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平成20年1月 日々雑感

入り相の 鐘の音咽び 江戸風情
朝顔・風鈴 熊手・羽子板


いりあひの かねのねむせび えどふぜい
あさがお ふうりん くまで はごいた

釣瓶取られ 情けの河は 荒立ちしが
時を跨ぎて 程良き日和


つるべとられ なさけのかわは あらだちしが
ときをまたぎて ほどよきひより

その上に 相合の傘 空に舞ひ
たどりてめぐる 傘寿春雨


そのかみに あいあいのかさ くうにまひ
たどりてめぐる さんじゅはるさめ


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短歌集「残照の章」

沙羅双樹の ゆれる葉陰に 指折らば
 三十七年は うたた うたた寝


サラソウジュの ゆれるはかげに ゆびおらば
 さんじゅうしちねんは うたた うたたね

亡夫三十七回忌なり


汝れは生き甲斐と 抱きくれし 夫ひたすらに
 我こそしかく 今日迄を来つ


なれはいきがひと いだきくれし ツマひたすらに
 われこそしかく きょうまでをきつ

三十七年をたどる・・・


薬投ぜし 湯けむり立てて 秋霖の夕べ
 冷えてぞあろう 夫(つま)の背を待つ


くすりとうぜし ゆけむりたてて しゅうりんのゆうべ
 ひえてぞあろう つまのせをまつ


痛む胃に 耐えかね起きる 夫の背を
 さすれば 骨の継ぎ目 触れたり


いたむいに たえかねおきる つまのせを
 さすればほねの つぎめふれたり


その痛み 変わりようなし やるせなし
 夫(つま)の背越しに 靄の晩秋


そのいたみ かわりようなし やるせなし
 つまのせごしに もやのばんしゅう


秋の夜なが 語りつかれて 夫(つま)と共に
 冷めぬ目交わし 歯を磨き合う


あきのよなが かたりつかれて つまととも
 さめぬめかわし はをみがきあう


添ひてより 薬忘れし日 わずかなれば
 厄の峠は 抱き合うて越えなむ


そひてより くすりわすれしひ わずかなれば
 やくのとうげは いだきあうてこえなむ

生命の区切りとして三十七年をたどり続ける


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短歌集「神楽坂慕情」その1

短歌集「神楽坂慕情」その1

「神楽坂慕情」

ふるさとを 思えば聞こゆ 神楽ばやし
 坂をのぼれば 毎夜縁日


ふるさとを おもえばきこゆ かぐらばやし
 さかをのぼれば まいよえんにち

かつて縁日でにぎわった神楽坂通りは、昔の肴町までぎっしりと露天商でうまっていた。


縁日の 口上に酔うて 通ひつめれば
 おじさんがくれた バナナ一本


えんにちの こうじょうにようて かよいつめれば
 おじさんがくれた バナナいっぽん

バナナの叩き売りが大好きだった。人の足の間をくぐって必ず最前列。


花街の 朝の空気は 気だるくて
 夕べ縁日 本の立ち読み


はなまちの あさのくうきは けだるくて
 ゆうべえんにち ほんのたちよみ

私の育った店の前には、雨さえふらねば、毎日本の露天商が出ていた。
立ち読みをしても、店のおじさんは叱らなかった。


父も叔父も 同窓として 生き生きし
 津久戸の丘の 白き学び舎


ちちもおじも どうそうとして いきいきし
 つくどのおかの しろきまなびや


現在は新宿区立だが、かつては牛込区立津久戸小学校であった。


代々の 情けしみつく 神楽坂
 のぼる足許に 血煙りぞ舞う


だいだいの なさけしみつく かぐらざか
 のぼるあしもとに ちけむりぞまう


三代目神楽坂育ち。


かつてありき 演芸場前 ぶらぶらり
 ふと志ん生の声 風の間にまに


かつてありき えんげいじょうまえ ぶらりぶらり
 ふとしんしょうのこえ かぜのまにまに

「神楽坂演芸場」に小学校一年生より祖母に連れられ通った。
演芸場には友人がいて、舞台の袖でそっと座っていた日もあった。


お向ひの 店の奥から 手をばふる
 父が見えたり ここは龍公亭


おむかいの みせのおくから てをばふる
 ちちがみえたり ここはりゅうこうてい

神楽坂通り商店街に今でもある中華料理店「龍公亭」はかつて「あやめそば」と言われ、
現在もメニューには「あやめそば」がある。


あやめそば 向ひの店は 世今堂
 神楽坂上 夏の世の夢


あやめそば むかいのみせは せこんどう
 かぐらざかうえ なつのよのゆめ

私の育った時計眼鏡貴金属店「世今堂」は、明治・大正・昭和、三つの時代の暖簾であった。


それなりの 道をたどれば 足の裏を
 もぞとくすぐる ふるさと神楽坂


それなりの みちをたどれば あしのうらを
 もぞとくすぐる ふるさとかぐらざか

ふるさと神楽坂よがんばれ!


うたかたの 過去がすいつく 石畳
 足裏くすぐるか ふるさと神楽坂


うたかたの かこがすいつく いしだたみ
 あしうらくすぐるか ふるさとかぐらざか

大好きなふるさと神楽坂の石畳に、扇模様のすべり止めを刻む石工さんの姿が忘れられない。


桜散るなよ やがて左づまとる 友達の
 宿題を解いていた 夕暮れの校舎


さくらちるなよ やがてひだりづまとる ともだちの
 しゅくだいをといていた ゆうぐれのこうしゃ


私は国民学校第一回卒業生、そして、太平洋戦争が始まった。
あの夕べ、やがて花街で暮らす友が心配であった。


坂のある ふるさと詣で 神楽囃子
メンコ、ベーゴマ 切れぎれの夢


さかのある ふるさともうで かぐらばやし
 メンコ ベーゴマ きれぎれのゆめ

神楽坂を登り切り、今もある「毘沙門様」と呼ばれる寺内が遊び場であった。
女であっても、メンコ、ベーゴマ、戦争ごっこが大好きなお転婆でした。


桜咲き 東京音頭に  浮かれ出で
半玉さんの カンザシゆらり


さくらさき とうきょうおんどに うかれいで
 はんぎょくさんの かんざしゆらり


半玉(はんぎょく)とは、まだ一人前として扱われず、玉代(ぎよくだい)も半人分である芸者さんのこと。芸者の卵。


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プロフィール

可久鼓桃

Author:可久鼓桃
東京・京橋生まれの神楽坂育ち。
江戸っ子3代目。
昭和4年生まれの88歳。
短歌、詩、小説、絵画など幅広く表現。
運命鑑定家でもある。

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