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可久鼓桃の一人同人誌「人間日和」復活しました


可久鼓桃の一人同人誌「人間日和」 復活しました

東京・京橋生まれの神楽坂育ち、88歳の江戸っ子3代目歌人「可久鼓桃(かくことう)」が 自作の短歌・詩・エッセイ・小説を発表する一人同人誌「人間日和(にんげんびより)」

 停止したままだった可久鼓桃の一人同人誌「人間日和」が復活しました。

 まずは、復活の挨拶代わりの短歌を

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傘寿すぎ いつか白寿をもむかえるか 暮ての初ころび 痛む身つらし

 鼓桃


 傘寿=八十歳  白寿=九十九歳

 可久鼓桃本人が書いた色紙です。

今まで掲載した小説シリーズ「神楽坂」(最終回まで全31回掲載済)、そして、半ばで掲載中止になっていた小説シリーズ「昭和に生きて」(第2話の第2回まで掲載済)、短歌集などもよろしくお願いします。

心機一転、新しい「人間日和」をこれからもよろしくお願いします。 

管理人 新岳大典
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可久鼓桃・詩「母の日」 再録

詩集 生き生きて・・・・・・・・・・・・・再録

母の日

母の日とは、年に一度、花屋の店先で
赤と白のカーネーションが、隣に香る蘭の花に
誇らしげな流し目を送る日。

母の日とは、子を生まぬ妻が遠慮がちに
あたえられずに来た淋しい胸に
白いカーネーションをそっと飾る日。

母の日とは、子と別れた母親が、
今更どうにもならぬに、
今日、子供の胸に何色の花が飾られるのやらと
乳房の痛みを悔いつ託(かこ)つ日。

母の日とは、社会の裏に、ひそと流れた
女の赤い涙と白い涙が花を染め、
今日一日、男の人が、
自分を生んだのは、女だったことを思い知る日。


(昭和45年5月10日 商いの日々の中で)

母、可久鼓桃の短歌が久しぶりに出来ました

可久鼓桃の一人同人誌「人間日和」 

東京・京橋生まれの神楽坂育ち、86歳の江戸っ子3代目歌人「可久鼓桃(かくことう)」が 自作の短歌・詩・エッセイ・小説を発表する一人同人誌「人間日和(にんげんびより)」

母、可久鼓桃の短歌が久しぶりに出来ました。


貝殻に 磯の香りと 波しぶき
あら玉の日々 生年食ぐくむ


かいがらに いそのかおりと なみしぶき
あらたまのひび いのちはぐくむ

今年は母も元気になってくれると思います。
新しい年に感謝です。

連載小説「昭和に生きて」第2話第2回

連載小説「昭和に生きて」

第2話「怪物のような民主主義日本上陸」

  第2回

 「泣くなよの十六歳です」

 新宿東口の紀伊國屋書店へは、学校帰り毎日通っていた。ザラ紙に印刷された初版の「静かなドン」(ショーロホフ)をやっと手に入れた時は涙が出た。当時の紀伊國屋書店はプレハブ二階建で奥へと細長く、階下で立ち読みをしていると、二階を歩く人達の靴音がガラガラと階下に響きわたり、ザラザラと砂ぼこりが降ってきそうな店構えだった。それでも、人々は砂地にふる雨のように、書店に吸い込まれてゆく。どこに眠っていたのか古書が売り場にあふれ始めた。
 戦中、叔父の家の倉の中で隠れて読みふけった、ジイドの「狭き門 」「女の学校・ロベール」「未完の告白」「一粒の麦もし死なずぱ」「田園交響楽」トルストイの「人生論」までもが手さえのばせば、すぐ目の前でつかめるのだ。

 だが、その時私が珠玉とも思えたのは、「パスカルの瞑想録」の一冊であった。されど、高くて買えないもどかしさ。或る日、店の用事を済ませた帰り、ふらっと寄った神田の本屋街。街のはずれの小さな古書店。そろそろ秋風が北風にかわりそうな夕まぐれ。私はこの珠玉の一冊に出逢い、全身の血が湧き立ってしまった。
 人気も少なく、店の主人は奥でうたた寝する有難さ。私はさりげない風で、常に持ち歩くB4のノートを取り出し、必死のスピードで、珠玉の一冊の第一ページから、金魚すくいの綱をかまえる思いで、活字をすくい上げていった。
 第一回目。約一時間書き写す。店の主人はこっくりうたた寝。シメコのうさぎじゃ。
 第二回目。金曜日の放課後、神田へ直行。 (古書店内にて、約一時間二十分。)店の主人立ち上がり、はたきをかけつつ、店内をひと巡り。こちらも立ち上がり、店の外へ。近くの店で今川焼を二個買う。あわてて食べたので、胸につかえる。再び書店に戻れば、主人殿またもうたた寝。おじさんの足元には練炭火鉢。だから、おじさん、コックリコックリ、練炭火鉢に感謝。書き取り、追加三十分。今日はずいぶん写せた。絶好調なり。冬休みに入れば、もっともっと進むならん。ニッタリ。ホクホク。
 第三回目。期末試験の為、しばらくご無沙汰でありました。(古害店内で、本日、一時間三十五分。)おじさん、風邪気味、時々、咳き込み、頭をふりふり、背筋を伸ばした。まずは、御身お大切に。ややや、始めてのジロリ。何故だか、思わず最敬礼。とにもかくにも店の外へ。ほとぼり、ほとほと冷ましに、またまた、今川焼。なーんだ、サッカリン入り。あんこは、いもまぜ、塩の入れすぎ。ほとぼり、ほとほと舞い戻れば、悲しや小雨はらはら落ちる。冷たい師走。手袋出来ない、スピード落ちる。パスカル様に祈りささげて、スピード上げる。
 腕が重いよ、首根がつっぱる。肩こり、肩こり、肩叩き。えっ、肩たたき?
「あっ、おじさん」「あっ、すみません」塩をふられたナメクジになりたい、ああ、変身したいよ、カフカ様。「ほら、よっ」「ほら、よっ」とおじさんの声がしています。
 あれ、おじさんが小型の椅子を私のすくむ足元に置きましたが、身体が動かないのです。
「ほら、よっ」軽ぐ肩を叩かれ、涙の顔で小椅子にへなへな。嬉し恥ずかし、活字は人情で雨曇り。
 今日は書けない。もう、今日は書けやしないよ。感謝デー。
 おじさんにたくさんあやまり、帰りかけたら、「また、おいで」と、すぼめた私の背におじさんの一言。
 その日、この有難さを伝えに、母の待つ東村山の家へ帰った。約半分近く写し終えたと母に言うと、二の次は、いつ行くのだと母は聞いた。冬休みに入ったある日、出かける私の背に母は、米の入ったリュックを背負わせ、ピンビンのお札を私の赤いガマロに入れた。
 「本を売っていただきなさい、必ず、あなたがめくり続けた本をね、商人の子なんだから、商品は大切にするものです。」と、やたら怒らぬ母の、久しぶりの言葉は、ずしりと私の胸に納まり今も消えない。
 神田の本屋のおじさんは、幾度も頭を下げる私に、たっぷりおつり銭を手渡すと、「勉強しなよ」と、大きなジロリで、大きな手を振った。私は、背負ってきたお米をそっとおじさんの足元に置くと、一目散で神田の街並みを走り抜けた。嬉しくて、嬉しくて、お茶の水駅前の聖橋の上までやって来ると、夕焼けの空が見事に美しいじゃあーりませんか。
 並木路子の歌う「リンゴの歌」が、どこの街にも流れていた。それ以来、「パスカル」と「リンゴの歌」は、私の記憶の中で、いつも手をつないでいる。

 新宿東口の改札を出た右側にモルタル三階建の「聚楽」というレストランがあった。地下には生バンドが入っていた。その前の通りは、週末になると、GI(アメリカ兵士)だらけになる。洋モク(アメリカたばこ) のしゃれたワンカートンボックスが、あこがれのチョコレートがガムがキャンディーが、茶色に銀色の浮き文字のハーシィーのココアの缶が、その他もろもろの食品が、街角のそこここでGIの手から、ラッバズボンのお兄ちゃんの手へと渡ってゆく。

すると、身軽になったGIに、やおらもたれかかり、腕をとる日本のおねえさん。パラシュートのようなスカートをはき、パーマのかかった髪をたっぷりしたネッカチーフで包み、バラの花びらが張り付いたかと見まがう唇に、洋モクが煙りたつ。.このストリートスタイルのお姉さん達を街の人々は、パンパンと呼んだ。街角での取り引きを終えたGIは、くだんのお姉さん達にいざなわれ、カップルで街に溶け込んでゆく。
 今やいきなり人と光と色彩があふれ出した新宿の街は、毎日がメリークリスマスの様変りだった。過去の日本が、ぐいぐい日本の色をからめとり、後へと流れて過ぎる。

 敗戦直後の日本民衆はレールの存在も乗り換える駅の様子もわからぬまま、配られた「平和」というまっ白なチケットを握り締め、生きて行かなければならない。ある人はオロオロと、ある人はギラギラと。

 幸せよ、我が生命よと、手さぐりす、
ふき上ぐる思いは、インクの壷へ

                                  (秋風の十六歳作)


                                       (つづく)      

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連載小説「昭和に生きて」第2話第1回

連載小説「昭和に生きて」

第2話「怪物のような民主主義日本上陸」

  第1回

 昭和二十年九月一日。我々学徒は、工場(大崎明電舎)から、新宿の校舎へ戻った。
 赤煉瓦の枚舎は、外側だけが残り、内装はすっかり焼けただれ、火事場の匂いがなかなか抜けない。
 戦に負けようとも、校舎の外壁を伝う、なつかしき蔦の葉はたくましく、久しぶりの我々の登校を緑のもろ手を広げ迎えてくれた。つい先頃まで、「天地正大の気、粋然として神州に」に始まる藤田東湖の詩を、毎朝の朝礼で吟じていた私達は、戦が終わるや、リンカーンの、ゲティスバーグでの演説文。「人民の、人民による、人民の為の政治」と、タコ壺防空壕が手付かずに散在する校庭で唱和していた。勿論、涙ぐましいカナフリの英文であった。
 戦時中、突然の英語禁止の国策に出逢い、今更、省略された頭で高学年用のリーダー抱えさせられる身の不運。教科の差し戻しもなく。教育界の慌ただしい変貌の狭間であえぎまくる我々であった。
 むき出しのコンクリートに黒板を立てかけ、すすけた机と椅子が取り合えず並ぶ教室。新渡戸稲造、内村艦三の足跡が語られ、駆け足の民主主義が校舎を包みこんでゆく。
 体操の時間はかつて、すきっ腹にスコップを握り、必死で掘ったなつかしのタコ壷防空壕の埋め立て。
 「第三分隊の第一班は北側へ」なんぞと、先生のかけ声は決して轟き渡らぬが、命令されなくても、自分の汗で堀ったものの位置は悲しくも覚えていた。
 深さこメートル五十センチ、直径一メートルの一回も御使用なしのタコ壺防来壕にかけ寄れば、「おんなじ、あの時と同じ」、同じ顔ぶれが同じ記憶をたどり、同じ場所に立っていたのだ。かくて同期の小桜達は、もう決して掘るまいぞと、新しい土の上を、スコップで叩きまくり、お下げの髪をゆすり上げた。
 校庭は高い塀に囲われてはあるけれど、塀の隙間から見れば、新宿の西日駅前は一望なのだ。
 突然日本上陸の民主主義は、まずは世論をからめ取り、いまどきの宅患便の素早さで生情報を我等に手渡して行き過ぎる。
 生まれ変わる日本の秋が、厳しさとアンバランスな自由を宿題に、日々、目の前にあった。


 ニヒルだと言われしは春、物言わず過ごせしは夏、
 立ち止まり泣きしは秋ぞ、センチメンタル

                                  (戸惑う十五歳作)

 (つづく)      

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連載小説「昭和に生きて」第1話第6回

連載小説「昭和に生きて」

第1話「山の手・下町・たけくらべ」

  第6回

 数寄屋橋には、恩い出が詰まっている。たしかに、橋があって、橋の下には水が流れていた。カモメが水平線すれすれに飛び交っていた、ああ、数寄屋橋。 『君の名は』・・・春樹・マチ子の数寄屋橋。三輪車で数寄屋橋を渡り、日比谷公園まで遠出したら、日が暮れてしまった。迷子になったかと、御近所のおばさん達まで御親切に、あわててくださった。五歳の私は、新しい道を覚えた嬉しさに、偉そうな顔で三輸車コトコトと戻ったら、優しいおばあちゃんが、角の桶屋さんの前で涙ぐんで立っていた。あたしは、自信があったのに、ただ、日が暮れちゃっただけなのだから・・・訳も解らず、おぱあちゃんに飛びついた。おばあちゃんの涙しょっぱかった。
 小学枚一年生で、支那事変が始まり、小学校六年生の十二月八日、大東亜戦争勃発。カーキー色が街中にあふれ、「ぜいたくは敵だ」のポスターも貼られたが、ぜいたくって神楽坂のオセンベイの名前さ、なんて、酒落者の叔父が、だじゃれを言った。街から原色が消え、白地に赤い日の九だけが目を射る。
 チャンバラゴッコは、戦争ゴッコに変わり、男の子は大きくなったら、陸軍大将になるんだと目を輝かせ、女の子は従軍看護婦さんになると、あたり前のように答えていた。
 隅田川の花火大会は勿諮中止で、それに代わり、東京の夜空を探照灯の高く長い光が交差しながら、我がもの顔に走る。とんとんとんからりの隣組のおじさんも、おばさんも、どんどん疎開をはじめ、田舎のある友達は、田舎へ転校し、お教室の机は、空いた椅子を抱え、ボツボツと寂しくなってしまった。
 わが家も、大磯にある家を手離し、東村山に土地を買い、家を建てた。疎開である。小さな妹と弟は転校。母について引越してゆく。入舟町のおばあちゃんも一緒。東京の家族がばらばらにくだけて行く。不足と不満が街中にみなぎり、景色が灰色に染まり。人々は沈黙した。

 (第1話了 第2話へ続く)      

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連載小説「昭和に生きて」第1話第5回

連載小説「昭和に生きて」

第1話「山の手・下町・たけくらべ」

  第5回

  京橋入舟町の店では、乳母日傘(おんばひがさ)で育ったといわれる祖母が、時を忘れる程ゆったりと優しく、この祖母の笑顔に許され、好きな時間がたっぷりと使えた。私と一つ違いの源叔父とは、叔父・姪でもあり、乳兄弟であった。二十歳で私を生んだ母は、心膿脚気の気味で、産後の日だちも悪く、前年源叔父を生んだ祖母の乳を私は祖母乳として頂戴していた。この叔父は、幼い折、身体が弱く腺病質。走って、溢れる祖母乳を頂戴している私は、むくむくと太るのに、小さな叔父は、夜鳴きのピーピー坊やであった。なのに、庇をお借りしている私は、母屋までも足をのばすお元気な赤ん坊ちゃん。
 ちゃんばらゴッコでは、この叔父ときたら、いつも「御用、御用」の取り方ばっかり。情けないったらあーりゃしない。丹下左膳ゴッコでは、私はチョピやす。子役ではあるが、まぁまぁの脇役で、結構目立つ訳だ。
 家の勝手口から、そーっと入るや、味噌壷を盗み、中身の味噌をどんぶりにあけ、アミの張ってあるハイチョウと呼ばれる戸棚にしまう。洗った壷は、なるべく派手な風呂敷に包む。
 勇み立つ私は、この壷を胸にしっかりと抱え、友達の待つ公園に走る。チョビやすになったら、コケ猿の壷御用達が、何よりのお約束なのだ。たとえ、大人に叱られようが壷御用達の出来ぬ奴には、この役所は回ってこない。
東京湾の潮風が流れる、入舟町の夕焼けの空。こうして今日も、やっぱり優しいおばあちゃんに叱られた。何度叱られても、当り役から降りる気は、サラサラなく、今日もおぼろな昼の月に向かって胸をはる。小学校三年生であった。
 佃の渡しは、私のゆりかごだ。佃煮を買いに走り、佃の渡しを舟にゆられて昼寝した。舟のおじさんは顔見知り、遊びつかれた小学生の昼穫を大目に見てくれて、起きれば、ねぼけたままの小さな私の口にサラシ飴をポンと放り込んでくれた。ゆったりとした、あの東京の優しい時の流れは、今や何処へいってしまったのだろう。

 松かさねようとも 逃れようなき乳兄妹
  幕あけの町そぞろ入り舟


 (つづく)      

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連載小説「昭和に生きて」第1話第4回

連載小説「昭和に生きて」

第1話「山の手・下町・たけくらべ」

  第4回

 私の母は、奥向きの仕事をするよりも、商いの上手な人だった。惰もあったが、母にとっては強くてこわい姑が亡くなると、店も奥も母の独壇場となった。母が店に立つと、店の人達も商品も華やいだ。従って、父は、大きな金庫を背に、愛敬のある顔でゆったりと座るだけ。角帯にお召の前かけをきっちりとしめた昔風の商いの姿。この父の姿が私は大好きだった。店の三軒隣りに、あんぱんの木村屋さんがあり、寒い冬の日は、パン工場のパン焼き釜の近くで、よく宿題をさせてもらった。パンの香りにうっとりしながら、鉛筆を持ったままうたた寝をしたものだ。小さなメリーミルクの缶詰をこの店で私はよく買っていた。この缶にニカ所穴を空けてもらう為、父が暇になるのを店の人口で待つ。毎度のことだから、父の目と逢うなり、それと察して父は手招きをレてくれる。母に叱られぬように、静かに店に入ると、父は太いねじ回しで穴を空けてくれる。しばらくは、父の膝の上で、缶の穴に口をつけ、チューチューと甘いミルクをすい続ける。やがて父は、そんな私の横顔にザラザラをする。ザラザラとは、父の髭のことで、父はよく私の小さなホッペに、濃い自分の頬の髭をこすりつけ。 「ザラザラ」とゆつくり言って優しく笑ったものだ。
「やだやだ」と言いながらも、私はこのザラザラが大好きだった。私にとっての異性への人口は、きっとこのザラザラだったのかもしれない。

 神楽坂には、一丁目と二丁目と三丁目があり、祭りになると、芸者さんがいつもより者飾り、お神酒所の旦那衆も若やぐ。子供達は、小若ばんてんをひるがえし、走り回る。勿論私も小若ぱんてんさ、おきゃん(お転婆)な私は、ジャラジャラと山車なんぞ引いちゃいない。御輿を肩に、今にも水をかけられるのを待ちながら、アゴで男の子を叱咤激励してしまう。喧嘩は年下の子とするのは恥で、六年生を向うに、力じゃ負けるがおきまりなので、喋りで畳み掛けていく。たいていの上級生は、面倒になり走って行ってしまう。力で攻められると、消しゴム片手に、坊主頭をなで切りにする。坊主頭を消しゴムで擦ると、これがすごく痛いのである。
 父が男の子を欲しがったせいか、私は男の子のように育てられた。もっとも、当時としては、母も飛んだ女であったから、勉強さえちゃんとしていれば、たいてい大目に見てくれたものだ。むしろ、それが正義であれば、はなから負けると知った喧嘩なぞするなと言われた。こうして、私はスカートよりも、お気に入りの乗馬ズボンをはき、刈り上げのオカッパ頭をふりふり、夜店のバナナの叩き売りのおじさんに逢いに行く。
 かつて、神楽坂の縁日は、毎夜立ったものだ。古本屋のおばさんの所では、本の立ち読み。アセチレンランプの変な匂いも気にならず、菊池寛著「第二の接吻」を夢中になって読んでいたら、母の手が後から伸びるや、パシッと尻をぶたれた。まずい事に、この本屋さん、うちの店の前に毎夜出ていたんだもの。母の読む婦人雑誌なんぞは、トイレの中。和式が嫌いなのは、今もって同じ。長逗留で腰が痛むからだ。仮性近視になり、いっとき眼鏡を使ったのは、この頃(小学校三年生)だった。だって、昔のトイレのあかりは暗かったもの。子供に乳をふくませている間も、本を手放さぬ母なのに、育ち盛りの読書には、やたらうるさい人だった。

 (つづく)      

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平成23年新春の御挨拶

謹賀新年

情と時が 出逢ってスタート デイサービス
 昭和を越えて 平成に生きる


まだまだ感張ります。

                  可久鼓桃

連載小説「昭和に生きて」第1話第3回

連載小説「昭和に生きて」

第1話「山の手・下町・たけくらべ」

  第3回

 私の第二のふるさとは、京橋の入舟町。母の実家である。ここも、祖父の代から、同じ商いの時計・眼鏡・貴金属商。先祖が旗本だと言われていたが、武士の商法で幾度も、商売替えをしたあげく、母の父は、父の父に弟子入りをする。やがて、その地で一人立ちし、店を持つが、子沢山の一家であった。その後、それが縁で、母は経済的な理由もあり、父の許へと嫁いで来た次第。私が年頃になった時、「どうして、お母さんを好きになったの?」とくどいように父に聞くと、父のロマンティックな返事は決まっていた。

 「浅草の電機館のそばに電信柱があったのさ、その陰で、十八歳のお母さんが、肩あげも取れてない着物に、三尺(へこ帯のこと)をしめて立っていた。お互いに親に言われた待ち合わせでね。ポッチャリとした可愛い姿に、お父さんが惚れたのさ」

 私はこの話をする父の照れた姿見たさと、この返事が大妊きで、幾度となく聞いたものだ。この返事の通り、荒波にもまれる人生の中、先立っていった母に惚れ抜いたまま、父は生涯を終えた。
 すぐ下の妹は、元来身体が弱く。私は小学枚の六年生まで、入舟町の母の実家にあずけられていた。当時、「次郎物語」という映面がヒットを飛ばしていたが、この映画を見て以来、この物語に自分の毎日を重ねては、不幸のヒロインのように思いつめたりした。  この頃は、チンチン電車にゆられ、入舟町の店から、牛込見附(神楽坂下)まで、小学校へ通う。父も叔父も同窓生である津久戸小学校であった。築地東劇の前にあった橋をチンチン電車が渡ってゆくと、白いカモメが朝靄を分けて飛び立つ。このカモメ。数寄屋橋の川面までも、潮風に運ばれ、飛び交っていたっけ。

   入り潮の香もなくネオンの波ばかり
   迷いカモメかここは数寄屋橋


 (つづく)      

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連載小説「昭和に生きて」第1話第2回

連載小説「昭和に生きて」

第1話「山の手・下町・たけくらべ」

  第2回

 私がふるさとと呼べる場所は、さしずめ神楽坂から始まる。神楽坂を登りきった所に「助六」という履物屋があった(現在もある)。そのちょうど向い側に、祖父の代からの、時計・眼鏡・貴金属を商う店。
  (祖父は明治初年より横浜の外国人の許で、時計・眼鏡の修業を終え、神田で時計工場を持った人だと聞かされる。ゆえに、横浜と聞いただけで、私の血は騒いでしまう。)

 坂の上のこの店で、あの暑い敗戦の夏までを、私は父と共に店を守った。当時、眼鏡を必要とした出征兵士は、最低、三組の眼鏡を大切にそろえて戦場に赴いたものだった。従って、少々の警戒警報では、防空壕に引き込んだレンズ砥石のモーターの音は止まらない。十三歳の夏から、父に教えられたレンズ加工は、どうやら私の身について、たまには、忙しさに理由をつけ、学校を休むと、父と共にじめじめした防空壕の中で、レンズ砥石をまわした。商いの好きな私は、このモーターの熱気が親元を離れた折りにも忘れられず、嫁に行こうが、折々かえっては、レンズ砥石の前に立った。それが、その先、二十六歳の夏、始めてメガネ屋開店となろうとは。所詮、私の一生は、商いと切れようがなく、商いは、私の身体の源流でもあった。

 私の幼時は、靖国神杜のそばにある、富士見幼稚園に通った。今、言われる年小組で、おそ生まれなので、四年も通っていた。母がはかせたウールのズボンの裾をひるがえし、赤い靴を音高く鳴らし、四歳の小さな足は、富士見幼稚園の門にたどりつく。
 飯田橋駅前では、当時ルンペンと呼ばれる髭だらけのおじさんに呼び止められ、バスケットの中に納まるお弁当を何度も食べられてしまった。怖いおじさんは、手持ちの器に、お弁当の中身を素早くあけ、ニヤリと笑いながら、もと通りバスケットを私につかませる。四歳は、唯々驚いて、おじさんおじさんと大きな声を上げる。おじさんは、日に焼けた茶色の手に、破れた手拭をつかみ、大きく、大きくふり立て、シッ、シッと私を追い払うや、土手公園の松の木に向って走り続けた。
 空っぽの弁当箱を持ったままの通園に、先生が家にこられた。いぶかる大人達に囲まれ、私は母の目をみつめ、切れ切れの単語を並べていたのだろう。あくる日より、父方の叔父が通園する私をそっとつけはじめる。或る日、あの茶色の恐い手の上に、背の高い大きな叔父の手が重ねられる。この日より、ひものついたバスケットは、私の肩からのどかにゆれて、幼稚園の門をくぐるようになった。
 以来、叔父は午前中の店の仕事をせずに、唄いながら、私と共に通園するようになった。叔父の唄う流行歌は、先生にも、お母さんにも内緒。毎月ゆく宝塚歌劇も、田園交響楽を聞いたのも、映画『駅馬車』を牛込館で見せてくれたのも、新宿中村屋のカリーライスの味を教えてくれたのも、みんなみんなこの叔父であった。
 叔父と一緒の通園で問題になったのは、幼稚園のブランコにゆられ、私を待ちながら、うっとりと唄う叔父の「愛染かつら」のメロディーであった。熊手を小脇に抱えた小使いのおじさんに叱られても、シャランとした面長の叔父の顔は、「あら、なぜかしら」であった。この叔父の長い顔は、恐いくらい嵐寛十郎(初代、鞍馬天狗であります)に似ていて、新宿日活に行った時など、映画館の支配人に呼び止められ、「先生、先生」なんぞと祭り上げられ、ロハ(ただ)で映画を見てしまう。しかし、映画館を出るのに、困り果て、叔父は私をだき抱えるや、しゃれたハンチングを目深くかぶり、モギリ(切符切り)のお姉さんの横をかけ抜けた。

  坂のあるふるさと訪で神楽祭り
     織りまぜて晒むか江戸の川風


(つづく)      

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連載小説「昭和に生きて」第1話第1回

連載小説「昭和に生きて」

第1話「山の手・下町・たけくらべ」

  第1回

 私が抱え続ける血は四代をさかのぼり、お江戸で生をさらして来た。義理人惰と、しがらみを粋に仕上げ、旅立った御先祖さん。今頃、卒塔婆の陰から、ペロッと赤い舌なぞのぞかせて、「なにが平成の御時世だい、ちっとも平らじゃありゃすめえが」なんぞと、舌打ちしていなさろう。 「涙も笑いもすべて斜に、かるくいなしてこそお江戸の人気さ、それが正義であるならぱ、負ける喧嘩なんぞするんじゃねえ、うろたえるなよ」と一喝しそうな御先祖さんは、今も、お江戸の地べたにお眠りでござる。

 そんな家の風を背負う商家が、山の手と下町にあって、これが、花柳界を背にした場であって見れば、私の育ちのお里は知れようと言うものだ。山の手風の、たけくらべ、下町風のたけくらべ、昭和初期のたけくらべは、変動の歴史にゆさぶられ、悲喜こもごもの様相をきざみ流れつづけた。もっとも、物資欠乏の時代をまたぐ、丈くらべは、竹にもなれず、笹くらべ程度 でもあったか。されど、身体にひそむ憧れは、吹きすぎる戦の嵐にあおられようとも、笹なりにザワザワと騒ぐ音を忍んでいた。

  坂のあるふるさと訪で神楽祭り
     メンコ・ベーゴマ・切れ切れの夢


(つづく)      

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短歌集「老ひだまりの窓」その2

短歌集「老ひだまりの窓」その2


しとど降る 八月の雨 傷痛めど
 老ひつも夢追う 足跡の詩


しとどふる はちがつのあめ きずいためど
 おいつもゆめおう あしあとのうた

 (デイサービスの朝)


這えば立て たてばあゆめの 命いとし
 この身傘寿なりせば いざ、ととのえつ生きなむ


はえばたて たてばあゆめの いのちいとし
 このみさんじゅなりせば いざ、ととのえついきなん

 (デイサービス、午後のゲーム)


点滴の 落つるを見つめ ひらめきぬ
 生命と時を ひしと抱きしめたり


てんてきの おつるをみつめ ひらめきぬ
 いのちとときを ひしといだきしめたり

 (病院の午後)


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予告 連載小説第2弾が始まります

予告 連載小説第2弾が始まります

 全31回にわたって掲載した連載小説「神楽坂」に続いて、連載小説の第2弾「昭和に生きて」が近々に始まります。「昭和に生きて」は小説に短歌が挿入される形式の作品です。よろしくお願いします。


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短歌集「老ひだまりの窓」その1

短歌集「老ひだまりの窓」その1


老ひだまりの 窓よりのぞく あじさいは
 よどみし気をば なごみつゆらり


おいだまり まどよりのぞく あじさいは
 よどみしきをば なごみつゆらり


幾星霜 夢も涙も とろとろり
 光陰かかえつ しばし老知苑


いくせいそう ゆめもなみだも とろとろり
 こういんかかえつ しばしろうちえん


心もとなき あの青春の 熱き夏
 たぐりたどれば 老知苑の午後


こころもとなき あのせいしゅんの あつきなつ
 たぐりたどれば ろうちえんのごご



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短歌集「五反田NTT病院個室の窓より」

短歌集「五反田NTT病院個室の窓より」


リハビリの 室に満ちたる エネルギィ
 痛む身くくり かけ登りたり


りはびりの しつにみちたる えねるぎい
 いたむみくくり かけのぼりたり


このたびは 痛み不眠が身をえぐる
 亡夫の若き姿 窓ガラスよりのぞく


このたびは いたみふみんがみをえぐる
 ぼうふのわかきすがた まどがらすよりのぞく


おそいくる 痛み不眠の その中で
 うつらうつら 亡夫との夏の病室


おそいくる いたみふみんの そのなかで
 うつらうつら ぼうふとのなつのびょうしつ


灰色の 空に負けじと 追い車
 生命はこぶか いとしこの手押し車よ


はいいろの そらにまけじと おいぐるま
 いのちはこぶか いとしこのておしぐるまよ


思ひおぼろ 八十路手術の 痛みほどけ
 冬空の雲 我が夢をかりたて給へ


おもいおぼろ やそじしゅじゅつの いたみほどけ
 ふゆぞらのくも わがゆめをかりたてたまえ


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ここは五反田・病院の個室にて

ここは五反田

~病院の個室にて~

 ここは五反田。かつて駅の隣にキャバレーがあった。そのキャバレーは駅の壁に寄りかかり、ネオンの光をべたべたときらめかせていた。キャバレー「カサブランカ」だと記憶している。終戦時、日の丸はち巻にモンペ、父に持たされた鉄カブト等々のいでたちにて、隣の大崎駅前、明電舎内中庭にて、戸惑いの涙に我々一同、身を浸した敗戦。何の打ち合わせもないまま、皇居前に参集して、玉砂利をつかみ号泣す。先の見通しもなく、我々の青春の幕は、よたよたとあがって行った。怖さより時が怖さをもつかみ、引きずって行ったものだ。

 只今、八十路に入り、股関節にメスが入った。人口股関節置換手術である。去年の脊椎管狭窄症の手術に続くものだ。数年前には両目にレンズを入れている。身体の一部がサイボーグ化してゆくようだ。がむしゃらに命を削った過去よ。この老いし夢追い人に、人の世の味を加味し、再びの夢追い人として立ち上がる知恵と力を与え給えかしと・・・。

 (可久鼓桃)

 

連載小説「神楽坂」最終回 エピローグ

連載小説「神楽坂」       第30回へ戻る

最終回 エピローグ

 坂を登りつめ、ハルは一息つく。
 日頃なつかしがるだけのハルは、今年成人式を終えた一人息子に連れ出された。今見下ろす神楽坂。さき程見上げた神楽坂。昔の場所には違いない、街の香りが変わっている。ハイカラに垢抜けよそゆきの顔した街並みが、ちょいと味気ない。思い直して昔ののれんを探す、文子ちゃんのいる「さわや」。そしらぬふりで化粧水を一つ買う。わっちゃんのいた「助六」。この店で買った鈴の鳴子ポックリの音が、のぞくウインドウの中から聞こえるようだ。「ハルちゃんは大きくなったら、僕のおよめさんだよ」と言った、ママゴトではお父さん役の健ちゃんのいる「菱屋」。さて、我が店の後に建った居酒屋「万平」。暖簾を分け、おでん・かん酒で一休み。おさえていた思いがお酒で解けて、昔を尋ねる。とろとろと話し出すお婆さん。したり顔でうなずくハル。「もしやここでお育ち?」。お里が知れそうで首をすくめて小さな声になる。
 「世今堂さんですか?」いきなり言われて返事に困る。笑った目の奥でハルは両親の代わりにうなずいていた。余りにも時が移りよそ者になってしまったが、店の名で呼ばれると、土地っ子のはずに少々席をあけられた思いが心を開く。たしかにこの家は奥まる程高くなる。薄暗い店の天井の隅から死んだ両親の声が今にもふって来そうで、ハルは盃を手に、うつらうつらと幻想する。
 
 「ハルーッ 入舟町のお婆ちゃんの言う事をよく聞いて」
 言われ付けた母の声が、ハルの耳の奥で今かけずり廻りはじめた。
 金庫を背にした父が、禿げた頭を一拭き、
 「ないしょでな」とハルに小遣いをくれようと、そこの土間の隅で笑っている。
 お婆ちゃんの御詠歌が聞こえた。
 「地獄の鬼めが現れて~」。
 「お婆ちゃん、ハルですよ。今帰って来ています。地獄ありましたよ。極楽も見ましたよ、みんなこの世にあったのですね」
 ウエストミンスター・チャイムを皮切りに、たくさんの時計が一斉に時を打ってハルを出迎え、店の前を近衛の兵隊さんの唄う軍歌と、力強い靴音。
 「万朶の桜か 襟の色 花は吉野に 嵐吹く・・・」※1
 サイレンの音が聞こえる。
 「空襲警報発令、空襲警報発令」
 ああ燃える。日本が燃える。神楽坂が燃える。私の神楽坂が無くなってしまう・・・。
 
 今、坂の上で見る夢は、思い出をゆすりゆすってお銚子をもう一本。夕闇がせまり、神楽坂に灯がともった。
 「お声を掛けようにも、どちらへやら解らぬまま、ここに家を建てまして、跡取りさんがおいでならどうぞお連れになって」
 燻しがかった神楽坂っ子の、健気な言葉も有り難く夕暮れの街に出た。

 ほろ酔いの目に街が活気ずく、勝手知ったる花街に入ると、迷子の顔して歩きはじめる。下宿専門で学生ばかりの「都館」の前を過ぎれば、両子ちゃんの育った大きな料亭。
 広い廊下を裾をひいたお座敷着のおねえさんがせわしなく行き交い。ずらりと並んだ部屋の襖一枚さらりとあければ、奥からお待ちかねの拍手が湧く。磨敷居に三つ指のおねえさん。身体を幾分ななめに構え、すらりと立つや、光に映えた腰の帯をポンと叩いてお座敷に消える。両子ちゃんの所で遅くまで遊んでいると、秘密っぽい大人の遊びの入口が見えた。
 
 ゆるい坂を下ると、お世話さまの我が母校。ハルの家は親子で同窓生だから、父は津久戸小には肩入れだった。父の後輩には、あの名優滝沢修さんがいる。
 「普段おとなしいが、いざとなると喧嘩が強かった」と、父は小学生の頃の滝沢さんを忍んで繰り返し言ったものだ。一家あげての映画と芝居好きで、父は「P・C・L」の撮影所に勤める友人に頼まれ、撮影の小道具として店の品物を貸して、ただのキップをもらう。このキップはほとんど愉快な叔父貴のお楽しみ。※2

 学校の裏門講堂へ続くドアの前で、放課後居残ってコンクリートの上に帳面を広げ、あしたの宿題をやってしまう。仕込みっ子のカッちゃんの為だ。カッちゃんは家に戻ると宿題どころのさわぎじゃないから、ハルの解いてゆく答をどんどん写す。柳田くんと山本くんがそばからお手伝い。
 「ボク、ハルちゃんスキ」
 「ボクダッテスキサ」
 「ワタシフタリトモスキ」
 そんなやり取りにはお構いなく、カッちゃんは夢中で答を写している。

    ※  ※  ※

 「かあさんが、生まれてはじめ好きって言われて、好きって言ったのがこの場所よ」
 並んで歩く息子を見上げてハルが言う。一緒に嬉しがってくれる息子の肩を廻しっぱなしのテープの音が伝い、神楽坂の夜は本番。ふるさとをあれもこれもと目に焼き付けて歩き廻るハルに、
 「おふくろさん、御感想は?」と気取った声する息子が、マイクを差し出す。
 「神楽坂は、やっぱりようござんすねえ」死んだ母の声になっていた。
 坂の上から小手をかざせば、はるか土手より渡る松風が笑いと涙をつきまぜて、お疲れ様と吹き払う。
 厄年も迎えず、丹沢の峰のぞむ白い病室で、
 「ハル、一緒がいいねえ」の か細い声を最後に、再婚の連れ合いは息子を残し癌で先立ったが、陽気な未亡人は、さっぱり苦が身につかず、母一人、子一人となって、今ふるさとめぐり。
 裏通りも道筋だけは変わりなく、焼けようのないそのままの石畳。その上を幼い昔の足跡が踊る。
 ぶっかき氷を豆しぼりの手拭いで包みぶん回した祭りの喧嘩。
 赤鳥居によじ登り、油揚げを納めにきた半玉さんの衿もとめがけ、小石をポツんと落としたいたずら。
 健ちゃんが買いたての自転車に乗れば、後の荷台に跨り、のろいぞ、のろいぞとハルは掛け声だけ。
 からっとして、黒板塀も見越しの松も見当たらないが、神楽坂っ子なら、せめてお堀の外側(こっち)で東京をささえて居りまする。その心意気でも持とうなら、御先祖様も、さぞやおよろこび。
 わんぱく通りを右に曲がる、どうやら馴染んでまつわる神楽坂(ふるさと)の風。
 足早やの行き過ぎると、いる筈もない「田毎(たごと)」の鸚鵡に呼び止められた。

 「そこの古いおねえさん、どこゆくの」
 「余った時で、気ままな旅さ」 

 (終)

 ※1『歩兵の歌(歩兵の本領)』 明治34年(1901) 作詞 加藤明勝・作曲 永井建子

 ※2 P・C・L = 株式会社写真化学研究所 (Photo Chemical Laboratory)。P.C.L.。トーキー映画製作技術(録音・撮影)開発の専門会社。P.C.L.映画製作所=P.C.L.の子会社の映画会社。のちに、合併により東宝映画株式会社になった。

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連載小説「神楽坂」第30回

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第30回

 あれからたくさんの月日を重ねはしたが、出逢った男の中に無意識にテツを捜し回っていたハル。テツはハルの落ちた偶像だった。偶像は落ちたまま何も答えなかった。偶像のかけらを拾い集め胸にしまったまま流離うのはハルだけだった。生まれ落ちて双の乳房を共に啜りあった乳兄妹は、愛と掟を越え、恨みを切り捨て理由なく一対だった。ハルの心は今だにけじめがつかず、その部分だけが過ぎた時間の中で浮いている。これは男と女の関わりではない。歩み寄るハルに、テツはこわれものに出逢った目で、垣根をめぐらし遠ざかってゆく。
 一人ぼっちで世の中に躍り出たテツが、今こそ手に入れた地位と名誉に、さぞやと喝采を送ろうとも、年を重ねる程部厚い衣を纏った偶像は、やはり落ちたままとり澄まして答えない。

 生家を後にしてからのハルは、「本当だけが欲しいよ」と、夢中になって男についていった。失うものが多すぎても、無様な裏切りに出逢うと損も得もなく、さっさと身を引いた。貧乏も相手の煩いも、突然の失業も、賭けごとも、アルコールも、ハルに若ささえ残っていたなら、ふりかかる火の粉を運めとして恐れなかった。

 ハルは一度だけ、テツの勤め先を尋ねた。あれは世帯を持ったハルが余程切羽詰まった時だったと思う。街に出ると祖母もテツも当然いなくなった入舟町あたりに足が向いた。昔遊んだ赤石町から入舟町を抜け、疲れ果てて鉄砲州公園のブランコにゆられていた。公園の角に公衆電話があって、なんの考えもなくテツの勤める印刷会社にダイヤルを廻していた。昔を尋ね歩いたハルは、昔に甘えていた。会社がひけたテツに連れられ、銀座へ出るとテツが行きつけのバーに入る。薄暗い照明に美しい女の人が浮かび、不安定なとまり木に腰掛け、きれいな色のお酒を前に、物珍しげにあたりを見廻す。飲んでいるだけで何も言わないハルに、テツは黙って五百円札を一枚、ハルのポケットに押し込んだ。

 悲しさと情けなさに追い立てられ、なつかしい筈の銀座の街をハルは足早やに逃れた。華やぐ銀座の街は、ハルにとっては、今もって華やぎようもない。橋のなくなった銀座なんかに鴎はもう飛ぶものか。思えば、心の底に刻みついた入舟町は、くすんだ墨絵として今も浮かびあがり、神楽坂は極彩色で踊り立つ。
 テツとハルの出発点は、祖母と母の乳房だった。掛け替えのない二つのふるさとは黄泉に旅立ち、テツとハルは、残る時をいさぎよく生きるべき知命の年に入った。
 
 (つづく)

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連載小説「神楽坂」第29回

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第29回

 翌日、昼近くになって母は、祖母とテツを連れて戻って来た。しばらく逢えぬ間にぐんと背丈の伸びたテツは、無精ひげも疎らな顔をうつむけ、一足遅れてひっそりと入って来た。小さな頃、いたずらをすれば母の前に並びたっぷりお小言を頂戴していたテツとハル。「ゴメンナサイ」とすぐ謝るハルの隣で、テツは神妙にものを言わぬ、キラっと母の目が一段と輝けば、ハルはもう一言「ゴメンナサーイ」と叫び外へすっ飛んで行く。掴み所のないテツの沈黙に、早く父を亡くしたいじらしさで、母はもう何も言わない。母も祖母も一つ違いの二人が等しく我が子であった。奥の間では小さい子供等が母のお土産に群がり、渡されたお菓子を手にすると外へ遊びに出た。

 テツは、ぼんやりした顔で長い足を抱え縁側に蹲り、流れる空の雲を見ている。急に老い始めた祖母は口数少なに、母の隣でお茶を入れる。思いつめた目を宙に泳がす母は悲しげだ。朝になっても口をきかなかったカズは、口をへの字に結んで母の後でダンマリ。父は畠で草むしりの小父さんと立ち話。もうすぐ一幕ありげな状況に、ハルは居たたまれず、自転車をこいで一時も早くこの家から離れてしまいたかった。出来るなら先程からぼんやりしているテツも引きずり、その昔二人揃って叱られた時よりも素早く、下駄をふところに家の裏手を駈け抜け、入舟町へ戻りたかった。これから始まるであろう一幕に、テツを置き去りにするのがともかく辛い。恨みなら数々あったが、突然現れたテツをみとめるや、情けなさ変わり、やり切れぬ悲しさがハルを飲み込んで、母親の様な愛しさと変わりそうだ。考えが半分空に舞い、うろたえてハルは走っている。止めどなくこうして走ろうとも、今頃は幕があがり、テツはどこに座って誰に何を言われていようか。父はどんなに怒り狂っているか。祖母は倒れてしまいはせぬか。せめて土壇場に強い母の決断に、一縷の望みをかけていた。

 いつまで走っていようと目で見ねば決まりもつかず、自転車を静かに引いて裏口から茶の間を覗き、誰もいない離れへ。そこへカズがバタバタと入って来た。さっぱりとした顔で「どこへ行っていたのよ」と。「駅前の本屋だ」とハルは答えた。どうやら、いらだちの静まったカズの態度に、幕がおりたと感じ、水を飲みに台所へ立つ。
 「おやっ?、テツが見えない、祖母もいない」。
 その時、凛と張った母の声が仏間から聞こえた。
 「私が至りませんでした。これ程話し合っても解ってくれないのならば、テツと母を連れて入舟町へ戻ります。」
 母の捨て身の言葉だ。
 「解った、解った」と気弱な父の声が追う。
 何があっても生涯母にべた惚れだった父は、母ツルの一声で夫婦の人生の節目をきめてしまう。ハルは音を立てず離れに戻った。テツと祖母の行方をカズに尋ねる。「昇伯父の所へ」と言う。
 ハルは恐る恐る改めてカズに聞く。
 「傷ついたゃったの?」
 不服そうに口をとがらすカズは、
 「何を言ってるのよ、傷なんかついたら大変じゃないの、どっちにしたって、お母さんは入舟町が可愛いのよ」と、恨みを残し畳をけたてて外へ出ていった。
 ハルは、たった今、大変だと言ったカズの言い分を聞くや身震いがした。やたら公平を心がけて、テツとハルを育てた母と祖母が恨めしかった。あの時の痛みは、馴れ合いにすり替わっていたなら、ハルのこの先にどんな大変をもたらすのだろう。テツが繰り返した行為は、忍んだハルの沈黙に抜き差しならぬ染みを広げた。一緒に大きくなったから、一緒に大人になっただけ、と決め込んだのに、柱時計のゼンマイが音立てて千切れるようにう鳴った。ハルはひと声呻いた。気が付くと、はっとした大きな目を見開いた母が廊下でハルを見つめた。「ハルーっ」振り絞るようなひくい母の声。なにげないふりで涙を拭き、無表情に顔をつくって母を見上げた。気丈な母の目に疲れた涙があった。

 ハルは無理に笑うと、「誰も悪くない、誰も悪くない」と唄うように呟き、再び自転車で走り続けた。ハルは、母が死ぬまでこれについて母と語らず、母も心得て尋ねなかった。おとなしい顔に似合わずカズは逞しく見事だった。撫でおろした胸の中で「もうやめて」と、ハルはテツに叫んでいた。

 台風一過。夕食は近くの農家でつぶしてもらった。若鶏のすき焼き。近頃解禁になった盃を手に、子供等に囲まれた父は御機嫌。つと台所に立った母は、前掛けでそっと涙をぬぐっている。テツと祖母は昇伯父の家で一泊とか、何かにつけ母一人子一人の生活に戻ってゆくテツと祖母。それが当然ならば、ふるさとを両手に抱えて育ったハルには身の置き所なくわびしい。母と祖母の涙が痛々しい。

 (つづく)

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連載小説「神楽坂」第28回

連載小説「神楽坂」       第27回へ戻る

第28回

 結婚二ヶ月目、ハルは身籠もった。水沼も当初は、よき主人でいたが、銀座のお酒の味を覚え、金の工面はハルまかせ、酔って帰ればリンゴの皮をむくハルに躍りかかり、「可愛い、可愛い」と繰り返しわめき、ハルの持つナイフを奪ってハルの手首に切りつける。たまらず友人の許へ隠れるハルを、新聞社を幾日も休んだ水沼がとことん追いつめ、ハルを見つければ、又もや、「可愛い、可愛い」と連れ戻り、強く抱いてハルの首をぐぅーと絞める。意識の切れる手前で必ず手を離す水沼。あたりがかすんで、「オカアサーン」と呼ぶ声の下から、自分を何故呼ばなかったと水沼はなおもハルを責める。ハルの首筋には所々紫の斑点が滲んで、それに気づいた友人は、キス・マークだと言って冷やかした。ハルは笑って頷くだけ。こんな筈ではの涙は数ヶ月で始まっていた。そのうえ、酒と奇行は芸術家の常識だから、妻たるもの堪え忍んでこそ当然と、優しさと激しい感情に叱咤され、お腹の子を庇って、言うに言われぬ恐ろしさ、水沼との世帯は、ハルの実家の店に近い。強い悪阻の身体を引きずり毎日実家へ通う。給料はほとんど飲んでしまう水沼では、頼るべくもなく、名目だけの店の手伝いに、ハルの父は多分の金を小遣いと称して、ハルに手渡す。ハルはその金でせっせと出産の仕度をした。母はお襁褓(おむつ)を縫って初孫の誕生を待つ。祖母は中風で倒れ、入舟町の店を引き払い母の許に居着いた。テツは、学生生活を終えて山の手線恵比寿駅前に眼鏡店を開いたが、意に染まぬのか店はつぶれて、印刷会社に転職した。入舟町の祖母は、ハルの母の許でこれより九年後生涯を閉じる。初めての曾孫を喜んだ祖母は、綿入れの産着の縫い方を震える不自由な手でハルに教える。少しづつ縫い上がる浅黄色の産着を、ハルは頬に当て撫で回す。肩上げを縫い付け、紐をつけ終えると、赤ん坊が着込んでいるかのように、産着を抱いて部屋をぐるぐる歩いて、よしよしと声をかけ身体をゆする。

 ひどい悪阻が納まりかけたある日、教師となったタカちゃんが何も知らぬままハルの実家を尋ねた。彼に出逢うと、ハルの身の廻りが昔にさかのぼり、久しぶりに穏やかな気分になった。本当なら彼の胸に取り縋って泣きたかったが、さも幸せな振りをして、駅前の喫茶店で笑い合って別れた。相変わらず優しい彼は、「本当に幸せなの」と幾度もハルに尋ねる。ハルは目を細め幸せの顔をする。そろそろ目立つお腹の中で、ハルを蹴り上げる小さな命。駅の改札を抜けてもまだ手を振っている懐かしい愛に、無念も縋れずハルは踵を返した。

 (つづく)


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連載小説「神楽坂」第27回

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第27回

 
 翌年四月、嫁入り仕度の一つにもと親にすすめられ、ハルは洋裁学校に二年間通う事になった。もとより本意ではない御通学だから、はじめの一年は、美術と服飾史の講義が救いで作品の提出も欠かさなかったが、クラブ活動に、演劇部を選んでもぐり込んだとたんに部長にされ、作品の提出は友人に頼りっぱなしのていたらく。本業はお座なりとなって、どっぷり素人芝居の世界に浸ってしまった。当時の学生が文句なく燃えたものの一つには、ハワイアン・バンドと手軽に買えるウクレレ。ジルバの踊れるダンス・パーティー。同人雑誌の刊行とお芝居遊び。赤毛ものの新劇に血をたぎらせ、復興する演劇界に、焼け残った公会堂・大学の講堂で、素人から本職までふっ切れた大熱演。
 ハルの学校では、日大の芸術科の学生が出入りして、秋の学園祭の演出から大道具・小道具の作成、本読み、半立ち、立ち稽古、はては、各大学の演劇部との共演の打ち合わせ。ここまでくると、もう誰も本業への救いの手は伸ばさなくなる。親も半分あきらめて、せめても卒業証書だけは戴いてと、薄い期待に変わる。クラブ費が足りないと、俄か仕立てのダンス・パーティーと模擬店で資金集め、所を得たりと走りまわっているハル。
 半年がかりの芝居稽古も終盤近く、日大芸術学部のOBで雑誌記者の水沼に出逢う。この水沼の強引なプロポーズと作家志望の情熱がハルの夢をひきずり、これより数年後、結婚する。水沼の父は、結婚を前提にと、いささか頼りない次男坊を長年自分が勤めるM新聞社に入社させた。

 それでは、ハルにとって、かつてのタカちゃんは、青春の一陣の風に過ぎなかったのか。否。ハルの方が彼の一陣の風であったと敏感にあきらめて、立ち去ったように思う。ハルの知らない場で、彼は左翼思想に傾倒していった。ある日の出逢いに、思想家は付属品を抱えてはならない。身の回りは常にすっきりさせて置くべき、との言葉が飛び出した。当時のはハルの理想には、男のお邪魔にならぬ女の生き方、などと大それた考えが芽生えていたし、男の思想が女如きで変わる筈もないと手短に納得して、若者の群れへとハルは身を翻してしまった。いっそ彼の求めたものが人間であったなら彼に取り縋れたかもしれないが、思想であってみれば、勉強不足のハルには太刀打ちもならなかった。
 
 (つづく)

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連載小説「神楽坂」第26回

連載小説「神楽坂」       第25回へ戻る

第26回

 いちじくの実が色づく、木犀の香りが待たれる。父はほとんど快復に近い、母はそれでも大事をとって当分は東京で稼ぐであろう。
 日が落ちると秋祭りにそなえ、村の若い衆の打つ神楽太鼓と笛の音が畠を越え夜毎聞こえる。井戸端でハルは明日の米を研ぎ釜に仕掛けた。味噌汁の実にと、秋茄子をもぎに畠へ出る。夜露に足を濡らせば、すだく虫の音がはたと止む。向かいの茶畠の外れに立つ外灯に、残り少ない命を暖め合うように小虫が群がり、桐一葉落ちずとも、天が下まさに戦なく秋はたけなわ、足をすすぎに井戸端に戻る。

 ふいに人けを感じてふりかえる。薄暗い門柱の陰に校服のままカバンを下げたカズが、目だけをぎらつかせ、肩をふるわせて立っている。どうやら一人だけのカズはいらだつ。
 「おかあさんは?」と不思議に思ってハルが尋ねた。
 「あたしだけ」とカズ。
 「おかあさん知ってるの」
 ハルの言葉に何をこらえかねたのやら、
 「よく知ってるわよ、だから帰って来たの」と突っ慳貪に答え、あたりを睨み廻す。
 ただならぬ様子に、ハルは訳も聞かず離れの自分のふとんの隣にカズのふとんを敷く。
 病気以来、早や目に眠る習慣のついた父は、小さな妹と中の間にやすんでいる。
 「誰か来たのか」、床の中で父の声。
 「カズです」とハル。
 そのまま眠ったのか聞こえるものは虫の音と、遠音の祭り囃子。カズは仕舞湯にざんぶりと浸かると、ものも言わずさっさと眠ってしまった。いつもなら、このあとの時間こそハルの世界なのに、一人で眠る離れの部屋は、本日、番外のお客人。さりとてやすむには早すぎて、畠に出てせっかくの月を仰ぐ。彼方の森も畠も白い紗幕を引きつめ、夜露に濡れた土の香りが足許から這い上がる。

 その時、茶畠の向こうに黒い影が走った。虫の音蹴散らし黒い影は近づく。
 思わず身構えれば、「ハルさーん」。外灯の灯りに浮かんだのは、タカちゃんだ。彼は昨今出来たてのハルのボーイ・フレンド。祖母の実家はこの辺りでは「上宿(かみじゅく)」と呼ばれる旧家。
 その家の次男に嫁いだ人がタカちゃんのあね様。二人の子供を残してつれ合いは戦死。戦前から広い邸内の片隅で精米所をやっている。黒い大きな目はいつも伏し目がちに痩せぎすな身体のどこに力を潜むかと思う程に、俵を平気でかつぐ。色白の美しい頬にソバカスを浮かせ、糠だらけになって働く。ハルの母とは仲良しで、ハルを大人扱いにしてくれる話の解るあね様だ。
 人寄せの日には、あね様の使いでタカちゃんは度々やってくる。母の使いでやって来たハルと顔を合わせるのだが、それはそれ、年の違わぬ若い者は、意識はするが、こと更のきっかけも見当たらず時を見送る。通学時、駅で出逢っても最敬礼だけの繰り返し。卒業も間近い雨の日偶然駅で出逢い、傘を持たぬハルを家迄送ってくれて初めて言葉を交わす。以後出逢えば駅で立ち話。気軽にハルの家へ遊びに来るようになった。今になって、ハルがこの出逢いは雨が引きがねと言えば、彼は「これが運命(さだめ)と言うものさ」と、笑う。本の好きな二人は、愚にもつかぬ言葉遊びして時を楽しむ。細身で睫が長く、みてくれは中原純一画く所の愁い漂う「ひまわり少年」であった。学校帰り駅で待ち合わせ、近くの丘に登って高圧線を結ぶ鉄塔の下の芝生にカバンを投げ、夢二の詩を唄い、啄木を語り、武者小路や潤一郎を、いつも出逢う隣の小父さんのように親しみ、幼い文学論やら、手探りの人生論。さりげなく忘れたふりの傷口などは、彼との充実した時がこうして洗い流して行った。ハルの折りには無鉄砲な性格を心得て、彼は思慮深かったから、誰も我々のつき合いを妨げなかった。

 先程より口も聞かずに眠ってしまったカズが気がかりで、彼の当然の訪れにもかかわらずハルは落ち着かぬ。
 「離れは早々に電気が消えているし、病気でもしているのかと思った」。
 彼に“病気”と言われ、カズはヒステリィになったのだと、ハルは決めた。
 「カズが眠ってしまったから、ちょいとお散歩なの」
 雲一つない夜空に月は昇る。
 「ほらっ、お待ちかねの、かの子の『生々流転』だよ」
 彼の差し出した本を胸にかかえて飛びあがったハルは、さつまいもの蔓に足をとられて尻餅をついた。
 いつもなら離れの濡れ縁に座り、互いに手に入れた本を見せ合い、都会の風に御無沙汰のハルに、彼は東京の土産話。時のたつのも忘れ、あげくには起き出して来た父に、
 「夜があけちまうよ」と声かけられて、一番どりの鳴き声も上の空にあどけなく別れる。これが土曜の夜の二人のおきまり。

 家から懐中電灯を持ち出し、縁の下か桟俵(さんだわら)を見つけ、埋めた防空壕の土山の上にそれを敷いた。二人は座ると逢わぬ間の出来事を立て続けに喋る。今夜は、〈達磨市〉の詩が気に入って繰り返し読み合う。敗戦後の〈達磨市〉で、居並ぶダルマを見廻し、日本の国は、今や目無し達磨だと作者は言う。目無し達磨になるまいぞ、と二人は青い気炎をあげる。
 祭り囃子の稽古帰りか、若衆たちが土山の二人を見つめ、
 「あらっ、お勉強、なんのお勉強」と口をそろえてひやかし、自転車で行き過ぎる。
 期せずして二人、「下司(げす)の勘ぐりですな」と顔見合わせて笑い転げる。垂れこめる光の中で切ない爽やかさが、今夜も彼の置き土産となった。こんなに優しい彼と、この町で別れてしまったのは、おおよそ二年後の祭り明けの日であった。

 (つづく)

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平成22年新春の御挨拶

謹んで、初春のお喜びを申し上げます。

本年もよろしくお願いいたします。

頑張って生きて参ります。

可久鼓桃

※1月1日より連載小説「神楽坂」を最終回まで一期に掲載いたします。





連載小説「神楽坂」第25回

連載小説「神楽坂」       第24回

第25回

 母が店に出ると、ぐんと売上が伸びた。十日に一度戻る母は、珍しい外国の缶詰やお菓子を茶の間に広げ、尋ねて来た人に気前よく配る。母が戻ると歯車が一期に回り出したように家の空気が明るく騒ぐ。ハルは、生まれはじめてナイロンの靴下を穿いたが、外国の靴下は全体に大きく長く、小柄なハルの足先で、余った靴下がそよいでいる。靴下よりピーナッツ入りのチョコレートの方がハルには嬉しい。
 妹のカズは、祖母の家に母と一緒に泊まり、ハルの卒業した新宿の学校に通っている。ゲンは、大学入試に失敗したが、語学に強く英会話に夢中で、街を歩く外人に近づき、すすんで喋り廻り、三角橋の図書館に通う。
 カズは幼い時とは打って変わり、まるで物怖じをせず、背丈もハルを追い越す程だ。人並みにボーイ・フレンドも幾人かいて、ラブ・レターはすべてハルに代書させて、これはと思えばハルを呼び出し、解らぬまま出かけてみれば、「これは姉です」なぞと紹介し、意味もなくとりとめなく喋らされ、頃合いを見てカズが「もう帰って」とハルに耳打ちをする。その都度、ハルが書いたラブ・レターを読んでいるであろう目の前に座る男が間延びして見え、なんともお気の毒になる。カズは本なぞ読んで夢を見ない。すべて毎日の生活を通し、現実を見つめて大人になってゆく。ハルが本を買って与えても、「代わりに読んで、ストーリーだけ後で聞かせてよ」と、これである。ストーリーをハルが教えると、素早く自分のものにして、付き合いの中でちゃっかりと応用している見事さ。

 夏休みが終わり、二学期に入って間もなく、母はカズの担任の教師に呼び出された。カズが自習時間、教壇に上がり、数人の友人と盆踊りをやったと言われる。見事に踊ってしまった生徒は三日間の停学。「サノ、ヨイヨイ」と、合いの手を入れた生徒は一日停学。
 学校から戻った母は、汗を拭きながら、「もう少し、ましな事で呼び出されたのなら良かった」。言われたカズがケロッとした顔でニヤリと笑うと、我が家ではこれでおしまい。

 (つづく)

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連載小説「神楽坂」第24回

連載小説「神楽坂」       第23回

第24回

 梅雨あけの雷が夏雲を誘う頃。父は病いに倒れた。針程の傷口が見る間に腫れあがり、父の腹は赤く膨れ質の悪いできものだと言われた。母の従兄弟に、外科部長として清瀬の全生園に勤務する昇伯父がいて、看護婦さん一人連れて家の離れで、父の腹を手術する事になった。普段から気の強い母なのに、「立会人は御遠慮、御遠慮」と青い顔で急にハルに向かって、「お前、しっかり見て置きなさい」と言うなり、奥の仏間に立て籠もったまま出てこない。ハルは仕方なく部屋の隅に固くなって正座した。気の弱い父は、昇伯父に手をあわせ、「頼みます、頼みます」とくり返す、「大丈夫、大丈夫」と伯父。局所麻酔をふくれた腹に打たれ、うつらうつらする父は、足許に座るハルに、意味もなく声をかける。呼ばれるハルは、その度にしっかりと返事をしていたのだが、意識が朦朧として医療器具の音が時々途絶えだすと身体が畳に吸い込まれた。もう解らない。父の寝所と真向かいの部屋で夕方になって目覚めた。腕に注射の絆創膏がひとつ。その後、昇伯父は、ハルに出逢う度に言う。「立会人、ただの一人もなし」。されば、「面目なし」。
 伯父は、病院の勤めが終わると父の傷口に詰めたガーゼの取り替えに立ち寄る。ハルの家から先は、畠が道の両側にしばらく続き、遠い森の陰から伯父の乗る自転車がでこぼこ道をゆっくりとやってくる。小さな妹の手を引いてハルは夕暮れの畠に立つ。伯父をみとめた妹が父に告げに離れにかけてゆく。父は晒しを巻きつけた腹を撫でながら大きなため息。後年、「生きながらの切腹でした」と、まるで侍であったかのような気分で話す父の横で、ハルは我がていたらくもふくめて、幾度も笑いをこらえた。
 母は父の手術が済むと、すぐさま東京の店へ。妹のカズは当たり前の顔で、母の後について東京暮らし。三女ヒサ、長男正一、四女トモを預けられ、ハルは痛みに夜通し眠らぬ父と共にお留守番。母がいなくとも、母からの指令の紙切れを手に、カズが毎度戻ってくるから、母が扱う品物の集散は相変わらずだが、尋ねてくる人に活気がない。
 一ヶ月もたつと父はふとんの上に起き上がり食事がとれるようになった。こうなると、久米川から清瀬の全生園まで外来として通う。リヤカーの上にふとんを敷き、先ず末っ子のトモを乗せ、離れの濡れ縁にリヤカーを横着けにして、海老のように背中を丸める父に肩を貸し頭を高くなだらかなふとん上にそっと寝かせる。週に三回傷口に太陽灯を当てに出かける。ヒサと正一は登校中なので、昼までに戻らねばならないから、一番乗りの診察に間に合うよう、朝露の消えないうちに出発だ。母の言い付け通り、みんな麦わら帽子をかぶり、ハルはリヤカー付きの自転車に跨る。重いペダルに目一杯体重をかけて自転車をこぐ。朝風渡る畠の中を、トモが飽きぬようにハルは唄い出す。「桃太郎さん、桃太郎さん・・・」。すると後で父が、「別段、宝物を積んだいる訳でもあるめえし、ほかの歌にしな」。そりゃ、ごもっとも。「だけど、命も宝だって」と、ハル。「すぐそれだ、お前は母さんに似て理屈っぽいから、かなわねえ、勝手にしな」。ハルは首を竦め、ハンドルをぐいと握りざまふり向く、父が瞬く目を逸らした。諦めよく母の後も追わず、手のかからぬトモが遠くまで出かけて来た嬉しさか、きょろきょろと御機嫌だ。ハルは覚えたての、ユーアーマイサンシャインを口ずさむ。「ハイカラだねえ」と父が言った。

 (つづく)

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連載小説「神楽坂」第23回

連載小説「神楽坂」       第22回

第23回

 第九交響曲歓喜の歌たからかに、蛍の光で学生生活の幕が降りた。戦に振り回された学生時代は、接続詞を見つけるのに手間取り、卒業が中途下車の思いで、やり残した事が学校のそこかしこにぶら下がって、手招きされたら踵を返してかけ戻りそうだ。
 卒業後、ハルは父の店で商いのお手伝い。モーター付きのレンズ砥石の前で、余り期待もされぬままレンズ加工をやっている。門前の小僧は、問屋への走り使いの往復に、本屋の寄って空きな本が買えた。
 店の休日は、映画好きの父に連れられ新着の外国映画を見に行く。禿げた頭に必ずベレー帽をのせて歩く父は、ミュージカルが大好き。仕事場の隅にメモ帳を置いて川柳で時世を風刺し、寄席に通い、古典落語を覚えると、一席伺ってハルを笑わせる。
 銭湯帰り、見知らぬ人に肩を叩かれ、「師匠これから高座で?」などと言われると勢い込み、「へい、おかげさまで」と言い切り、しばらくして肩をゆすって笑う。戦災から後ればせに立ち上がった父は、失った物の大きさを追わず、毎日を上手に楽しみながら働いている。母は失った物の大きさが身に染みて痛く、少しでも取り戻さねばと居ながらに商いに励む。

 北多摩の家の玄関の土間には、数俵の米俵が常に積まれてあった。囲炉裏のある茶の間には、闇屋の小父さんが出入りして、うどん粉や砂糖、小豆等が運ばれる。時計や貴金属は勿論売りさばかれ、母にかかると手品のように品物が集まり、それがまた散ってゆく。しかも集まる人々は明るくおおらかで、畠の中の「囲炉裏のサロン」では、人と金と品物が順調にワルツを踊る。
 この頃、母は人の出入りを煩わしいと嫌がる子供等に言い聞かせた。「衣食足りて、礼節を知る」と。その都度、ハルは総理官邸で食べた厚切りの羊羹を思い出し、母の逞しさに脱帽した。母はハルが何をやろうと本気ならば文句を言わず、聞く耳だけはいつもあけて置いてくれた。しかも子供等の腹は満たされ、鷹揚に片目を瞑って頷いて、調子にのると無関心に突っ放されたので、躓いたらその痛みが胸にこたえ、父よりも怒る母の方が恐かった。上手に待つ事の難しさとせつなさは母から学び、ハルは生涯母を待たせた。それは、ハルもまた母のように待たされ続けていたから。
 

 (つづく)

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連載小説「神楽坂」第22回

連載小説「神楽坂」       第21回

第22回

 
 日の丸鉢巻きを解き、教科書に再び向かい始めた頃、担任の国文の教師は国語研究会をつくった。同好の志が寄り合い、ハルもその末席に連なった。ハルは、アナウンサーに成りたかった。言論の自由という活字に惚れ惚れとし、生まれたての男女同権に目を輝かせた。だから当然大学へ行きたかった。国文の教師は頑張れと声援。ハルもその気になったが、ゲンの進学を思えば、五人弟妹に父と母、祖母を含めた九人家族では、教育よりも毎日食べて通るのが精一杯だった。男女同権の活字は巷に踊っても、各家族には生き抜く為の順序があった。父の年齢と末っ子トモの年齢を数えれば、どうしてもとは言い出せずに涙を飲んだ。大学受験者は、女子校でもあり、この世相では学年で十指にも満たなかった。諦めたハルは、せめてせっせと本を読み、詩作し希みを文字に書き飛ばした。国語研究会は、ハルを一人残したままやがて解散した。
 卒業がせまるがハルはさほど別離を悲しまない。学校も友人も東京。足さえ運べば遇えるのだから、サイン帳が廻ってきてサインはするが、サイン帳を廻す気にもならなかった。

 現在、跡形もなくなった赤煉瓦に蔦のからまる角筈の校舎。時の将軍が鷹狩りの帰途、鞭を洗ったと言い伝えの策の井。事も無げに飲んでいたこの名水も今や新宿のビルの谷間にブルドーザーの音もろとも枯れ果ててしまったか。
 ハルは、新宿西口駅前に年を経てたたずむ。いつも節水の水が立ち上がらぬ噴水と、痘痕のように防空壕が散らばる公園跡は、さんざめくバス・ターミナル。当然見えるべき筈であった赤煉瓦と蔦の葉の緑が雑踏の間を分けて、一瞬よぎる。
 現在の音を消して目を瞑れば、記憶は欲しいままにさかのぼる。散会した後の出陣学徒が、三つ編みの女学生と日暮れの公園で出逢う。ベンチの鉄の部分も、柵の鉄鎖も弾丸に変え飛ばされて、めぼしい立ち木は、どこかの家の竈の灰になった。名ばかりの裸になった公園で、不器用に互いを見つめ、無言のまま手を握り合う二人。時局は若者から恋まで奪い、突きつけられた別離で終わっていた。

 (つづく)

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連載小説「神楽坂」第21回

連載小説「神楽坂」       第20回

第21回

 一週間が様々な出来事を刻んで、秘密を呑み込み過ぎて行った。女にされ、それを追って身体が大人になった。ともかく、この取り違いから歩み出さねばならぬ心細さ。信頼深い筈の血の呆気なさ。蹴落とされた穴の底で、丸い青空に両手を上げて縋る思い。怒りを持ってゲンを極めつければ、生まれてこのかたの月日が惜しまれ、大切な血のつながりは遠ざかる。忘れるには己れが不憫で、共に生きた命が共に大人になったと思おうとした。唯、余りの段取りの無さは恋でもなく、愛と言うには近すぎ、欲望として済ますには惨めすぎた。ゲンは、まるで警戒のなかったハルに、距離を教えあきらめの烙印を押した。
 ハルは、さりげなく入舟町から遠のいた。今更振り向く恐ろしさより、振り返って出逢うその目が、もし冷えて恍けでもしていたなら、一度限りの流れた血が憎しみになろうから、やり場のない自分を、最早突っ放して歩いてゆくしかない。

 終戦直後、日本の世相は他人の屍を踏み越えても我が身の富を守り、強い者が栄光を貪った。学生は修身の教科書から無責任に解き放たれ、舶来好みの日本人は、けろりと過去を葬り、「祖国」という言葉すら忘れ、今日食べられる事が生き抜く明日に繋がっていた。闇物資は耐え忍び続けた人心をかき乱した。精神は二の次で、物質が心を犯した。

 夕暮れ以降、子女の一人歩きは危険だった。ハルの家の近くに、立川から所沢を抜け、入間に向かう、各米軍基地を結ぶ幹線道路がある。米軍の大型軍用トラックが、ギラッとした大きなライトをつけて、ゴウゴウと走りまくる。トラックから長い毛むくじゃらの手がやにわに伸び、小さな日本の女を抱え、そのまま走り去る。ハルの友人に十五歳になる大柄な妹がいて、学校帰り同じ目に会ったが、負けた国の警察は施しようもなく、臭い物には蓋をして、弱い国民は泣き寝入り、新聞に載せようのない事件などは、どこの町にも転がっていた。ハルはギラッとしたこの光に出逢うと、物陰に隠れる。戦争中は防空壕にもぐり、戦後もこれだから、どのみち命がけの通学だ。

 慌ただしい歴史の中での学生生活も残り少ない。戦争中の教育は、まだ頭の隅でくすぶる。警報のサイレンでの授業の中断こそないが、同じ顔の先生が、同じ教壇に立ち、戦後は全く違った理念で私達に語りかける。何故今に至り、今が何故正しいのか、どこかに省略が潜んでいて、しっかりと伝えてくださらない。もしも、これが突然の自由や民主主義ならば、またもやある日、大東亜共栄圏に舞い戻り、学生がペンを捨て銃を持たされ、打ちてし止まむなぞと叫ばねばならぬのか。私達は、怖ず怖ずと変化してゆく世界地図を広げる。ハルは、あの総理官邸の大黒様と恵比寿様の陰から、幼い笑顔をあらわに手招きした、カボチャを思い出す。たまたま総理大臣であったカボチャは、今頃どこで、どんな思いで勉強しているのだろう。我々と同じように自由と民主主義を手に入れただろうか。

 (つづく)

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連載小説「神楽坂」第20回

連載小説「神楽坂」       第19回

第20回

 戦災を免れた入舟町の一角はさして変わらない。変わったのは、街中をG・Iが散歩して、聖路加病院のステンド・グラスが戦時中よりも輝きを増し、軒並みの家々が目立つペンキで化粧し、疎開先から戻らぬ人で代替わりもあるが、人気は昔通り。店の上の八畳間は、相変わらず仏壇の線香の匂いが染みつき、白髪のふえた祖母のキミを挟んで、一つ違いのゲンとハルが眠る。

 近頃のハルは身体が妙に懈く。詰まらぬ事で苛立ち、乳房が疼く。訳もなく涙が溢れる日は母の許へ帰り、近くの小高い丘の裾にある尼さんの庵にゆく。散歩の途中、托鉢する尼さんの姿に思わず手を合わせたハルに、尋ねる度に粥を炊き、お茶をたて、迷える小羊に鬱陶しくならぬ程、法を説く。経本を開いて「大般若」を唱えれば、生きているだけでどこか汚れてしまうと思い込むこの頃の恐れから、すんなりと這いだし、また入舟町からから学校に通っている。母は食糧の確保と子育てにかまけ、父は商いに忙しく、祖母の側での時の自由さにハルは寄り掛かっている。ゲンは大学受験を控え図書館通い、遊びも勉強もハルにはもう手が届かず、ゲンが何を考えているのやら皆目解らない。朝から細い雨が降り続く花冷えのこの頃、校庭は櫻の花片を頻りに吸い取る。友達はそれぞれ軽い恋をくり返し、ハルはたのまれてラブ・レターの代書をする。手数のかかる恋物語には、恋の相手にそれとなく引き逢わされ、後日感想を迫られる。恋に恋する幼さは千切れ雲に似て淡い。やたら神経のみ先走るハルだが、発育不全なのか身体は友達からおいてけぼり。

 めっきり早く眠るようになった祖母の隣で、ハルは眠たいくせに本を読み流している。バレー・ボール大会が近づいて、背の低いハルは後衛でサーブの連続練習。太腿の付け根から先はふとんの中で溶けてしまったように懈い。隣の部屋では遅くまで勉強しているゲン。ぐっすりと眠りこけたハルは、真っ白で太い蛇の夢をひたすら追う。祖母の実家の三番蔵には白い大蛇が住み着き、家に大事ある年は蔵の屋根に這いだし吉凶を告げると、これだけは真顔して母が言う。
 この言い伝えに色を付け想像を展開させ、ハルは幻の夢を折折に見る。土蔵の蔵の壁には、織りなす葉が登り立ち禿げた荒壁の木舞いの間に名もない草がとり縋り、一歩踏み込めば薄暗い天井にとどけとばかり籾が積まれ、小ネズミの光る眼が隅に潜む。この三番蔵の前を通りかかるハルは、そっと蔵をひと回りするが、妖気が伝わったか、もつれる足に驚いて、一目散に逃げ出す。今、ハルは真っ白で太い蛇の夢に酔いしれる。三番蔵の小高い窓から白い蛇はのろのろと這い上がり、痩せた大人の胴ほどもある真っ白な肌をぬめぬめと妖しく輝かせ長々と屋根に寝そべる。深紅の伸びる舌をペロッと出して屋根にかかる欅の枝に巣くう小虫を器用に食う。あたりの音は静止し、色の無い背景の中で深紅と金色に変化した白い肌が鮮やかに踊り狂う。蛇の息遣いがハルの耳許にせわしい。ハルは今、真っ白で太い蛇の夢に酔い狂う。いつしかハルは、恐ろしい筈の蛇に猛く寄り添われ、輝く身体はハルに優しく、深紅の細長い舌はハルの首筋を伝う。三番蔵の屋根は程良い陽射しを受け、広く暖かく柔らかい。
 気怠さの中で縮かんでいる身体を伸ばし寝返ろうとすれば、やおら熱い塊が全身にむしゃぶりつき、腰と胸元の自由を奪った。これは妙だ。これは夢なんかじゃない。これは蛇ではない。これは何だ。身体が動かない。息がつまり喉が渇く。祖母の鼾が隣で折折途切れ、軒を打つ雨音が激しくなった。家中のあかりは消え、突っ張ったハルの身体に蛇ならぬ人間がひたと被さっている。もがいてのび上がれば、歯の根が合わぬ、震える口びるを燃える口がふさいだ。やみくもに逆らう腰に痛みが頭の芯を突き上げ、生命が走った。鈍痛と涙が残った。震える身体は言葉なくするすると立ち去り、ハルの身体から零れ出たものに、優しさも、約束も、夢もなかった。惚けた頭で残されたぬめりを枕カバーで拭った。青草の匂いがジトジトとしたふとんに籠り、手洗いに行きたいが身体を動かすと、声を上げて泣き出してしまいそうで、明け方まで切なく堪えた。

 空が白み、強張って血の染みた枕カバーを音を立てぬよう手拭いでくるみカバンの底に入れた。気が付くとハルは、雨上がりの街なかを玩具のように走る一番電車に乗っていた。店は戦災に会い、もうそこには座る場所もない筈の牛込見附で電車を降り、神楽坂は見上げただけで、朝の土手公園にたどり着く。ハルの松の木達が昔通り手を広げて待っていた。芥箱の中へ血染めの枕カバーを細かく裂いて捨て、しばらく行ってまた引き返し、捨てた布の血色の個所を暫く指先で突いていた。新しい涙をふりきり松の木に登る。腰にしっかりと力が入らず、身体の中に異物が残されたままのようで変にぎごちない。松の木の上で止まらぬ涙を頬に受け、神楽坂を見やり昔を思う。人通りが始まり学生の歩く姿が増してゆく。全身が昨日の自分と変わったと見とがめられる恐ろしさに、ハルは今日学校へ行くのをやめた。冷えた血が駆け回り眩暈がした。すれ違う人の目が見透かし追い立てる幻覚。中央線の車窓に写る自分の顔の白々しさ。

 誰にも言えぬ心のうちは、やっぱり、「オカアサーン」。昼近くに戻ったハルは、頭痛で早退したと母に言っておく。青草の匂いが纏い付くまま、離れにこもりぐったりと眠る。夕方、何も食べないハルに母がお粥をつくった。起き上がったハルは寒気がして乳房が張った。ふらふらと手洗いに立ち、あわてて手洗いから転び出た。「わぁー、血が止まらない」。震える腰から下の感覚が突然敏感に発達して、女のスタートを切った。手洗いの前でいつもより優しい顔の母が、大人への仕度を手にして待っていた。それはこれから女として生きる為、あらかじめきめられた通行手形に見えた。
 明くる朝、母は赤飯を炊いた。ハルは学校を三日間休み、四日目母のサイン入りの生徒手帳をもって登校。始めて体操の時間見学。友達が目配せをした。ハルはうわ目使いでコックリをした。

 (つづく)

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連載小説「神楽坂」第19回

連載小説「神楽坂」       第18回

第19回

 ハルは、継ぎ接ぎだらけの授業が詰まらなかった。もんぺをスカートに穿き変えたものの、俄仕立ての民主主義に質問がたくさんあった。何よりも不惜身命は、可借身命と相成った。生命の尊厳と責任に裏打ちされた自由を教えられる。天皇陛下は、神格否定宣言をなされ、文部省は教育勅語の奉読を廃止せよと通達した。神国日本に神風の吹くその日を、日の丸鉢巻をかたくしめて、信じさせられ育った同期の小櫻達は、今や人間は葦原に繁っていた一本の葦に過ぎなかったのかと悟った。
 特攻隊生き残りの母方の伯父は、狂声を張り上げ、抜き放った日本刀で、庭の立ち木をやたら斬って廻り、足許へ生唾を吐いていた。

 学校の帰り、ハルは映画を見たり、神田の本屋街迄出かけて本に立ち読みの「梯子」をやっていた。高くて買えぬ本は、申し訳ないが写させていただく。ハルは、パスカル「パンセ」が欲しいのだが買えずに毎日本屋へ通った。雨が降っていた。うなぎの寝床のような店に隠れ場はなかったが、奥に座る店の人からは離れていたのが幸いだった。今日まで三分の一ぐらい写せている。ふと肩を叩かれる。老眼鏡を鼻先までずらした見馴れた本屋の小父さん、うろたえるハルに黙ったまま椅子をすすめた。
 ハルは小柄な身体が溶けてしまえば良いと思いつつも、深く深く最敬礼をした。小父さんの細い目は笑いながら又も無言で椅子をすすめる。ハルは消え入る声をやっと出して、「ゴメンナサイ」と言った。その日からのハルは映画も見ず、あんみつも今川焼も食べず、一日も早く親切な本屋の小父さんの許へかけつけて、写しかけの本を買いたいと、せっせと小遣いを溜め続けた。ハルの手許にパスカルがやって来たのはそれから三ヶ月後、街に「リンゴの唄」が流れ、以来パスカル「リンゴの唄」はハルの記憶の中で一緒に座っている。


 注 不惜身命(ふしゃくしんみょう) 可借身命(あたらしんみょう)
 
 (つづく)

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連載小説「神楽坂」第18回

連載小説「神楽坂」       第17回

第18回

 ゲンと祖母キミは入舟町へ戻った。父は、入舟町の店の近くへ、ともあれ小さな店を構えた。ゲンの家には借家人がいたが、二階と三階は貸していなかったので、寝る場所には困らなかった。ハルは相変わらず、入舟町の祖母の許から学校に通って、週末は東村山に帰る。ゲンは、大人っぽく男でございとばかりハルを見おろす。悔しがって、後を追い廻すハルに「おまえは女なんだから」と、もうどこへも一緒に連れ歩いてくれない。
 ハルの胸はちょっぴりふくらんで、若草だって芽吹いているのだが、まだ体操の時間にオヤスミをしていない。友人のほとんどは、学生手帳を先生に渡し家からのサインの横にペタンとハンコを貰って体操をやすむ。
 父の店には、サングラスや時計を買いにGIがくる。お金を持たない場合は、タバコ、石けん、缶詰、お菓子を置いてゆく。それが値段に引き合うのやら解らなくても、食べるのが先決の時代。子供の多い我が家では、これらの品物をかついで週一回父は母の許へ帰る。もどれば親鳥の餌を待ちかねた子供等は、珍しい品物に群がる。石けんは汚れだけ落とすのではなく、香水の役目もするのをハルははじめて知った。

 ここ東村山にも、都会の人達が主食や野菜を求めて農家の庭先に、手持ちの高級な着物などをひろげ商談に入る。小学生らしい男の子が、自分の背丈ほどの荷を背負い、畠中の道を母親にせき立てられてよろけながら歩く姿。村の人達はこうして訪れる人々を買い出し部隊と呼び、週末、駅のホームは人と荷で大混雑をする。
 父は、いつものリュックの別に一斗缶を下げて戻った。さも得意気に一斗缶を開け、「舐めてごらん」と母に言う。のぞき込む母がひと舐めして、「あらっ、お砂糖ですね」とニンマリ笑う。その声を聞きつけ子供等はいっせいに手を伸ばす。畠でとれた小豆で、さっそくおしるこを作った。
 次のリュックが運ばれる頃、その一斗缶の中から薄茶色が顔を覗かせた。父は済まなそうに禿げた頭をつるんと拭いた。母は、「又ですね」と言った。薄茶色はフスマであった。小麦を引いて粉にする時出来る皮の屑なのだ。一斗缶の十五センチ程までは、確かに真っ白なお砂糖に違いなかったのだが。

 職業安定所から金属製のトランクを一つさげて、陰気な男がやって来た。無口で猫背で終日仕事場で大きな目玉をギョロつかせ時計の修理に余念がない。時計職人二十五歳。週一回母の許に帰る父は、週二回戻れるようになった。
 その日、朝がた出かけた父が、小柄な身体をまたひとまわり縮めて帰って来た。濃いひげの剃り跡がなお濃い真っ青である。辿り着いた玄関で、へたへたと膝をついた。その姿に、出迎えた母は、「まさか、あんた」と、さすがの母もその場に座ってしまう。やられたのである。二十五歳の時計職人は、ものの見事にめぼしい店の商品を手持ちの金属製のトランクに思い切り詰め込み立ち去った。
 
 数日して警察から連絡あって、父は職人の生家へ警察の人と出かけた。埼玉の小さな駅の町外れ、傾いた藁葺き屋根の下から年老いた病身のふた親が現れ、「三年前、息子は勘当しました」と言うだけ。見廻せば無残に貧しく。強い言葉も交わせぬまま父は戻ってきた。
 さし当たり神楽坂以来の信用で商品は整った。二代目の旦那商売を続けていた父が始めて潜る試練であった。

 (つづく)

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連載小説「神楽坂」第17回

連載小説「神楽坂」       第16回

第17回

 工場から学校へ在校生は戻った。赤煉瓦の校舎は外側だけ残り、内装は焼けて火事場の匂いがなかなか抜けない。
 つい先頃まで、藤田東湖の「天地正大の気、粋然として神州に鍾る(あつまる)」に始まる詩を朝礼で毎朝吟じていた私達は、戦が終わるや、ゲティスバーグでのリンカーンの演説文「人民の人民による、人民の為の政治を」と、蛸壺防空壕が手付かずに散在する校庭で、素直に唱和した。勿論涙ぐましい仮名ふりの英文であった。
 敗戦後の体操の時間は、かつて掘らされた蛸壺防空壕の埋め立てで始まった。先生のかけ声は「第三分隊の第一班右へ」なぞとは、もう決して言われないが、命令なぞされなくても、自分の汗で掘ったものの位置はしっかりと覚えている。御使用なしの深さ二メートル、直径一メートルの蛸壺に駆け寄る。
 「あれっ」顔を見合わせれば、「同じ、あの時とおんなじ」とはしゃいでいる。同期の桜は恙なく勢揃いして蛸壺防空壕は埋まり、校庭は平らに広くなった。
 焼け残った教室の中では、新渡戸稲造、内村鑑三の足跡が語られ、駆け足の民主主義が学校の中を駆け回る。
 禁じられていた英語は、敗戦を境にいきなりハル達を取り囲んだ。街には英文字が氾濫し、新宿の街の中をパラシュートのようなスカートを穿いた女の人達がGIに肩を抱かれ、タバコを咥えて通り過ぎる。
 「欲しがりません、勝つまでは」なんて、負けちゃったお国では、もはやおとぎ話。闇市では欲しい物が山積みされ、新宿の街はみるみる毒々しい原色に塗れたてられ、日本の色が消えてゆく。
 本屋さんに本があふれ、翻訳本を隠れて読んだ頃も忘れ、ぞくぞくと放映される外国映画を映画館の梯子で見て廻った。
 ズルチン入りのあんみつであれ、泣ける美味しさ、スルメの足をくわえ、映画館の休憩時間に流れるハワイアンバンドのスチール・ギターにうっとりした。しかし、お国の為に省略された英文法では、今更急に高学年用の〈リーダー〉抱えさせられても戸惑い疲れて、若いエネルギーは街の角かどを流離う。
 教育界の慌ただしい変貌の狭間であえぐ落ちこぼれは、無残であり無念だった。
     
 (つづく)

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詩歌集「ぐれいん」

詩歌集「ぐれいん」

 昭和四十年十二月、川崎駅前にてトンカツ店「ぐれいん」開業
 「grain」とはドイツ語で「穀物」という意味
 日々の糧を得るという意味で店名を「ぐれいん」とする
 

短歌 

 花も実も 青空も見上げず トンカツを揚げてをれり
 この道より 暮らす道なし 一筋に生きんか



散文詩 昭和四十年十二月五日

 今日からあたしゃとんかつ屋
 白いシャッポをチョコンと乗せりゃ
 度胸と愛敬でひと稼ぎ
 色んな目付きに囲まれて
 いろんな世間をかい間見る
 いらっしゃいませ、ありがとう

 今日からあたしゃとんかつ屋
 泣きたい程の淋しさも
 疲れる身体を忘れましょう
 坊やの笑顔でひと稼ぎ
 ほんに今日からとんかつ屋
 いらっしゃいませ、ありがとう



散文詩 昭和四十年十二月二十日

 つかの間のまどろみにも、とんかつの夢を見たり
 キャベツ畠で豚に追われたり
 ナイフの橋をかけ抜け、フォークの櫂に皿の舟
 玉ネギの畠にて、なおも追う豚は、力尽き豚座。
 これぞ、私の今をささえるメルヘン



散文詩 昭和四十年十二月二十五日

 煩わしきは、かき揚げに
 希みは、一口かつより
 うぶなレモンは、かぐわしき思ひ出
 マスタードは、浮世への風刺
 キャベツの千切りは、細やかなる心くばり
 すべてを定食としてまとめ
 ああ、かくて真白き皿と共に
 日々の我が労働に
 心よりの祝福を送らむかな


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「人間日和」を評論していただきました

「人間日和」を評論していただきました

 当ブログ 【可久鼓桃の一人同人誌「人間日和」】がブログ評論家タキタローさんの「わたし、ブログ評論家です」で取り上げられ、数々のおほめの言葉をいただきました。可久鼓桃本人も「続けていて良かった」と、とても喜んでおります。連載小説、短歌共にどんどん掲載してゆく予定です。なお、リンク集に「わたし、ブログ評論家です」を加えさせていただきました。

 評論の内容はこちらからリンクできます。読者の皆様にも是非読んでいただきたいと思います。今後とも、ブログ【可久鼓桃の一人同人誌「人間日和」】をよろしくお願いいたします。


 ブログ【可久鼓桃の一人同人誌「人間日和】管理者  新岳大典

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連載小説「神楽坂」第16回

連載小説「神楽坂」       第15回

第16回

 あの八月の朝、明電舎の三階の仕事場で、汗でべったりと濡れた日の丸鉢巻きをきりっと結び直した丁度その時、スピーカーから全員集合の指令。すり減った運動靴を引きずり一階の中庭へ、ねずみ色の階段を怪訝な面持ちでぞろぞろと降りてゆく。
  「天皇陛下の玉音放送が御座います。」と工場長の重々しい声。
 一瞬ざわめいた群衆も緊張して静まり、不透明な空気の中、国民がはじめての陛下の沈痛なお声が細く清冽に流れてゆく。我々は一人、また一人その場に蹲る。腹の底から唸り声をあげ、高まる憂憤の情は堰を切って、日の丸鉢巻きを地べたへ叩きつけ、握る拳を震わせる男子学生。
 ハルは、足を踏み締め腕をさすり、今の命を確かめたが、空白になってゆく頭の中は、瞬時に区切られて頼りない。工場の機械の音は消えて、午後は解散。大崎のホームに立ち、私達はまず宮城前広場へと目で頷き合う。その時、ホームの柱の陰で何が可笑しかったのか、甲高い声張り上げ、ゲラゲラと級友が笑った。その声に素早く駆け寄り、笑う女子の顔に男子生徒の平手打ちがとんだ。
 誰もがやり場なく途方にくれ、動員学徒等は泣くエネルギーもなく、惚けた目を寄せ合ったこの日、激しい目の前の光景は過去への決別であったのか。
 やおら、その空気を破り、平手打ちの男子生徒は、声を限りに叫んだ。
  「何が可笑しいのか、今日は、今日は笑っちゃいけないのだ。せめて今日だけは」と、ホームの柱に血の滲む程身体を叩きつけ慟哭した。打たれた級友は、防空頭巾の紐を引きちぎり、全身を震わせて泣いた。ホームの動員学徒は耐えかねて一斉にに号泣した。それは、もうどこえなりと、と急に解き放され、行き場に迷う青春の咆哮だった。

 昨日まで燃えて組み合って来た肩を、今日は頼りなく寄せ合って、宮城前広場に集まり正座する。玉砂利を握りしめ二重橋に向かい、こうべをたれれば、涙があふれて止まらない。誰も喋らず、あちこちに忍び泣く声がうずまいている。
 「将校さんが切腹した」と遠い所で誰かの叫ぶ声。
 ひもじいお腹をかかえながらも、一人として立ち上がらぬ、ひたすら従い夢中で生きた月日が、ここに座ってさえいれば無駄にならぬ気がして、返事の返る筈もない雲居の果てをひたすら見つめるだけであった。  
 この日を境に、父は終戦ボケとなり、母は甦って逞しくなっていく。次々と偉かった人が自決し、小さな子供等の間には「お山の杉の子」の歌が流行っていた。
     
 (つづく)

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連載小説「神楽坂」第15回

連載小説「神楽坂」       第14回

第15回

 今日はまだ警報が鳴っていない。警報に出会うと電車が止まり、酷い日は線路の上を小犬の様に歩く。肩からかけた水筒と、手縫いの布カバンの中には、米と梅干しと味噌。父が無理に持たせる防毒マスク。赤チン、メンタム、三角巾。唐草の大風呂敷に、手放せぬ愛読書一冊。背中に廻した防空頭巾。これも父が無理に持たせる鉄兜。
 「鉄兜は顔が洗えて飯が炊け、水を汲めば火が消せる」と父はしつこく言う。
 身体を取り巻く七つ道具は、明日をも知れぬ青春の肩に食い込み、飛行機雲が真綿を引きのばしたように浮かぶ日本の空を仰ぎ、神風は本当に吹いて呉れるのだろうか、なぞと。

 中央線は意外にスピードを出して走るから、国分寺廻りで家に帰る。遂に三鷹の少し手前で今日も無慈悲な警報が鳴った。三鷹の駅で停車。乗客は改札口から駅前の防空壕へ。馴れた足どりで素早く待避。はるかの空から翼を連ねた大編隊がごうごうと音高くやってくる。壕の入り口にいたハルは、広場の中央に叫び声をあげる白い塊を見つけた。人間だ。割烹着を着たお婆さんだ。「白は殺られる!」。咄嗟にハルは七つ道具をかなぐり捨て、カバンの底から唐草の大風呂敷を引きずり出し、急いで被る。教練の時間に習った匍匐前進で震える白い塊へと近づき、両手に掴む大風呂敷を我が身諸共がばと覆いかぶせた。
 「動けますか」聞いてみるが目をむいて取り縋るだけ。
 「少し苦しいけれど、我慢してください」
ハルはお婆さんの身体の下に潜り、風呂敷を飛ばぬようにしっかり掴み、お婆さんを背に乗せたまま、じりじりと這いつづけた。やっと防空壕に辿り着いた。すると、壕の中で拍手が渦巻いた。見る間に広場も防空壕の周辺も、低空で飛ぶ敵機のあげる土煙りに包まれた。壕の奥で「中島飛行機がやられるな」と誰かの声。
 お婆さんは鼻水を啜りハルに手を合わせた。ハルは照れて大きな目を擦ると、今頃になって身体がぶるっと震えた。手持ちの梅干しを一つ囓り、水筒の水を喉を鳴らしてごくんと飲んだ。警報解除に、今日も助かったかと、動き出す電車に乗る。気が付くともんぺにつけた大切なピンクのリボンが無くなっていた。
    
 (つづく)  第16回へ

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連載小説「神楽坂」第14回

連載小説「神楽坂」       第13回

第14回


 弟の下に妹が生まれ、ハルは五人兄弟の総領になっていた。空襲は益々激しくなり、夜空から照明弾がゆらゆらと落ちてくる。初めて空から落ちてくるあかりを、爆弾と勘違いして、隣の桑畑の中をハルは三女ヒサの手を預けられ、家族全員で右往左往した。毎度、我が家が標的であるかのように、遙か彼方で急降下した敵機は、我が家の真上で急上昇する。双眼鏡を構えてその敵機に視点をあてれば、鼻の尖った外人の顔がハルの目にはっきりと写った。「見えたぞ、見えたぞ」と大声張り上げるハルに、「爆弾を落とされたら大変でしょ」と母はきつく叱り、双眼鏡は取り上げられてしまった。

 出がけに水盃でも済ませた目付きを母と交わし、ハルは大崎の明電舎へ通う。疎開もせず下町から通う友が或る日死んだ。総理大臣をたまたま父に持った級友は、いつからか姿を消し、もはや誰も彼女の行方すら尋ねるゆとりを無くしていた。毎日が戦いのニュースと警報のサイレンに追い立てられ、戸惑いながら過ぎてゆく。母の鏡台の奥に大切にしまってあるリボンを取り出し、もんぺの腰の左隅に小さく結び付けた。誰ともなく始めたこのおしゃれは、日の丸鉢巻の下にすら隠しきれぬ青春の証だった。

 新宿で共に乗り換える洋子ちゃんと、ハルは早めに工場を出た。新宿の中央階段の下で待つという、洋子ちゃんの恋人に引き合わされる。早晩、出陣学徒として立ち去る大学生は、軍服の似合いそうな凛々しさ、丈高い身体に詰め襟の学生服、艶の出た破帽に手をかけ、かるく挨拶を交わすと、腰に挟んだ手拭いを抜き取って、額の汗と手の平を擦り、約束の本を洋子ちゃんに手渡している。
 「もうすぐ、この人ゆくの」と、俯いたままの友は微かに首を振る。世間の大人達が言うように「おめでとう御座います」などとは決して口にすまいと、ハルは唇を噛んで頭だけ下げた。その時、どうした事か洋子ちゃんの穿いているモンペが、腰のボタンでも千切れたかストンと足首まで落ちた。衆目を庇った恋人は洋子ちゃんに背を向けぴったりと張り付き、ハルも友の背に駆け寄る。思わぬ出来事に口をポカンとあけたままの友は、気付くと身を揉んですすり泣いた。戦時下にせよ、際立つ美貌は隠しがたく、将来、服飾で身を立てたいと口癖の彼女は、日頃からおしゃれ隠しの天才を自負していたから、恋人の前で今流す涙が痛ましかった。黒地に黄の小花模様の服地で仕立てた。形の良いモンペは、やたらの人には手に入れぬ。先程からちらちら眺めていた周囲の女の目は、、美しいレースをたっぷり使った下着が現れた。いくつかの古着をかき集めて夜なべに工夫の友の作品とはこれだったのか。美を敵として見なすよう躾けられた国民は、羨望を冷たい怒りに変え無言で友を射る。ハルはそれらの目に立ちはだかり、不当な目を見返して廻る。ハルの背に彼女を思う恋人の荒い息が聞こえた。
 泣く友の耳に口を寄せ、「時間の方が大切よ」と手持ちの安全ピンをハルは二個渡す。素早く身仕舞いを終えた友の肩を突然とんと叩くハル。よろける彼女を恋人が優しく抱きとめるのをハルはニヤリと見とどけ電車に乗る。
 ハルは遠ざかる友に、束の間であれ幸せあれかしと喝采を送った。目隠しされた青春の合間。寸時なりとも解き放されたこの爽やかさ、車窓から入りくる初夏の風を受け、ハルの背の三つ編みの髪は若い生命をたっぶりふくんで揺れる。
 
   
 (つづく)  第15回へ



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連載小説「神楽坂」第13回

連載小説「神楽坂」       第12回

第13回

  徴兵年齢が一年引き下げられ、第一回出陣学徒壮行大会が神宮の森で行なわれ、ハルの学校の生徒はこの式に真っ先に列席する。カボチャの父上の甲高い演説の声は、降り止まぬ雨足をつき破り、神宮の空にわだかまる雨雲を走らせる。学生服にゲートルを巻いた足並みは雨を蹴散らし、目深く学帽を被った行進は長く長く続く。銃を担ぎ肩から斜めにかけた日の丸は点々と雨に濡れそぼち、血の滴りを思わせた。みんな往ってしまう。みんな死に急ぐ。涙と雨が顔に流れ、薄ら寒さが襲い、歯がカチカチと鳴った。

 学徒動員が本格的に決まり、下級生は学校で作業、教室に黒い幕が張り巡らされ、我々上級生といえども立ち入り禁止である。我々の通う工場は、大崎の明電舎。通信機の部分品の作成。大都市に疎開命令が出され、田舎へ帰れぬ学童は、集団学童疎開に加わる。家庭用の砂糖配給停止となり、町のそこここに雑炊食堂が開かれた。
 父は、入舟町のお婆ちゃんの実家東村山の近くへ、一反の農地を手に入れ、その中央に家を建て、残る三分の二は畠とし自給自足の生活に入った。建てて間のない江古田の家は父の友人に貸し、入舟町のお婆ちゃんは、ゲンを連れ店を知り合いの同業者に貸して東村山に引っ越して来た。
 
 ゲンもハルも、朝早く起きて東村山から東京の工場へ通う。父は、大八車を手に入れ、焼けぬ内にと神楽坂から遠い道のりをものともせず荷を運ぶ。禿げた頭に濡れ手拭いをのせ、身に余る大八車はあべこべに父を引きずる。憑かれた父はひたすら荷を引く。父の身体はみるみる陽にやけ、小物の時計修理は手が震えて出来なくなった。人も車も戦に刈りだされ、必死で自分を守らねばならぬ時代に入った。
 
 三月にはB29の東京大空襲。江東区全滅。五月の大空襲では、都区内の大半が焼失した。神楽坂と江古田もすべて灰になってしまった。夕方、畠で何をするでもなく立ちすくむ父の後姿に、食事を告げに出たハルは、声もかけられず、惚けた父の肩に子として初めての老いを見た。    
 
 (つづく)  第14回へ

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連載小説「神楽坂」第12回

連載小説「神楽坂」         第11回

第12回

 高村光太郎氏の「智恵子抄」が発刊され、北原白秋氏が亡くなられた。学生生活は奉仕の明け暮れで、勉強時間が少なくなった。すべて命令の枠の中で動いている。何やら口に出せぬ不安に、唯々ハルは本を読んでいた。ハルの家には、父の本箱と、母の本棚がある。父の本箱の方は、豪華なガラス戸付きの中に、さして手垢にもまみれぬ本が数少ないもたれ合っている。岡本綺堂「半七捕物帖」の分厚い紺の表紙にはじまり、中里介山「大菩薩峠」と、隣には薄い和綴じの川柳の本が雑多に並べられている。どの本を取り出しても、一向に叱られないが、川柳の本にだけは手をふれても父は叱る。酒乱の父親と、目から鼻に抜ける母親、手のつけようのない遊び好きの弟を身内に、日がな使用人の目に囲まれ、妻に気兼ねのこの当時、父がたった一つ通した道楽が川柳であった。

 ハルが幼稚園の時、父に手を引かれ、たどりつけば一人で遊ばされたのは、向島の百花苑であった。細長い紙を手に、考え込んでいる集団の中の父は、家では見られぬ顔付きして楽しそうだ。ハルがおとなしく父を待てば、戻り道、浅草の松屋で好きなオモチャを買ってもらえる。川柳を「カワヤナギ」と始めに読んだハルが、あの時の集団の中で一番偉かった人はと、すぐる父に尋ねたら、川上あめんぼうと言い、その後、川上三太郎と名乗った川柳の神様だと教えられた。思うに、気の小さい父のせめてもの憩いは、斜にかまえた川柳の世界にこそあったのだろうか。

 母の本棚の方は、まさしくリンゴ箱の廃物利用で、ざらつく板に色紙を張り付け、控え目に部屋の隅につられている。控え目に置かれた程には、本の数は多く、本の内容は父の考えを突き抜けて大胆で、谷崎潤一郎「痴人の愛」「蓼食う虫」など、母の本棚から、ハルが繰り返し読んだ本には、賀川豊彦「死線を越えて」と、「太陽を射るもの」がある。いつからか、この二冊の得がたい本は消えていた。翻訳物は、軍医で戦に往った母方の昇叔父の本棚を漁った。カビくさい蔵の二階、わずかに差し込む陽を頼りに、セピア色に乾いた古本の匂いは、たぎる青春に安息をあたえてくれる。昼は、勤労奉仕、夜は読書、まるでインクのスポイトのようにハルは活字を吸い上げていた。
    
 
 (つづく)  第13回へ

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プロフィール

可久鼓桃

Author:可久鼓桃
東京・京橋生まれの神楽坂育ち。
江戸っ子3代目。
昭和4年生まれの88歳。
短歌、詩、小説、絵画など幅広く表現。
運命鑑定家でもある。

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