金魚すくいの綱をかまえる思いで、活字をすくい上げていった。
第一回目。約一時間書き写す。店の主人はこっくりうたた寝。シメコのうさぎじゃ。
第二回目。金曜日の放課後、神田へ直行。 (古書店内にて、約一時間二十分。)店の主人立ち上がり、はたきをかけつつ、店内をひと巡り。こちらも立ち上がり、店の外へ。近くの店で今川焼を二個買う。あわてて食べたので、胸につかえる。再び書店に戻れば、主人殿またもうたた寝。おじさんの足元には練炭火鉢。だから、おじさん、コックリコックリ、練炭火鉢に感謝。書き取り、追加三十分。今日はずいぶん写せた。絶好調なり。冬休みに入れば、もっともっと進むならん。ニッタリ。ホクホク。
第三回目。期末試験の為、しばらくご無沙汰でありました。(古害店内で、本日、一時間三十五分。)おじさん、風邪気味、時々、咳き込み、頭をふりふり、背筋を伸ばした。まずは、御身お大切に。ややや、始めてのジロリ。何故だか、思わず最敬礼。とにもかくにも店の外へ。ほとぼり、ほとほと冷ましに、またまた、今川焼。なーんだ、サッカリン入り。あんこは、いもまぜ、塩の入れすぎ。ほとぼり、ほとほと舞い戻れば、悲しや小雨はらはら落ちる。冷たい師走。手袋出来ない、スピード落ちる。パスカル様に祈りささげて、スピード上げる。
腕が重いよ、首根がつっぱる。肩こり、肩こり、肩叩き。えっ、肩たたき?
「あっ、おじさん」「あっ、すみません」塩をふられたナメクジになりたい、ああ、変身したいよ、カフカ様。「ほら、よっ」「ほら、よっ」とおじさんの声がしています。
あれ、おじさんが小型の椅子を私のすくむ足元に置きましたが、身体が動かないのです。
「ほら、よっ」軽ぐ肩を叩かれ、涙の顔で小椅子にへなへな。嬉し恥ずかし、活字は人情で雨曇り。
今日は書けない。もう、今日は書けやしないよ。感謝デー。
おじさんにたくさんあやまり、帰りかけたら、「また、おいで」と、すぼめた私の背におじさんの一言。
その日、この有難さを伝えに、母の待つ東村山の家へ帰った。約半分近く写し終えたと母に言うと、二の次は、いつ行くのだと母は聞いた。冬休みに入ったある日、出かける私の背に母は、米の入ったリュックを背負わせ、ピンビンのお札を私の赤いガマロに入れた。
「本を売っていただきなさい、必ず、あなたがめくり続けた本をね、商人の子なんだから、商品は大切にするものです。」と、やたら怒らぬ母の、久しぶりの言葉は、ずしりと私の胸に納まり今も消えない。
神田の本屋のおじさんは、幾度も頭を下げる私に、たっぷりおつり銭を手渡すと、「勉強しなよ」と、大きなジロリで、大きな手を振った。私は、背負ってきたお米をそっとおじさんの足元に置くと、一目散で神田の街並みを走り抜けた。嬉しくて、嬉しくて、お茶の水駅前の聖橋の上までやって来ると、夕焼けの空が見事に美しいじゃあーりませんか。
並木路子の歌う「リンゴの歌」が、どこの街にも流れていた。それ以来、「パスカル」と「リンゴの歌」は、私の記憶の中で、いつも手をつないでいる。
新宿東口の改札を出た右側にモルタル三階建の「聚楽」というレストランがあった。地下には生バンドが入っていた。その前の通りは、週末になると、GI(アメリカ兵士)だらけになる。洋モク(アメリカたばこ) のしゃれたワンカートンボックスが、あこがれのチョコレートがガムがキャンディーが、茶色に銀色の浮き文字のハーシィーのココアの缶が、その他もろもろの食品が、街角のそこここでGIの手から、ラッバズボンのお兄ちゃんの手へと渡ってゆく。
すると、身軽になったGIに、やおらもたれかかり、腕をとる日本のおねえさん。パラシュートのようなスカートをはき、パーマのかかった髪をたっぷりしたネッカチーフで包み、バラの花びらが張り付いたかと見まがう唇に、洋モクが煙りたつ。.このストリートスタイルのお姉さん達を街の人々は、パンパンと呼んだ。街角での取り引きを終えたGIは、くだんのお姉さん達にいざなわれ、カップルで街に溶け込んでゆく。
今やいきなり人と光と色彩があふれ出した新宿の街は、毎日がメリークリスマスの様変りだった。過去の日本が、ぐいぐい日本の色をからめとり、後へと流れて過ぎる。
敗戦直後の日本民衆はレールの存在も乗り換える駅の様子もわからぬまま、配られた「平和」というまっ白なチケットを握り締め、生きて行かなければならない。ある人はオロオロと、ある人はギラギラと。
幸せよ、我が生命よと、手さぐりす、
ふき上ぐる思いは、インクの壷へ (秋風の十六歳作)
(つづく)
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